「どうも、外しちゃって申し訳ありません・・・、あ、いらっしゃいませ」
そのとき、厨房の奥から白衣を着た男性店員が現れた。
「いいってことよ。ねえ、ところでマサさん、あんみつって作れる?」
カウンターから外へ出ながら、シンさんがその男性店員にマサさんと呼びかけて、質問をした。
マサさんは入荷した食材を、裏口へ受け取りに行っていたのか、それとも倉庫へ取りに行っていたのかも知れないが、発泡スチロールの箱を持って、奥のドアから厨房に入ってきていた。
箱を作業台へ下ろすと、厨房から顔を覗かせて、暫しそのまま立ち尽くし、シンさんを呆然と見つめ返す。
「はあ、あんみつ・・・ですか」
「うん。あの子がね、疲れているんだって。だから、あんみつとか、どうかなって話をしていたの」
「お前はまた無茶苦茶なことを。すいません、マサさん。気にしないでお仕事続けてください」
トモさんが呆れながら、会話に口を挟んだ。
「いやいや。・・・僕こそすいません遅くなっちゃって。そちらのお客さんがたは、ご注文はお決まりですか?」
マサさんが伝票片手に、俺たちの所へオーダーを聞きに来てくれた。
年齢はおそらく30代前半ぐらい・・・この人が店長なのだろうかと、俺は思った。
背は俺とそう変わらないが、腕の太さがまるで違う。
肩も胸も筋肉で覆われており、日に焼けた肌が逞しい、野性的な印象の男性である。
何かスポーツをやっているのかも知れない。
「それじゃあ、店長さん、俺はラーメン餃子セットを・・・」
言いかけて、言葉を呑んだ。
なぜなら、マサさんが俺を凝視していたからである。
それまでのニコニコとした、営業スマイルがすっかり顔から消えて、いくらか目を見開いている。
たとえば、何か信じがたいものでも見つめるような表情とでも言ったらいいのだろうか、・・・そんな不躾とすら言っていいような視線が、なぜか俺へまっすぐに投げかけられていた。
「じゃあ、俺も原田と同じで、ラーメン餃子セットにしようかな・・・っと、あのぉ、聞いてますか?」
直江が同じものを注文して、伝票を手にしたまま、凍り付いているマサさんの太い腕を、人差し指でトントンと突いた。
「ああ・・・すみません。なんだかぼおっとしちゃって。こっちの彼があんまりイケメンだったから、見とれちゃった。ええっと、ラーメン餃子セットを二つですね。それと、よかったら胡麻団子いかがですか?」
「ええっ、頂いていいんですか?」
マサさんの提案で、直江があからさまに喜ぶ。
サービスだとまでは言っていなかった筈だが、これでは違うとも言えまい・・・。
だが、マサさんもどうやら、そのつもりで勧めてくれていたらしかった。
「ええ。あんみつはここではちょっと作れませんけどね。甘い物と言っても胡麻団子ぐらいしかないですから、それでよければ。あと、僕はただの店員です。じゃあ、すぐにお持ちしますね。・・・こらこら咲ちゃん、駄目だって!」
オーダーを取り終わったマサさんは、奥から元気よく飛び出してきた、咲(さき)ちゃんという名前らしい、5歳ぐらいの女の子を、カウンターの入り口で捕まえた。
そして、幼稚園の制服を着ているその子を抱き上げながら、厨房へ戻っていった。
まもなく今度は小柄な女性が胡麻団子の皿を持って、厨房から出てくる。
「いらっしゃいませ。すぐにオーダーもお持ちしますんで、もうちょっとだけお待ちくださいね。・・・こら、咲! 出て来ちゃダメって言っているでしょう」
そう言って女性は、咲ちゃんを追い立てながら厨房へ戻った。
「あの人が店長の志賀綾(しが あや)さんだよ。女の子は娘の咲ちゃん」
シンさんが教えてくれた。
そういえば前に、ここは元々夫婦でオープンした店だと言っていたのを思い出す。
そして旦那さんが入院したため、奥さんがリニューアルオープンさせたと。
「ってことは、さっきの男性は旦那さん?」
しかし、マサさんは健康そのものの逞しい男にしか見えなかった。
それにしても、さきほどの目・・・なぜ彼は、俺をあんな目で見つめていたのだろうか。
「マサさんは、綾さんが『蓮(れん)』の店長に紹介されて、この店に連れてきた人だよ」
「へえ」
「綾さんは元々天王の厨房長をしていたんだけど、当時天王で副店長をしていた、『蓮』の店長の辰野蓮太郎(たつの れんたろう)さんから、腕のたつ料理人がいると言って紹介されたのが、彼、広中正純(ひろなか まさずみ)さんなんだ。リニューアルオープンはしたものの、綾さんはあの通り、子育てや家事、それにまだ旦那さんは入院しているから、病院へ行ったりで、何かと忙しいからね。綾さんと同じぐらい動ける人を、探していたらしい」
「けどさ、そこまで仕事ができる人なら、自分で店を持っていてもおかしくないんじゃないの?」
直江が胡麻団子を咀嚼しながら、シンさんに聞いた。
「そうなんだよねぇ・・・元々マサさんは、『蓮』で厨房リーダーみたいなことをやっていたらしいんだけど、謎っていうか。トモさんとも言っていたんだけど、あれほど仕事が出来る人で、僕らと変わらない年なのに、ここでの立場はアルバイトみたいだし・・・、どうして腰を据えて仕事をしないのか、不思議なんだよね」
「アルバイトっすか・・・なんか事情があるのかな。つか、俺、ちょっとあの人おっかないんですが。原田のことじ〜っと見ていたし。そりゃ原田イケメンっつうか、綺麗ですけど」
「はいはい、直江くんもイケメン、イケメン」
「ははは・・・・・・。原田・・・俺、帰っていい?」
「ラーメン餃子セット食ってからにしろよ」
「どうも、お待ち遠様でした」
そこへ、マサさんが現れて、俺と直江の前にラーメンと餃子が乗った黒いトレーを二つ置いてくれた。
「うわ、チャーシューでかっ!」
それから暫く、俺たちは黙々とラーメン餃子セットを食した。
スープはさすがの天王仕込みで、鶏ガラの旨みがしっかりと利いた、濃厚な味わい。
麺は拘りなのか、彩の方がさらに細く、素麺とラーメンの間ぐらいのものを使っていたが、これは天王の方が好きだった。
しかしなんといっても、チャーシューが凄い。
天王も鉢が隠れるほどの、特大サイズが3枚も載っているが、彩のチャーシューは、もはやステーキかと思うぐらいのサイズで、枚数はさすがに1枚きりだが、肉はふわふわでジューシー。
これは癖になりそうな美味さだった。
「甲乙つけがたいな」
「難しい理屈なんかどうだっていいよ! めちゃくちゃ美味いよこれ! お兄さん、替え玉ってある?」
「はい、替え玉ですね。今お持ちします」
おっかないなどと言っていたわりに、ラーメンの美味さに機嫌を良くした直江が麺のお替わりを注文していた。
「ああ、マサくん。私やるから、休憩行って!」
水差しを持ってテーブルを巡回していた綾さんが、慌ててカウンターへ入り、厨房に入るマサさんを追いかける。
そして宣言どおりに、直江の替え玉を綾さんが持ってきたところで、続いてマサさんが咲ちゃんを連れてカウンターから出て来た。
「店長、ちょっと城東電機の屋上遊園地に行ってますね。20分ほどで戻りますから」
「やだ、そんな・・・休憩は?」
「ついでに僕も休憩してきますから。じゃあ咲ちゃん、行こうか」
「ママいってきまーす」
「咲、わがまま言っちゃだめよ〜! ・・・本当にもう」
咲ちゃんに肩車をしてやりながら、向かいに建っている城東電機へ入っていくマサさんの背中を、綾さんが通りまで見送りに行く。
そして溜め息をつきながら、彼女はカウンターに戻ってきた。
三人の様子を見て、俺はなんだか遠く懐かしい記憶に意識を捕らわれそうになり、軽く頭を振って憂鬱を追い払う。
「あの人、意外と子供好きなんだな・・・」
よく知りもしない癖に何が意外なのかと聞けば、きっと失礼な答えが返ってきそうな戯れ言を、直江がぽつりと言った。
「いいんですか、放っておいて」
「えっ」
「原田?」
厨房へ戻ろうとしていた綾さんが、俺の質問に目を丸くして足を止めた。
直江も箸で麺を掬った状態で停止して、俺を見ている。
当然だろう。
「あ・・・いや。お子さん、大丈夫なのかな・・・と」
俺は自分で放った問いかけを、早くも後悔していた。
いくら俺がおにいちゃんのことを思い出していたからって、マサさんと咲ちゃんには関係のない話だ。
咲ちゃんがマサさんに、何かされるかもしれない、だなんて・・・それこそ、失礼極まりない妄想である。
それでも、なぜか俺には妙な胸騒ぎがしていたのだ。
あの、俺を見つめていたマサさんの目・・・・似ている気がした。
似ても似つかない人なのに。
だいたい、そんな筈はないのに。
「悪い、悪いとは思っているんだけどね・・・でも、つい甘えちゃって。おっかなそうに見えるけど、ああ見えてマサくんは、すごく子供の扱いに慣れているのよ。結婚もしていないのに、不思議なんだけど。なんでも、学生時代にベビーシッターのアルバイトをしていたとかで・・・」
「そう見えても、本当は何を考えているかなんて、わからないじゃないですか」
「原田・・・やめろよ」
直江が珍しく、真面目な口調で俺を諫めた。
綾さんが不安そうに俺を見ている。
「・・・すいません、変なこと言って」
あきらかに常軌を逸した、分を弁えない言動だった。
二度と、この店に来られないな、と俺は思った。
「ううん。心配してくれてありがとう。でも、安心して。本当に、マサくんはいい人だから」
そう言って綾さんは厨房に入ると、その後はずっと忙しそうにしており、以後、俺たちの所へ顔を出すことはなかった。
暫くして。
「いらっしゃいませ!」
「げっ」
厨房から綾さんが声をかけると同時に、直江が後ろを振り返って顔を歪めた。
「うわ、いい男・・・」
「シン、端ないからやめろ」
「峰・・・」
「よお」
短くそう挨拶をすると、峰は俺を挟んで直江とは反対側のスツールに座る。
「ご注文は?」
「ラーメンを」
「あ・・・ええっと。じゃあ、俺はそろそろ・・・」
そう言って、そそくさと立ち上がると、直江は逃げるように店を後にした。

 03

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