常日頃、慧生が自分を貧乏だと言っていたのは、そういう理由からだったのかもしれない。
「ああ。仕事で肺を悪くしてな・・・1年前から自宅療養中だ。ついでに先週、手術の為に入院が決まったらしい」
「何ですって・・・」
そのために、ひょっとしたら慧生は自分の貯金を。
「そういうことだ。・・・これ以上は、慧生が話していない以上、俺がベラベラ喋るわけにもいかんから、勘弁してくれ。要するに、世の中には色々な奴がいるってことだよ。・・・おう、真人。遅かったじゃないか」
そのとき、パティシエの真人さんが1時間遅れで出勤してきた。
「すいませんオーナー・・・女がどうしても放してくれなくて」
「そうか、色男は辛いな。いいからさっさと着替えて来い」
「はい」
この春から、夢を追いかけて某アニメーション学院へ通い始めた、パティシエの真人さんは、元々グランドイースタンホテルのレストランに勤務していた、社会経験のある25歳の男性だ。
専門学校入学と同時に、時間的に融通がきく『Cappuccino』へ転職したから、本来ならば慧生よりも後輩にあたる。
しかし、年齢だけでなく、社会経験や知識の面からいって、真人さんの方がずっと上であるために、いかに生意気な慧生と言えども、彼が真人さんにタメ口を聞いているところを、俺は見たことがない。
逆にオーナーである南方氏に対しては、しょちゅうタメ口なのだが、まあそれは親しさゆえ、というやつだろう。
ちなみに、リア充とは対極にいる真人さんを放してくれない”女”とは、おそらく制作中の課題であるところの、格ゲーに登場する、ピンク髪ツインテールの主人公のことだろう。
俺も一度、本人から試作品を貰ってプレーしたことがあるのだが、シスター姿の魔法少女が呪文を唱えて変身するときに、一瞬、全裸になったことだけ、よく覚えている。
それ以外は、あまり記憶に残らないゲームだったが、その後どうやら、全裸描写が他と比較して緻密すぎるという理由から再提出を食らい、泣く泣くリボンや星などを散らして隠すことになったのだと、後日、本人から悔しげに報告を受けていた。
あの描写に修正を加えさせただなんて、・・・全く愚かな学校だと俺も思う。
プレーヤーにとって、印象に残った唯一のシーンだったというのに。
ともあれ、真人さんは今日も今日とて、課題制作に追われていたようだった。
昨夜もどうせ、碌に寝ていないのだろう。
目の下にある隈が痛々しい。
時計を見る。
午後3時を過ぎていた。
俺もいい加減に帰って勉強しないと、不味いだろう。
「それじゃあ、俺そろそろ・・・」
会計を済ませようと思い、伝票を片手に立ち上がる。
その瞬間、俺の声へ被せるようにして、少しヒステリックな少年の声が重なってきた。
「オーナー、これ一体どういうことですか・・・?」
洗濯物を取り込んで戻って来た慧生が、カウンターへ入るなり、南方氏へ詰め寄る。
手には1枚の小さな用紙。
「どうって、まあ・・・見ての通りだ」
「こんなの俺、聞いてないですよっ! どうしてオーナーが勝手に手続きしているんですか、ありえないでしょうが!」
慧生は南方氏の前のカウンターに、それを叩きつける。
首を伸ばして、俺もそれを見た。
それは泰陽(たいよう)製菓専門学校が本日付で発行した、受験料の領収書だった。
どういうことだ?
「なんだ、お前ひょっとして受かる自信がないのか?」
南方氏が口元へニヤリと笑いを浮かべながら、慧生を挑発する。
「そういうことじゃなくて、だから俺は専門学校の費用なんて払う余裕は・・・」
「何ですって・・・? だってオーナーさん、さっき・・・」
言いかけたところで、南方氏の鋭い視線が俺に向けられる。
部外者が余計な口を挟むな・・・視線がそう物語っていた。
「俺が給料前払いで貸してやる。だったら問題はないだろう」
「そんなことをしてもらう理由がありません。だいたい父さんが・・・・、父さんと喧嘩したばかりだし、学校なんかに行っている暇はないし、返済の目途だって俺には・・・」
父さんが・・・と言いかけて、一瞬慧生が俺を見ると、そのまま目を逸らしてしまった。
そして、あくまで彼は父親の病気のことを、俺に打ち明ける気がないのだと、俺は知らされた。
少しショックだった。
「理由は将来のパティシエを育てる為の、俺の投資。親父さんが許してくれるまでだろうと、それ以降だろうが、うちはお前がいてくれて全然構わないんだぞ。時間なら、ここで仕事をする午前から昼を使って、学校に通えばいいだろうが。学校は昼過ぎには終わる筈だぞ。返済に期限を設けるって、誰が言った。ついでに俺は全額出すつもりだ。だったら問題ない筈だろう」
「ちょっ・・・それって」
要するに、南方氏は慧生に300万をプレゼントすると言っているも同然だった。
まさかと思うが、南方氏は慧生のことを・・・だとしたら、これは大変なことになりそうだった。
「そんな・・・どうして、オーナーはそこまで・・・」
咄嗟に不味いと思った。
それを南方氏に説明させると、慧生はこの店にいられなくなるんじゃないのか?
あるいは、南方氏の好意を受け入れるか・・・・どちらかになってしまう。
「ええっと・・・、エスプレッソロールケーキって、凄く・・・」
だからといって、自分でもこの話題の逸らし方はないと、言った傍から激しく後悔した。
「はあ?」
「あ・・・いえ、あの別に・・・」
南方氏があからさまに不愉快な顔をして、俺を振り向き、俺はすぐに言葉を濁した。
そもそも、俺がそこまで気を遣う理由もなかった筈なのだが。
そこへ。
「却下だ」
高らかに声を響かせながら、男が足早に店へ入って来る。

 03

『城陽学院シリーズPart2』へ戻る