「さっさと服を脱いで、足を開け」
マンションへ到着した途端に、伊織から言われた言葉がこれだった。
「他に言う事はないのかよ・・・、いつもいつも、自分の都合で僕を呼び出して。たまに会えてもセックスばかり。途中で呼び出されたら、僕のことなんてお構いなしに、さっさと病院へ戻っちゃうくせに」
我儘を言っている自覚はあったが、僕はもう限界だった。
「呼び出されるのは医者の宿命だから仕方がない。聞き分けのない事を言うな」
「よく言うよ・・・だったら、あの女は一体何なのさ。あれも仕事だって言うつもり? 報酬はちゃんと貰っているの?」
「慧生・・・お前、誰の話をしている」
「惚けないでよ。本当はわかっているくせに」
「まさかと思うが・・・、まだ雪子ちゃんのことを、疑っているのか? 前にちゃんと説明しただろう」
呆れたような顔で、伊織が大きく溜息をつくと、やれやれと言った感じにジャケットのポケットから煙草を取り出し、火を点けて一口吹かした。
そしてネクタイを緩めると、その場へ胡坐を掻いて座り込む。
「それでも、随分と頻繁に連絡を取り合っているよね」
僕は立ったまま伊織と対峙した。
「お前は、まさか俺の携帯を勝手に見ていたのか」
眉間に深い皺を寄せ、目を細めながら僕を見上げて、伊織はそう言った。
煙が目に沁みるのか、睨まれているのかは、よくわからない。
「見られて困るなら、枕元に放置したままお風呂に入ったりしないでよ」
「お前が人の携帯を勝手に見るような礼儀知らずだとは、思わなかったんでな・・・なるほど」
「言う事はそれだけなの?」
「悪いが、こっちは時間が惜しいんでね。・・・話はここまでだ。さっさと準備しろ。それともしないんなら、寝させてもらうぞ。俺は明日も朝が早い」
そう言って伊織は立ち上がり、机に置いてある灰皿に火種を押し付けて揉み消すと、大きく一つ伸びをしてみせた。
その仕草はひどく、僕の神経を逆撫でした。
「ふざけないでよ!」
思わずヒステリックに声を荒だてていた。
だが、伊織はゆくりとこちらを振り返り、机の端に軽く腰かけると、腕組みをして僕を見据えてきた。
「慧生、・・・ふざけているのは、どっちなんだ? お前は、俺の仕事や友人関係にまで口を出したが、お前は今夜どこで何をしていた? そして、俺が行かなきゃ、あいつと何をする気だったんだ?」
「それは・・・」
伊織は秋彦の事を言っていた。
「これまでだってそうだろ。俺が『Cappuccino』の仕事を紹介するまで、お前は一体、小遣い稼ぎのために、何をやった? 俺はそのことについて、一度でもお前を責めたか?」
「伊織・・・」
やはり伊織は、僕の援交を知っていた。
けれど、今更その話を持ち出すなんてずるい。
わかっていて、伊織は僕を抱いてくれた筈だ・・・そして、僕はもう彼を・・・。
今はもちろん、援交なんてしていないし、そもそも、それと伊織とのセックスは、意味が違う。
そこまで考えて、僕は改めて疑問を感じた。
本当に違うのだろうか。
もちろん、伊織と寝て、金を貰ったことは一度もない。
最初にセックスをしたとき、確かに伊織は5万円を僕に投げて寄越したが、そんなものはホテルを出るときにすぐ返した。
伊織と、金で繋がりたくはなかったから。
その後なんとなく、恋人のような関係になれてはいるが、彼からきちんと交際を申し込まれたり、そもそも好きだと言われたことすら、一度もない。
恋人だと思っていたのは・・・、まさか、僕だけ?
僕が一人で、舞い上がっているだけだとしたら・・・、それなら、彼に干渉する権利など、僕にあるわけがない。
伊織はやはり・・・大人としての保護意識から、不良化しかけていた僕を、更生させようとしただけで、セックスをしたのは、単純に僕が彼にとって都合が良かったから、・・・それだけなのかもしれない。
だとしたら、僕が彼の交友関係や、ましてや仕事について口出しをするのは、あまりに痴がましいのではないだろうか・・・。
「・・・いや、違うんだ慧生。雪子ちゃんとは、お前が思っているような関係じゃない」
そういうと彼は大きくひとつ溜息を吐いて、立ち上がり、僕の目の前まで歩いてきた。
「伊織・・・」
そして、困ったように頭を掻くと、僕を見て・・・。
「安心しろ。俺も雪子ちゃんも、お互いまったく恋愛感情はないから」
きっぱりと否定した。
「そんなの・・・」
「本当だ」
その後、伊織は改めて、ちゃんと僕に説明をしてくれた。
山崎雪子はあくまで道場仲間であり、会っている目的は治療だけだと。
「それと・・・カウンセリングだな」
伊織はそう付け足した。
山崎雪子は負けず嫌いで弱音を吐かないぶん、ストレスで潰されそうになる心配があるのだと。
呼びだされて会っているのは、専ら肘の治療の為ではあるが、伊織としてはどちらかというと、ともすれば無理をしがちな、本人の口から、悩みを吐き出させることの方が目的らしい。
「だから、俺と雪子ちゃんは、お前が心配しているような関係じゃない。・・・強いて言うなら、妹みたいなもんだな」
「妹・・・」
それは、体の良い言い訳にも聞こえたが、伊織が嘘を言っているようにも、思えなかった。
「なんていうかさ・・・お前と雪子ちゃんは、俺には同じようなもんなんだよ」
と、伊織は言った。
「どういうこと?」
この言葉は、僕にはショックだった。
同じだというなら、・・・山崎雪子に恋愛感情がないなら、僕にもないということになるのではないだろうか。
「放っておけないところかな・・・二人とも意地っ張りだから、素直に助けを求めてくれないだろう。とくに雪子ちゃんは、本当にプライドが高いから、余計に厄介だしな・・・」
「だから・・・伊織は会っているの? 二人っきりで・・・」
「そういうことだけど、変な言い方をするな。色眼鏡でしか物事を見られない奴は、自分が下世話だと告白しているようなものだぞ」
「下世話で悪かったな。気にしちゃいけないのかよ」
「なるほど、そんなに気になるのか」
伊織の言い方が、少し変わっていた。
笑っているような、楽しんでいるような・・・。

 12

『城陽学院シリーズPart2』へ戻る