「もちろん、僕と伊織がどういう関係かまでは知らないだろうけど、一応伊織のことは知っていてさ。・・・で、家から泰陽(たいよう)製菓専門学校のパンフレットを、わざわざ伊織のところへ持って来たらしいんだ。・・・1回目の出願の締め切りが迫ってるし、必要かもしれないからってさ」
「へえ・・・お袋さんは、専門学校へ行くことに、賛成してくれているんだな」
「母さんは、僕のやりたいようにすればいいって。・・・けれど、まあ、寝耳に水だった伊織が、それでブチ切れて、怒鳴り込みに来たわけだけど」
「はははは・・・ややこしいな。つうか、そもそもお前はなんで、進藤先生に隠してたんだよ。疚しいところがないなら、正直に言えばよかったものをさ」
「もちろん、僕だって熱りが冷めれば、言うつもりだったよ」
「熱りが冷めてからじゃ、事後通達じゃないか。家出していることも、受験が決まった後から学校に行くことも、先に教えて貰えないんじゃ、やっぱり年上の恋人としちゃあ、そりゃあショックなんじゃね?」
「受験はしないよ」
「へっ?」
話が急に見えなくなった。
どういう意味だ。
というか、これまでの話は一体何だったのだ?
「だからさ・・・出来ねえんだよ。金ねえし」
「金ないって・・・それは、なんとかならないの? 奨学金受けるとかさ」
だって、そのつもりで親父さんと喧嘩して家出までしたのではないのだろうか。
というか、金がかかることは、少なくともパンフレットを手にした時点でわかることだろうし、それをお袋さんが家から持って来たってことは、親父さんともパンフレットを目の前にして話をした筈だ。
それなら、その時点で、ある程度金の目途が付いていたから、慧生は話をしたのではないのか。
「泰陽製菓ってさ、オーナーの出身校なんだよ。で、聞いてみたんだけど、入学金や学費だけでも2年で300万以上かかるらしい。学校に行くことはずっと考えていたから、これでも結構頑張って貯金していたんだけど、・・・全然足りねえのよ。奨学金ったって、多くても半額程度なもんらしいし、だいたい申請して、必ず受けられるもんでもないしな。・・・だから父さんに正直に話して、お金貸してほしいって頭下げたんだ。そしたら、ふざけるなってぶん殴られて・・・」
「で、飛び出してきたと・・・」
そういうことだったのか。
それは確かに、慧生も甘かったのかもしれない。
気の毒ではあるが。
「まあ、そういうところ」
「なるほどなぁ・・・。しっかしお前の親父も、殴るこたぁないのにな。息子が真剣に考えて、頭下げてるってのに。大体、お前の年で、自分で学費稼いでいるってだけでも、相当に偉いと思うぞ、俺は」
俺の身近では、少なくとも慧生だけだ。
10代にして、すでに会社役員のような仕事をしている、篤の例を除いては。
あれは特殊すぎて、サンプルにもならないだろう。
「てめぇに誉められても、ムカつくだけだよ」
顔に霧がかかって、数秒後に咳込んだ。
アルコールをかけられていた。
「あのなぁ、こういうときに無理して突っかかるなよ・・・というか、客に消毒剤かけんなよ。訴えるぞ」
「タダで殺菌してやったんだから、感謝してもいいぐらいだろうが。んなことで、いちいち訴えるって、お前は訴訟厨の市民活動家かよ」
「その発言は色々と偏見染みていて、各方面に問題があるぞ・・・って拭くなー」
テーブルを拭いていたクロスを頭に載せて、ゴシゴシと拭われ、俺は激しく抵抗する。
・・・というか、俺は今、雑巾を頭へ擦りつけられたんじゃないのか?
「エタノールをかけるなと言ったり、滴を拭ってやったら、今度は拭くなと言ってみたり、まったく注文の多い客だな、やれやれ。・・・・いや、きっと父さんはさ、本当に出せないから、単純に僕を諦めさせたかったんだと思う」
慧生は話を戻していた。
「・・・だからって殴ることはないだろうが」
しんなりとしてしまった前髪を掻きあげつつ、俺は応える。
どんな事情があろうと、いきなり殴るのは横暴だろう。
息子が真剣に、相談していることだというのに。
「それはたぶん、僕が父さんのプライドを傷つけたから・・・僕が悪いんだよ」
慧生はあくまで、父親を責めないつもりらしかった。
釈然としない。
「お前、なんでそんなに物わかりがいいんだ?」
だって、本気だったんだろう?
真剣に学校で、学びたかったんじゃないのか。
「単純に現実が見えていて、諦めているから・・・それだけだよ。だから、熱りが冷めたら、適当に帰るつもりでいたんだ。家出したのは・・・それでもちょっと抵抗してみたかったから・・・それだけなんだ。なのに、母さんったら・・・」
きっとお袋さんは、慧生の真剣さがわかっていたから、放っておけなかったに違いない。
「けどさ、お前は本当にいいのかよ」
諦めるつもりなのか。
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
慧生の声が、少し苛々として聞こえた。
クロスを畳み直す手付きが、乱暴になっている。
「だってさ・・・なんか悔しくね? たかが金の問題で、せっかくの夢を諦めちまうなんて」
「たかが、かよ・・・さすが城陽のお坊ちゃんは、言ってくれるな。その金がなくて、食費や光熱費に、苦労をしたことのない人間の言葉は、重みが違うぜ」
「慧生・・・」
皮肉を言われていた。
ちょっとだけカチンときた。
絶妙なタイミングでドアベルが鳴り、続いて一組のカップル客が入って来る。
「・・・悪い、ちょっと外すわ。・・・いらっしゃいませ」
慧生はすぐにカウンターへ戻って、銀のトレーと伝票を手にすると、入って来たカップルの接客に付いた。
俺は、慰めのつもりの浅はかな自分の言葉が、却って慧生を傷つけたらしいことに、後から気付き、自分を呪った。

to be continued

『Cappuccino Dolce 弐』へ

『城陽学院シリーズPart2』へ戻る