「はい、ラーメンお待ち遠様」 秋彦・・・可愛いね。 遙か昔の記憶。 僕と君とで秘密を共有するんだ。 おにいちゃん・・・? けだもの! 秋彦に近づかないでっ・・・! 秋彦・・・秋彦、ごめんな・・・こわくないから・・・ 「嘘・・・」
綾さんが峰の前に鉢を置く。
「いただきます」
丁寧に手を合わせてから、峰は黙ってラーメンを啜り始めた。
挨拶以降の会話がない・・・。
「あの、さ・・・ええっと。用事とか言って、先帰って悪かった」
「構わん」
「お前や直江に押しつけるつもりはなかったんだけど、なんか成り行きで直江が首突っ込んできたから、その、つい・・・」
「直江は自分からやると言い出したんだから、べつにいいだろ。俺が日誌や戸締まりを済ませてから帰るのも、いつものことだ。お前に押しつけられたとは、思っていない」
「だったら、なんでそんな、機嫌悪いんだよ。・・・いや、仏頂面は仕様だけどさ」
最近の峰は、もう少し打ち解けてくれていた筈だ。
俺に告白もしてくれたのに・・・。
ふと峰が箸を置く。
「機嫌は確かに良くない・・・だが、そこはあまり気にしないでくれ」
「なんだよ、それ。んなこと言われたら、余計に気になるじゃないか」
「だからその・・・先に帰ったことを、怒っているわけじゃないんだ。けど、なんで直江と一緒なんだ」
「へ・・・?」
「ああ、いや・・・やっぱりいい。忘れてくれ」
「そんなこと言われても」
よく見ると峰の目の周りが、ほんのりと赤くなっていた。
「御馳走様でした。お前も食ったんなら、出るぞ」
そう言って、先にレジで会計を済ませている峰の後を追う。
「おい、待てって・・・ああ、シンさんトモさん、お先です」
「おう、またな」
「隅に置けないねぇ・・・痛っ!」
「余計なことを言うな!」
「早くしろ、秋彦」
テーブルの二人に挨拶を済ませて、俺もレジへ向かい、精算をする。
峰は早くも出口へ向かっていた。
「おい、待てってば・・・すいません、5000円からでいいですか?」
こういう時に限って、小銭がないものだ。
「はい、結構ですよ」
だが、綾さんは手慣れた仕草で札と小銭をすぐに渡してくれる。
「あ・・・すいません。大丈夫ですか?」
「ええ、平気です。こちらこそ申し訳ありません。・・・ご来店、どうもありがとうございました」
「ありがとうございましたー!」
入り口から賑やかな挨拶が聞こえて振り返ると、いつの間にか戻っていたマサさんが、咲ちゃんと並んで頭をさげていた。
どうやら入り口で、峰とぶつかりそうになっていたらしい。
「おかえりなさい、マサくん! 咲、帰ったらちゃんと手を洗って!」
「はーい」
俺の膝ぐらいの高さを、ツインテールに赤いリボンを括りつけた少女が、小走りに駆け抜けてゆく。
「おっと・・・」
ちょこまかとした危なっかしいその動きに、慌てて身を翻して俺は道を譲った。
すると。
「ありがとうございました。また、是非いらしてくださいね・・・・秋彦くん」
「えっ・・・・・」
少女から視線を背後へ移動させたその先で、白いTシャツと作業用のズボンを履いたマサさんが、ニコニコと人の良さそうな笑顔で、まっすぐに俺を見ていた。
秋彦くん。
通りすがりに、俺をそう呼んでいく男の声に、俺は足を止める。
嘘だ・・・そんな、馬鹿な。
足が動かなかった。
おにいちゃんは・・・霜月勤(しもつき つとむ)は死んだ筈だ。
そんなことは、ありえない。
でも、この声・・・俺の名前を呼ぶ、彼の目は・・・。
俺は、覚えている。
「おい、秋彦」
「あ・・・」
気がつくと、峰が傍に来ていた。
「大丈夫か? 真っ青だぞ」
「えっと・・・うん」
峰は俺の手を引いて、店を出ていった。
「あいつを知っているのか?」
臨海公園駅まで来ると、峰は踏切を渡らず、俺と一緒にそこから電車に乗った。
どうやら送ってくれるつもりらしかった。
「知らない筈・・・なんだけど」
どう説明したものか、俺は迷った。
あの男性店員がおにいちゃんかも知れない・・・・だがおにいちゃんは、確かに死んでいると、峰は俺と一緒に、英一さんから説明を受けていた筈なのだ。
百竜ヶ岳(ひゃくりゅうがたけ)で発見された死体の歯形は、おにいちゃん・・・つまり、霜月のものと一致していた。
これ以上の証拠はないというのに。
しかも俺が感じた不安は、声や視線といった漠然としたもの。
だいたい、おにいちゃんと会っていたのは、12年も前で、当時俺は5歳だ。
当てにならない。
「お前・・・今日、家に誰かいるのか?」
不意に峰がそんなことを質問してきた。
視線は窓の外へ投げかけられ、ガラスの表面には、峰の端正な顔立ちが投影されている。
「冴子(さえこ)さんはたぶん、会社に泊まり込み。英一さんもまだイギリスだ」
「一人か・・・」
言われて改めて、その事実を噛み締める。
そう考えると、とてつもない不安に襲われて、我知れず、自分を抱きしめていた。
怖い・・・すごく。
こんなとき、本当だったら、一条篤(いちじょう あつし)が傍にいてくれる筈だったのに。
俺と篤は体育祭以来、まともに口も利かないまま、また彼は先週からチューファへ行っていた。
今年に入って、もう何度目かわからない。
中間試験を蹴ったことになるが、戻ってきてから追試を受けるつもりなのだろう。
篤なら、それも余裕だ。
俺は何となく、このまま篤とはダメになってしまうのではないか・・・そんなことを、そろそろ考え始めていた。
だが、それは自分で撒いた種なのだ。
不意に手が重なった。
「なあ・・・」
重なった手がそのまま、指を絡めながら握りしめられる。
「峰?」
彼の目は相変わらず外へ向けられていた。
「今夜、お前んちに泊まっていいか?」
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