「やめなよ、香坂君・・・」
一之江が止めようとする。
その様子を見て、野田の表情がサッと変わった。
「おい、香坂・・・それってまさか、俺のことか」
不意に野田が歩道の真ん中で立ち止まり、僕の進路を塞いできた。
それを無視して、彼の脇を通り過ぎようとすると、強い力で肘を捕えられる。
「放してくれよ、僕は帰るんだから」
「てめぇ、もう一回言ってみろよ。誰が目出度いんだ?」
「そんなに罵ってほしいとは、モノ好きな奴だな。お前はマゾヒストか? ・・・ああ、そうかもな。なんだっけ、日本は悪いことをしたから、アジア諸国に謝罪しないといけないんだったっけ? そんなに謝りたきゃ、こんなところに来てないで、外国でもどこでも、自分で好きなだけ謝りに行けばいいだろう。大体アジアってどこだよ」
「アジアはアジアだろう」
「だから、どこのアジアの事だって聞いているんだよ、言ってみろよ」
「だから・・・東南アジアとか」
「東南アジアねぇ・・・・ははは。その回答さぁ、柳本先生が聞いたら、さぞかしガッカリするだろうな」
滑稽すぎて、だんだんと笑えてきた。
必死になって、偏狭な歴史観の植え付けをしたところで、うちの学校では所詮この程度だ。
このレベルの生徒しか、洗脳できないということなのだ。
「香坂、何が言いたいんだ・・・」
「別に。ただ、お前のその能天気振りが、我慢ならないって言っているだけだよ。自分が何をされているのか、もう少し冷静に考えてみたらどうなんだ」
「やめなよ、香坂君。それはわざわざ言っていいセリフじゃないよ」
一之江が僕を非難してきた。
「そうだよ。だって、野田君は香坂君一人だけが呼びだされて可哀相だから、自分から先生に謝りに行ったのに、いくらなんでも酷いよ」
ヒステリックに中谷が詰ってくる。
「そんなこと、僕は頼んでないけどね。っていうか、それが馬鹿だって言っているんだよ。あの駅前ロータリーに、しっかり新聞記者が呼び出されていたことにも、お前らは気づいていなかったのか? 参加者を増やすことこそが、あの人達の目的だったんだよ。しょぼいデモじゃ、報道しても、世間の注目が集まらないだろう。お前らは先生が仕掛けた罠に、まんまと嵌ったんだよ。お目出度い野田のせいでな・・・・っ」
頬に、ガツンとした衝撃が走った。
僕は1メートルほど吹き飛ばされ、触れた掌が焼けそうなほどに熱い、アスファルトの上へ尻餅を突き、のろのろと立ち上がりつつ野田を見上げた。
握りしめた拳を震わせながら、鋭い目をして彼は立っていた。
そして、一発殴らせれば気が済むだろうと思っていた僕は甘かったのだと、すぐに思い知らされた。
乱暴にシャツの胸元を掴まれて、立て続けに3発顔を殴られる。
この暑さでは、仕方がないかもしれないが、どうやら野田は、完全に頭へ血が上っていたようだった。
「ちょ、ちょっと野田君・・・」
「やめなよ、ふたりとも・・・」
中谷と下瀬の、焦った声が聞こえていた。
口元が切れ、頬や目尻が熱くなり、視界が暗くなった。
「てめぇなんか・・・、てめぇなんかっ・・・!」
もう一度倒れたところで、今度は野田が馬乗りになってきて、平手で何度も頬を張られる。
その度に、衝撃で頭をアスファルトへ打ちつけられた。
女子達は皆、怖がって立ち尽くしたままだった。
野田が拳や平手を振るい始めて、何度目かのおり、目を瞑っていた僕はいつまで経っても、自分の身に降りかかってこない衝撃を訝しんで、ゆっくりと目蓋を開けた。
「いいかげんにしろ、君はこの子を殺したいのか?」
低く冷静で、どこか呆れたようなその響きから、大人だと感じられた男の声。
地面からは逆光で顔の見えなかったその彼に、振り上げたままの右手首を捕えられて、野田は戸惑っていた。
それが、僕と進藤伊織(しんどう いおり)の出会いだった。

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