というわけで峰に付き合い、目の前でじっと座っていた俺は、30分後ラーメン屋へ向かっていた。
「天王(てんおう)のラーメン餃子セット以外、絶対認めねーからな」
「何を頼んでくれても構わんぞ」
絵の出来がそこそこ満足のいくものだったらしく、峰は無表情ながら言葉の上ではえらく気前が良かった。
彼はまず、授業中に描いた俺の頭を全て消すところから始めた。
そしてモデルさんと全く同じ角度で俺を座らせると、頭の部分だけ一から描き直した。
英一さんはそこまで言わなかったが、峰自身はモデルさんの身体と俺の頭の微妙な角度の違いがどうやら気になっていたようだった。
というより、そもそもそんな発想をすること自体、普通じゃ考えられないのだが。
しかしながら30分後にほぼ仕上がった絵は、確かに矛盾点が修正されて、先ほどより自然な感じに仕上がっていたが、自分の頭が乗った和服美人を見るのは、やはり妙な気分だった。
「光の角度が顔と身体で矛盾している・・・出来れば身体も描き直したい・・・」
そう言って峰がもう一度、じっと俺を見る。
彼が次のセリフを口にする前に、俺は自分から言わざるを得なかった。
「いくら積まれても女物の着物を着る気はないぞ」
「そうか・・・」
デフォルトが目つきの悪い無表情の峰だ。
けして残念そうな顔はしなかったが、声にそれが間違いなく出ていた。
「眩暈がする・・・」
信号が青になった。
「寝不足か? カモミールティーがよく利くらしい」
「情報どうも」
駅前通りを横断し、臨海公園駅前商店街へ入ると、入り口に建っている『天下王将』の暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ!」
複数の店員による威勢の良いやまびこ挨拶が迎えてくれる。
夕方4時半を回り、店内は下校途中の高校生で結構賑わっていた。
「カウンターでいいか?」
俺が頷くと、峰が端の席へ腰を下ろし、俺も並んで丸椅子に座る。
席に着いてすぐに目の前へ水とお手拭きを差し出され、峰がラーメン餃子セットを二つ注文した。
「あ〜・・・」
椅子に座っていただけとはいえ、30分間じっと同じ姿勢をとっていたせいか、首や肩が結構ガチガチだった。
蒲公英さんが俺達の前でポーズをとっていた時間はもっと長い。
絵画モデルって結構大変な仕事なんだな・・・、などと思いながら、俺が首や左右の腕をグルグルと回していると、不意に峰が立ち上がり俺の真後ろに立った。
「凝ってるな」
突然、肩に峰の両手が乗ってマッサージが開始される。
「いや、・・・それは必要ない」
防衛本能のレーダーがなぜか急作動し、貞操領域侵犯の危険性を感知した俺は、慌てて身を捩ると峰に即時撤退を勧告した。
「そうか? 遠慮することないぞ?」
「どうか、ご心配なく・・・」
そう言うと、峰は大人しく席へ戻った。
一条篤(いちじょう あつし)だけでも手を焼いているのに、これ以上妙なヤツが増えたら流石に学校生活へ支障が出る。
しかしながら席へ戻った峰は相変わらず無表情でテレビを見ていた。
何を考えているのか、さっぱり判らない。
本当に凝りを解してくれようとしていただけなのだろうか。
だがつい先ほど、俺を和服美人に仕上げた男だぞ?
峰は・・・謎だ。
まもなくラーメン餃子セットが運ばれてくる。
天王のラーメンは美味い。
餃子は城西(じょうさい)駅前の『餃子の銀将』の方が大きくて好きだが、今日の焼き具合はなかなか良い感じだ。
食べている最中のこと。
「ん?」
不意に峰がテレビを見ながら低い声を発すると箸を止めた。
「なんだ? ・・・ああ、昨夜の試合か。石見がゴール決めたんだよな、ディフェンダーなのにすげーよな」
それはエスパニアリーグで活躍する、日本人選手のゴール映像だった。石見由信(いわみ よしのぶ)はエスパニア東部の街、チューファに本拠地を置くラナFCで5年前からプレーしているが、7年前までは何を隠そうこの泰陽市のクラブチームである太陽電光FCで活躍していた。
生まれ育ちも泰陽市。
つまりこの街が生んだスターなのだ。
対戦チームは、銀河軍団レアルブランコだ。
金にものを言わせて寄せ集められた豪華な守備陣を、ラナの小柄なミッドフィルダー、春日甚助(かすが じんすけ)や、俊足の東照宮小次郎(とうしょうぐう こじろう)が抜群のコンビネーションで引っ掻きまわし、敵の守備が崩れたところで背後から上がっていた石見がレンジの長いシュートを、ゴールの片隅へ鋭く決めた・・・。
あのレアルブランコへリーグ下位のラナが一矢報いた痛快な瞬間だが、何よりそれを日本人選手達が息の合ったプレーで魅せてくれたことが、さらに嬉しいじゃないか。
とくに財政難による太陽電光FCの解散を受け、出て行くしかなかった石見の事情を知っている俺達、泰陽市民にとっては本当に感慨深い一瞬だった。
もちろん俺も、昨夜のこの試合は夜中にテレビで見ていて、ゴールの直後に、テレビの前でガッツポーズを決め、次の瞬間、五月蠅いと冴子さんに叱られた。
「それにしてもカッコいいゴールだよな・・・惚れ惚れするぜキャプテン」
そう、石見は日本人でありながらラナでキャプテンマークを付けている。
チームメートに祝福され、興奮するラナのサポーター達の熱い歓声を受けている郷土の英雄を、俺は心の底から誇りに思った。
「あ、いやそうなんだが・・・気のせいかな。今、一条がいたような」
「は?」
俺は思わず店内を見回す。
「違う、スタンドだ」
すかさず峰がテレビを指さした。
そんな馬鹿なと思い、俺はもう一度テレビを見る。
すると、スポーツニュースだと思っていたそのテレビ番組がスタジオ映像に切り替わり、現地の新聞に載った決定的なスクープ写真をカメラがアップで映しだした。
「・・・・・」
俺は声を失くす。
「やっぱりそうだ」
それは石見が所属するラナFCの熱狂的サポーターとしても有名な、エスパニアの若手女優、リタの熱愛報道だった。
リタは日本通としても知られ、最近は日本でも雑誌やCMでよく見かけるようになっていた。
映画やドラマのヒット作品も数多いが、まだ19歳で、どちらかというと女子高校生や中学生に人気がある、ファッショナブルで可愛らしい感じのアイドル女優だ。
そのリタが男と二人きりでサッカースタジアムへ訪れたということで、どうやら騒ぎになったようだった。
しかも衛星中継を通じて、一気に世界へ配信されてしまったわけだ。
担当カメラマンは今頃社長賞か始末書のどちらかだろう。
スタジオのアナウンサーは伝える。
「リタは日本好きとして有名ですから、これはおそらく日本人男性でしょうかね・・・いやあ、驚きました」
驚いたどころの騒ぎじゃない。
「何やってんだよ、アイツ学校休んで・・・」

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