『Cappuccino Dolce 弐 〜不良少年と気になるあの子』


それは、1年前の終戦記念日。
肌がひりつくような炎天下で、陽炎が立ち上るアスファルトの上を、行列から置いて行かれない程度の速度で、僕、香坂慧生(こうさか えいせい)は歩いていた。
手には段ボールで作った即席のプラカード。
白い表面には、黒のビニールテープでスローガンが書いてある。
内容は『自衛隊廃止』だったと思う。
目の前を歩く、クラスメイト達が持っているものには、『靖国神社は軍国主義の象徴』や、『アジアに謝罪しろ』だのといった文句が、同様に赤や黒のビニールテープで書かれていた筈だ。
行列の前方には、きちんと印刷された幟を持っている大人もいる。
一つには『N県教職員組合』という文字が、水色に白抜きで。
別の物には、ピンク色の布に、青く、やけに丸っこい字体で、『ピース9&ウォークの会』と書いてある・・・意味は不明。
クラスメイトの女子が言うには、どうやら憲法と関係があるらしいのだが、それにしてもウォークの説明にはなっていないと思う。
ウォーキング愛好家達のグループから派生でもしたのだろうか。
まあそのへんは、正直なところ、どうでもよい。
顔触れは一様に、50代〜60代ぐらいだろう。
「ほら、君達もしっかりと声を出しなさい!」
そのピースなんとかの会という幟を持った、白髪混じりのお爺さんから、いきなり怒鳴られた。
お爺さんの顔は、陽に焼けて真っ黒だった。
ひょっとしたら、連日このような行進を続けているせいかもしれない。
きっと時間が有り余っているのだろう。
うちの母なら、そんな暇があるならバイトを増やすか、身体を休めている。
まあ、週に1日も休んでいない人なのだが。
突如として、前方を歩く大人たちの一団から、何十回目かのシュプレヒコールが上がった。
先導役の男が高らかに主張した、日本帝国軍のアジア進攻を非難する内容のシュプレヒコールに続き、僕の目の前を歩いていた野田創(のだ はじめ)が、”謝罪しろ〜!”と、ひときわ大きな声で、語尾の文句を復唱する。
そして僕を振り向き、白い歯を見せながら、なぜか笑った。
どこか得意げなその顔を見て、世の中には救いようのない馬鹿がいるものだと、僕は呆れる。
僕がこんな、所謂ところのデモ行進というものに参加している背景には、もちろん理由がある。
それは、夏休みに入る1か月前のことだ。
我が、N県立城西(じょうさい)高等学校の組合系教職員であり、税金から給与所得のある公務員達は、同じく税金で建設された学校施設の体育館へ、翌日に模擬試験を控えた受験生達を含む、全校生徒を一斉に集めて、“教育映画”と称する、プロパガンダムービーの上映会を行った。
それは、午前中の授業を二限、中止をしてまで、わざわざ実施されたのだ。
映画とは、外国で制作された、字幕付きの戦争映画だった。
日本のアジア進攻におけるひとつの事件を題材としており、なかなか日本映画ではお目にかかることの出来ない、凄惨な暴力シーンやレイプシーンがこれでもかと盛り込まれている。
この映画に年齢指定がないことが不思議なほどの、インパクトのある残酷描写ぶりと、嫌悪を催さずにはいられない、女の裸体の連続である。
頭が悪い男子連中や男性教諭どもは、そういう意味では結構盛り上がっていたのだが、当然のことながら、女達はウンザリとした顔を見せていた。
そしてとうとう、数名の女子生徒が席を立ち、嘔吐を堪えるかのようにハンカチやタオルで口元を押さえながら、体育館から出て行った。
しばらく経って、彼女達は戻って来たのだが、体育館の入り口で先生に呼び止められて、随分と長い間、立たされたままで注意を受けていた。
恐らくは体育館の外で気分を入れ替えたり、あるいは、トイレで吐いてきた者もいたかも知れない、体調が優れない生徒達に対して、この仕打ちである。
しかも叱っていたのは、わがクラスの担任、柳本哲成(やなぎもと てつしげ)教諭だった。
そして翌日6限目のホームルームでは、その映画の感想文を書かされた。
用紙の配布前には、先生のその映画への思い入れと、偏った歴史観を延々20分も聞かされた後のことである。
もっとも・・・偏った歴史観については、今に始まったことではないのだが。
何人かの生徒は真剣に、殆どの生徒は非常に苦心して、先生が気に入るような感想文を、それぞれに書きあげたようだった。
そして僕は、A4サイズの白紙を手にした10秒後に、その提出物を仕上げていた。
”戦争なんてあんなものだ”とだけ書いて。
翌日の放課後、僕は担任から職員室に呼び出されて、再び延々と先生の歴史観や、僕の考えがいかに間違っているかなどを、聞かされた揚句、感想文の書き直しを命じられた。
職員室にはもうひとり、呼び出されていた奴がいた。
野田創だ。
先生の話によると、野田は、ヒロインの女優が好みであることや、彼女が別の何と言う作品に出ているか、そして歌手活動もしており、先月発売されたCDが香港トップチャートで一位であった・・・などといったことを、昨日帰宅してから速攻で調べ上げたらしく、感想文と称してそんな内容を、延々と用紙いっぱいに書いていたらしい。
僕は人として柳本先生が大嫌いなのだが、これにはさすがに同情を禁じ得なかった。
そして心ひそかに爆笑した。
職員室を出ると、クラスの女子連中が野田を心配して廊下で待っており、文才というか、どちらかというと理解力が足りないらしい野田の為に、彼女達が代わりに映画の感想文を書いてやるという話が、すぐに纏まっていた。
そして翌日、再び僕と野田は映画の感想文を提出し、その日の放課後は僕だけが職員室に呼ばれた。
野田は、素直に女子達が書いた感想文を丸写しにして提出したらしく、僕は自分で書いたものを提出した。
「香坂、お前には特別指導が必要だから、8月15日午前9時に臨海公園駅北口へ来るように」
先生から僕は、そのように告げられた。
まあ、自分でもこれは仕方がなかっただろうと思うし、何らかの処罰は覚悟の上だった。
なぜなら2度目の提出で僕は、柳本先生にはっきりと喧嘩を売っていたのだから。
そして終戦記念日たる8月15日の午前9時、呼び出された臨海公園駅へ着いてみると、結局、野田創も来ていた。
そのほかには、うちのクラスの女子が4名、・・・中谷(なかたに)、下瀬(しもせ)、一之江(いちのえ)、増本(ますもと)。
彼女達の顔触れにはちょっと見覚えがあった。
感想文のことで、僕と野田が呼びだされた日の放課後、職員室の外で野田を待っていた女子たちだ。
ということは、結局野田は、自分で書かなかったことが柳本先生にバレてしまったということだろう。
連帯責任で呼び出された中谷達は、いい迷惑かもしれないが、・・・まあ、それもまた自業自得かもしれない。
30分のうちに、北口改札前は見る見る人で溢れ始めていた。
集まった顔触れは、大きく3種類に分けられる。
僕らと同じような学生と、柳本先生を始めとする学校の先生、あとは初老の男女だ。
学生たちは察するに、僕らと同じで、なんらかの事情により、各校の先生から呼び出されたのであろうことは、顔色を見れば明白だった。
教師以外の大人達・・・つまりそれが、『ピース9&ウォークの会』という団体なのだが、彼らがどういう集まりなのかは、このときの僕にはまだわからなかった。
やがて50人程に膨れ上がった人だかりは、ぞろぞろと駅前ロータリー広場へ場所を移動し、引き続き何やら、拡声器越しの騒々しい演説が始まった。
そして、この日のために、わざわざやって来たという、地元出身国会議員の演説まで聞かされ、暑さでぼうっとしていると、拍手しろと先生に怒られた。
それが漸く終わり、これで帰してもらえるのかと思っていたら、今度はプラカードを持たされて、海浜公園までの行進が始まったのだ。
行進スタート地点近くの、街頭に設置された温度計は、この段階で既に摂氏34度。
歩き始める前に倒れるのではないかと、不安を覚えた。
ここまで来て、僕は漸く、先生から政治的に利用をされたのだと気が付いた。
目の前ではクラスメイト達が、周りの大人に言われるがまま、大きな声でシュプレヒコールを上げている。
率先して野田がやるものだから、女子達も同じように真似をする。
自分で言っている意味がわかって、納得しているのなら問題はない。
しかし、そうではないだろう。
あの戦争映画だって、制作をしたのは外国人なのだから、その視点から見た主張になる。
当然だし、それとて問題はない。
しかし、僕らにはそれに対して、自分の意見を述べる権利があるのだ。
なぜなら、日本が民主主義国家である証であり、僕らには言論や思想の自由が、憲法ではっきりと保障されている。
いかに教師といえども、その思想を押しつけ、主張を踏みにじる権利はない筈なのだ。
否、教師だからこそ、そこを生徒に教えないといけないであろう。
先生があの映画を素晴らしいと称賛し、その思想に共鳴し、プライベートにおいて、彼の意志で政治的なデモ活動をするのは構わない。
しかし、授業でその考えを生徒に押しつけて、頭数を揃えんが為に、生徒に政治活動への参加を強制するのは、間違っている。
そして、利用されていることにも気付かず、素直に政治的なシュプレヒコールを繰り返すクラスメイトたちも、あまりに軽率で愚かな連中だと思う・・・苛々とした。
結局この日は、海浜公園の海岸付近まで、炎天下の中を1時間以上も歩かされたのだった。
途中、ハプニングもあった。
通りすがりの、20代ぐらいに見える一人の男が、拳を構えていきなり柳本先生へ詰め寄ったのだが、先生は僕らの間を後退りしながら、両手を顔の前で構えて、必死に自分の身を守ろうとした。
そして男は、先生の慌てふためいた様子に、少し笑いながらこう言った。
「驚かせて悪かったな。けどさ、あんたにもわかったろ? その手が自衛隊なんだよ。・・・もっとも自衛隊員は自分の為ではなく、あんたやそっちの子供たちを含めた、国民を守るために命を懸けるんだけどな。こういうときは、せめてあんたも、先に子供達を守ってやれよ。じゃあな、先生」
男はそのまま、あっさりと立ち去って行った。
そして先生はその人に、とうとう何も言い返しはしなかった。
いや、言い返せなかったのだろう、きっと。
僕はこのとき、先生を完全に見限った。



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