夏休みが明けると、僕の学校生活は一変していた。
元々慣れ合うのは好きじゃない僕に、友達と呼べるほどの仲間はいなかったが、それでも挨拶ぐらいは交わす連中が数人はいた。
だが、その数少ない僅かに親しみを感じることのできるクラスメイトが、一人残らず僕と口を聞く意志を見せなくなった。
調理実習ではグループから弾き出され、器具に触ることさえなく時間だけが過ぎた。
体育のストレッチでも、誰も僕と組みたがらず、必然的にもう一人あぶれてしまったクラス委員長が、僕と組もうとしたのだが、それを見た野田創が、鋭い声で名前を呼んで彼を威嚇し、仕方なく僕とクラス委員長は、各自一人でストレッチをするという、奇妙な現象が起きた。
そして漸く、これらが野田の仕業だということを、僕は理解した。
野田創という人物がクラスの人気者だという認識は、ある程度あった。
しかし、僕はその彼の影響力の大きさを、正しく理解出来ていなかったのかもしれない。
僕がその名簿に名前を載せている、県立城西高等学校2年の食品化学クラスは、生徒の3分の2程が女子で構成されている。
僕にはまったく理解できないことなのだが、外見だけは確かに格好いいかもしれない野田創は、ほぼ全ての女子に人気があるため、野田が扇動すれば女子全員が僕の敵に回ることは仕方がないと思う。
そもそも僕は、女という生き物が好きではないので、そこに何ら支障は感じない。
しかし、残りの男子までもが野田の味方に付くことは、僕は予想していなかった。
皆、野田が怖いのだろうか。
それとも僕が・・・・、いや、僕は持論を曲げるつもりはない。
僕から折れる必要なんて、どこにもない筈だ。
始業のチャイムが鳴る。
日本史の教科書を取り出そうとして、ページの間から飛び出してきたものに吃驚させられ、それと同時に、教科書の表紙に現れたマーカーによる乱暴な筆跡に、それ以上の衝撃を受ける。
「・・・・っ!!!」
真後ろから哄笑が聞こえて来た。
続いて女子達のクスクスとした笑いが耳に張り付く。
足元で、バネで出来たカエルの玩具が、馬鹿みたいにビョンビョンと跳ねていた。
それを拾い上げる人物の影・・・・野田だ。
「ハイ、これ」
「は?」
ぶっきらぼうに聞き返す。
女子達の笑いが静まった。
「だから、やるって。・・・可愛いくね?」
何のつもりだと思う。
「いらない」
そう言って机の横から鞄を引っ張り上げ、その中へ教科書を仕舞い込む。
「・・・おい、お前帰るのかよ」
野田が聞いてきた。
「そうだけど?」
「授業どうすんだよ。もうチャイム鳴っただろ」
「それがどうした」
「お前・・・ひょっとして、なんか怒ってんの?」
「お前こそ馬鹿にしてんのか」
あれほど汚い真似をしておいて、よくぬけぬけとそんなことが言えると思う。
野田の考えていることがわからない。
僕は乱暴に鞄を持って立ち上がり、その弾みで一冊を床へ落としてしまう。
よりにもよって、日本史の教科書だった。
落書きされた表紙を上にして、教科書が野田の足元にバサリと落ちる。
マーカーの文字が、周りにいた連中の目にも晒されていた。
女子達の間で、再びクスクスとした笑いが起きる。
我知れず、カッと顔に血が集まる。
怒りか羞恥か、判別はつかない。
野田が足元からそれを拾い上げようと身を屈め、一瞬、なぜか彼の動きが止まったように見えた。
僕はその隙に、素早く教科書を自分で回収し、鞄に突っ込む。
「香坂・・・お前、その教科書・・・」
「望み通りにしてやるよ」
こんな学校、もう沢山なんだ。
小走りに出口へ向かいかけて、入って来た柳本先生と擦れ違う。
「おい香坂」
「早退します」
「そうか・・・、他の連中は席に着け」
慌ただしく各自が自分の席へ向かう間に、僕は一人だけ廊下を目指した。
今度は中谷と擦れ違いざま、彼女と目が合う。
か細い少女の声が耳へ届いた。
僕は息を呑み、その場で思わず立ち止る。
「どうした香坂、残るなら早く席に着け。今ならまだ、出席扱いにしてやるぞ」
出席簿を広げながら、柳本先生が言った。
皆の視線が僕に集まる。
野田と目が合った。
その目が僕を威圧しているように感じた。
「いえ、帰ります」
不意に、開け放したファスナーの隙間から、鞄に入れた日本史の教科書が目に入った。
黒いマーカーによる、二つの文字の乱筆な命令文が、僕の心に突き刺さる。
上等だ。
野田に言われなくても、どうせそうするつもりだったんだ。

 05

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