「どうぞ」
そう言って、俺は先に玄関を入ると。
「お邪魔します」
いつものように峰は後から付いて入り、後ろを向いて靴を揃えた。
あれから峰は駅で降りると、すぐに自宅へ電話を入れて、俺の家へ泊まることを家族に伝えた。
電話を切って10秒後に峰の携帯が鳴ったが、彼はそれには出ず、そのまま電源を切っていた。
液晶に出ていた名前は、妹のまりあちゃんだったように思うが、何しろ一瞬のことだったので、確証はない。
ただし、一緒に表示されていたツインテールの美少女は、間違いなく彼の妹だった。
・・・どうでも良いが、用途はともかく、妹の写真を持ち歩く兄貴というのもいかがなものか。
そして、電源を切られたあの携帯のメモリに、どのぐらいのバリエーションで、ほかの写真がストックされているのかも、非常に気になるところではあるのだが、深く追求すると目眩が止まらないので、話題としては忌避しておく。
・・・さて、自分の部屋へ入り、俺たちは中間の答え合わせを開始した。
そして、最近、俺の勉強に付き合ってくれていた峰のお陰もあって、どうにか赤点を免れた印象があった予感は、このとき確信に変わった。
「このぶんだと、平均もクリアするだろ」
古文と数学の、教科書と試験問題を鞄へ戻しながら、峰もそう言ってくれた。
本当に彼には感謝してもしきれない。
「じゃあ、そろそろ風呂の準備してくる。先、入れよ」
「ああ、悪いな」
時計を見ると、すでに10時を回っていた。
俺は一人で階段を下りると、まっすぐに風呂場へ入る。
浴槽に湯を張り、その間に朝食のメニューでも考えるつもりで台所に入ると、居間で留守電のランプが光っていることに気が付いた。
「あれ・・・冴子さんかな」
再生ボタンを押す。
『録音されたメッセージは3件です。10月19日、午後7時32分のメッセージです』
機械音のアナウンスが流れ、暫く無音が続く。
だが、人の声は聞こえてこなかった。
やがて、音声は2件目の録音に移る。
『10月19日、午後7時55分のメッセージです』
次も無音が続く・・・続くのであって、留守だと理解し、切っているのではない。
相手は電話を切らずに、黙ってこちらの様子をうかがっているのだ。
そんな無言が2分ほども続いて、再び切れた。
『10月19日、午後8時12分のメッセージです』
これもまた無言。
最後のメッセージは、今から約2時間前・・・俺たちが帰ってくる、少し前に残されたメッセージだ。
不意に電話が鳴った。
「っ・・・!」
受話器へ手を伸ばしかけ、その指先が震えていることに自分で気がつく。
俺は・・・怖がっているんだ。
「おい、電話鳴って・・・あ、風呂」
階段から下りてきた峰がリビングへ顔を出しかけて、踵を返し、風呂場へ入っていった。
そういえば、そろそろ湯が満水になる頃だろう。
少し後に電話も切れる・・・今度は留守電が流れる前に、相手から切っていた。
間違い電話だったのかもしれない。
「おい、湯が溢れていたぞ。・・・・・秋彦、どうかしたのか」
肩に手を置かれる。
「なんでも・・・ない」
「なんでもない奴が、なんでこんなに震えているんだ」
肩に置かれた手がすっと前へ回り、胸の前で交差された。
背中がふんわりと温かくなる。
「峰・・・」
「話してくれないか。いったい何があった。あの店員、知っているんだろう、お前?」
それから俺は、峰に促されてソファへ腰を下ろし、自分が感じた不安や、留守録のことを全部話した。
「気のせいだってことぐらいは、わかっているんだ。でも、どうしてもおにいちゃんのことが、思い出されて・・・」
そう言った瞬間、隣に座っていた峰が、俺の肩を強く引き寄せてきた。
「その言い方は、もうやめろ。お前に酷いことをした野郎を、そんな風に呼ぶな」
「あ・・・えっと、ごめん、峰・・・」
「前に原田さんから、霜月のことは聞いたよな」
「わかってる・・・霜月は、死体で発見された筈だ。だから、そんな筈はないって・・・わかってるんだけど、自分でも説明がつかないんだけど・・・」
あるいは、俺はどうかしてしまったのかもしれない。
いや、今までも、実はまともじゃなかったのに、今になってそれが表面化してきただけなのかもしれない。
覚えている限り、一度俺はフラッシュバックに襲われて、篤の前で取り乱した。
そんな俺に対して、篤は絶対に守ると言ってくれて、卒業後は一緒にチューファへ来てほしいと誘ってくれた。
何があっても、俺を放さないと・・・そう誓ってくれた筈なのに。
「ここにいるから」
「え・・・」
俺の肩を引き寄せていた方と、反対側の手がすっと伸びて、峰が俺を自分の胸へ引き寄せる。
「ずっと傍にいてやるから・・・・俺じゃ、ダメか?」
「峰・・・」
俺を抱きしめてくれるこの腕は、峰の物だ。
「お前が不安なら、ずっと・・・こうして俺が、隣にいてやる。お前の身も心も護るって・・・前にもそう言っただろう」
峰の顔が近づいてきた。
俺は焦って、彼の胸を押し返す。
峰の表情が一瞬曇った。
「その・・・ありがとな、峰。・・・風呂、冷めちまうからさ」
「そうだな・・・」
俺はソファから立ち上がると、クローゼットから、来客用のタオルを取り出した。
そして引き出しから、冴子さんが英一さん用に買い置きしていた、未使用のスウェットを見つけて、それらを脱衣所へ持っていった。
「ウェストがちょっとでかいかもしれんが、俺のじゃたぶん、丈が合わないだろうから・・・」
「悪いな、気遣わせて」
そう言って峰が服を脱ぎ始めたので、俺は脱衣所から廊下へ一旦出た。
だが一人になるとどうにも不安で、せめて峰の存在が感じられる場所にいたくて、彼が風呂へ入った頃に、再びそっと脱衣所へ戻り、出てくるまでそこで待とうと思った。
しかし。
「おい」
「うわっ・・・」
突然、風呂場の扉がガラリと開き、中から峰が顔を出す。
下は・・・当然だが全裸だ。
「そんなところにいるなら、一緒に入ればいいだろう」
引き締まった峰の身体。
篤のような逆三角形とはまた違うが、細身の体格なのに、筋肉質で腹筋が見事に割れている。
湯気に霞んではいたが茂みが目に入り、慌てて俺は顔を逸らした。
「ご、ごめん・・・部屋で待ってるから・・・、ちょっ、ちょっと峰っ!?」
後ろから手首を捕まれて、峰が俺を中へ引き入れようとした。
「いや、おかしいだろう絶対に! 一人になるのが怖いんだろう? なぜ素直にそう言わない。俺が相手じゃ、頼れないのか?」
「峰・・・」
「何もしないから・・・お前を見たりはしない。誓うから・・・ずっと後ろを向いているから・・・一緒にいればいいだろう」
「ごめん・・・峰・・・」
彼にそこまで言わせてしまったことを、このとき俺は、とても後悔した。
峰は純粋に俺を心配して、俺をこんなに思ってくれているのに・・・・。
峰に捕まれてない側の手で、俺はシャツのボタンを外していった。
指が、少しだけ震えた。
「あ・・・きひこ・・、お前いきなり・・・」
「悪いけど・・・手、放してくれないか? 服が脱げないから」
「あ、ああ・・・悪い。じゃあ、先、入っているぞ」
「ああ、すぐ行く」
その後、俺が風呂に入ると、本当に峰は壁を向いて浴槽に浸かっていた。
話がしたかったのだが、そういう雰囲気でもないので、とりあえずシャワーを浴びて、先に身体と髪を洗ってしまう。
ときどき浴槽を見てみたが、峰は向こうを向いたままだった。
肩が、だいぶピンク色になっている・・・あのままでは逆上せてしまうのではないだろうかと、少し心配になった。
「終わったのか?」
峰が聞いてきた。
やっと会話ができるかと、ほっとしたのも束の間。
「ああ、えっと・・・入るぞ」
俺が足を付けるや否や、ものすごい勢いで峰が出てしまった。
「じゃあ、今度は俺が洗うぞ。あっちを向いてやるから、お前はゆっくり浸かれよ」
そう言って、本当に俺に背を向けたまま、手早く身体と髪を洗い始めた。
そして。
「そろそろ上がるか?」
シャワーコックを締めると、峰が聞いてくる。
「うん・・・そうだな。峰はどうする? もう少し浸かっていくだろ?」
「いや、お前が上がるなら、俺も上がる。先に出ていていいか? ・・・脱衣所で待っているから」
「あ・・・うん」
俺が返事をすると、峰は先に出て行った。
結局、彼は本当に俺を一度も見ようとは、しなかったのだ。
脱衣所でもずっと俺に背を向けていた峰に、とうとう俺は呆れて声をかけた。
「もういいぞ」
「着替え終わっ・・・おい、秋彦、お前っ!」
またすぐに、峰が向こうを向いてしまう。
「なんだよ、ちゃんと前隠してんだから、そんな反応しなくても。っていうか、お前は堂々と俺に全裸を見せておきながら、なんで俺の上半身を見たぐらいで、そんなに恥ずかしがってるんだよ」
そもそも、修学旅行ですでに着替えぐらいは、お互いに見ていた筈なのだ。
確かに、あのときと今とでは、状況が違うかも知れないが。
「隠しているってお前、タオル一枚じゃないか! 着替えはどうした!」
「そんなこと言っても、俺はまだ入るつもりもなかったのに、お前が引っ張り込んだんじゃないか。だから部屋に行かないと、着替えられねっての。行くぞ」
「行くぞってそんな、フェイスタオル一枚で・・・せめてこれ着てくれ」
「お・・・おい、何すっ・・・うわっ・・・」
おもむろに峰がスウェットの上を脱ぎ、強引に俺に着せようとした。
そのとたん、腰の結び目が解けて、タオルが下に落ちてしまう。
「あ・・・わっ、悪かった!」
峰が大慌てで背中を向けた。
これほど取り乱す峰を見るのも、考えてみれば初めてのことかもしれない。
「いや・・・べつに、いいんだけどさ。俺は落ちたタオルを拾い上げ、もう一度腰に巻いた。
そこへすっとスウェットが差し出される。
「こ・・・これ、・・・着てくれ」
峰が向こうを向いたまま、後ろ手に差し出してくれていた。
「ああ・・・サンキュ」
俺はおとなしくそれを受け取り、上から被る。
スウェットは俺にはだいぶデカくて、尻が完全にかくれるほどの長さだった。
「着たか? ・・・あ」
峰は俺を見ると、またすっと視線を逸らした。
なんだか、妙な雰囲気になっていた。

 05

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