部屋へ入り、すぐに俺は着替えを出して下着とパジャマを身につけた。
またしてもずっと背中を向けたままだった峰に、俺は終わったと声をかけた後で。
「峰、布団敷くから、そこ開けてくれるか?」
「ああ・・・言ってくれたら、俺がやるぞ」
「いいって、隣から持ってきて敷くだけだから・・・よいしょっと」
隣の和室から、押し入れにある来客用の布団を一組持ってきて、それを俺の部屋へ敷いた。
峰はその様子をじっと見ていた。
「・・・・・・・・」
「なんだよ、そんなところに突っ立っていないで、どこかに座っていればいいのに」
「ああ・・・悪いな」
「いいっての、お客様なんだからさ」
俺は布団を敷き終わり、隣の部屋の電気を消して自室へ戻ると、峰はもう布団に入っていた。
「なんだよ、もう寝るのか・・・じゃあ電気消すぞ」
部屋を暗くして、俺もベッドへ入る。
途端にいろいろな考えが頭を駆け巡った。
こうして峰が隣にいること。
彼と風呂に入ったこと。
篤のこと。
俺はいったい、どうするべきなのだろう・・・。
そして、あの店員・・・・広中正純といっただろうか。
彼のこと。
霜月の顔はよく覚えていないが、あきらかに彼とは違った筈だ。
背格好は、俺が小さかったから判断し難い。
だが、あの店員の方が逞しいイメージがある。
何より、英一さんの話では、霜月は死んでいる筈なのだ。
それなのに、なぜこれほどまでに、あの店員が気になってしまうのだろうか。
俺を秋彦くんと、彼は呼んだ・・・。
あの直前に峰が俺を呼んでいたから、それで名前がわかったのであろうことは明らかなのに、その響きに俺はなぜ、これほどの胸騒ぎを覚えるのだろうか。
俺をじっと見つめていたあの視線。
イケメンだから、などと彼は言い訳をしていたが、そういう興味本位の視線ではなかった筈だ。
俺がこれほど不安を覚える理由は、彼が霜月ではないのかと、感じているからだ。
霜月が、おにいちゃんが、再び俺の目の前に姿を現したのではないかと。
かつて俺に近づき、母を、父を・・・死に追いやった、あの男が・・・。
「眠れないのか」
ふいに峰が聞いてきた。
その途端に、悶々としていた俺の思考は、煙のように霧散してゆく。
「ごめん・・・起こしたか?」
無意識に寝返りでも、打ちまくっていたのかもしれない。
「いや、俺も眠れない」
「そうか・・・」
「秋彦、手を出せ」
「え?」
ふと峰の方を見ると、ベッドの縁からにょきっと峰の手が飛び出していた。
暗がりの中ではあるが、窓から射し込むいくらかの外光に照らされて、峰がそれをひらひらと動かしているのがわかる。
「また、手を繋ごうっていうのか?」
少し呆れて、でも嬉しくて、そう言ってしまう。
そうすると、俺が安心するのだと、峰は理解しているのだろう。
「嫌なら別にいいんだ・・・よけいに眠れなくなるしな」
パタンと何かが布団の上へ落ちる音とともに、空中から峰の手が消えた。
確かに、上にいる俺は大丈夫だが、下から手を伸ばして俺と手を繋いだままじゃ、峰は眠れまい。
峰が寝返りを打つ音が聞こえた。
不意に俺はあることを思いつく。
どうしようかと躊躇って、だが、すぐに決心を固めた。
「峰」
「なんだ」
「そっち行っていいか?」
「え・・・・」
返事を待たずに俺はベッドから出ると、峰の布団へ入った。
そして、俺に背を向けている彼の背中に身を寄せ、手探りで峰の手を探し出そうとする。
「あれ・・・あ、あった」
「お前な・・・ったく」
肘から先を前へ回していた峰の手は、彼の胃の前辺りにあったようで、俺は後ろから抱きつくような形になっていた。
それでも手首の辺りまでしか届かず、結局峰の方から、下になっていた、反対側の手を伸ばし、俺の手を握ってくれたのだ。
その掌が、思いの外熱かった。
「なんか・・・脈、早くね?」
「誰のせいだと思っているんだ・・・」
「ひょっとして、狭い?」
「まあな。・・・っていうより、お前はさっきから俺を・・・いや、いい。もう寝ろ」
峰は何かを言おうとして、途中でやめた。
「何だよ、言いかけてやめんなよ」
「五月蠅いぞ。黙って寝ろ。明日遅刻するぞ」
「お前が起こしてくれるんじゃねえの?」
俺は遅刻などしょっちゅうだが、峰は特別な事情がない限り、遅刻も欠席もしていない。
するとしたら、大抵翌日は腕に包帯を巻いていたり、青い顔をして出てきている。
それがけして少ないというわけではないのが、災難塗れの彼の日常を物語っているのだが。
「お前が起こすんだ。俺は・・・たぶん、起きないか、起きていても睡眠不足でぼうっとしている」
「意味わかんね。寝ればいいじゃん」
「お前が寝かせてくれないんだろ。せめてお前だけでもさっさと寝て、明日俺を起こせ。委員長と副委員長が二人揃って遅刻したら、示しが付かんだろ・・・」
「なんでさ・・・ずっとそっち向いてんの?」
「お前な・・・」
峰の声がだんだん苛立っていた。
「こっち向けよ・・・俺と目を合わせてくれよ。な、・・・・祥一」
でないと、ちゃんと言えない。
気持ちを伝えたいから。
「・・・・のか?」
「え・・・」
声が低すぎて、俺は峰の言葉が聞き取れなかった。
「俺を煽って楽しいのかと言ったんだ」
「何・・・言って・・・ちょ、ちょっと峰っ・・・」
突然、峰はこちらを向いたかと思うと、俺の身体を跨ぎ、肩へ手を突いて見下ろしてきた。
「好きだと言った筈だ・・・俺はけして紳士的じゃないとも・・・」
「峰・・・俺はただ・・・お前に・・・」
見下ろす目は薄闇の中でさえ、今までに見たこともないほど、野性的なものだと感じられた。
全身から放っている気迫が、いつでも冷静で、感情をあまり表にださない彼のものとは全く違う。
「俺に何だ・・・さっきは祥一と呼んだと思えば、また元に戻すんだな・・・怖くなったのか・・・」
「そうじゃなくて・・・ありがとうって俺は・・・」
「ありがとう・・・だと?」
峰の表情が和らいだのがわかった。
俺は肩に置かれた彼の手の甲に、片手だけ掌を重ねる。
強く捕まれたその部分が、少しだけ痛かった。
「ああ・・・呼び方は、勘弁してくれよ。慣れてないんだからさ。・・・気を悪くさせたのなら謝るから・・・それと、ここ・・・あまりきつくされると、痛い・・・」
「あ・・・悪い・・・」
そう言って峰は俺の上から漸く退いて、隣へ腰を下ろした。
俺も上半身を起こして、少し丸めた峰の背中へ、寄り添うように座る。
「なあ、み・・・・祥一、本当は目を合わせて、ちゃんと伝えたかったんだけど、言っちゃうな。・・・いろいろ本当にありがとう。凄く感謝してる・・・俺がいてほしいときに傍にいてくれて、怖がっている俺を抱きしめてくれて、今だってさ・・・こうして、黙って俺に背中を貸してくれて」
峰の気持ちはわかっていた。
だからこそ、俺は本当に彼に感謝をしなければならないのだと思った。
結果的に俺の態度が煽ったのだと、彼から責められるのは仕方がないかもしれない。
彼の気持ちを利用しているのかもしれない。
それでも、峰は自分の気持ちを押し殺しながら、こうして俺の傍にいてくれている・・・そんな彼に、俺は心の底から感謝を伝えたかったのだ。
そして・・・俺は、少しだけ、揺らいでいた。
今こうして俺と共にいてくれるのは、峰祥一なのだ。
「俺は・・・・それだけじゃ、満足しないかもしれないぞ」
「だったら・・・したいことを、してみないか?」
「本気で言ってんのか」
「ああ。・・・ただし、明日はお前を起こせないかもしれないぞ」
「そのときは、揃って遅刻するしかないな」
そう言って、峰はもう一度俺を布団へ寝かせ、その上から覆い被さってくると、口唇を重ねてきた。

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