この日、伯母の冴子(さえこ)さんは仕事で帰りが遅くなり、俺達は出前をとって済ませることになった。
夕食後、俺は一旦部屋へ戻り、一人でゲームをしていると。
「へぇ〜、結構片付いてんのね」
「え!? っとと、うわぁっ・・・」
派手に椅子から転げ落ちた。
「大丈夫?」
春江さんに助け起こされる。
そのまま、春江さんは俺の部屋へ居座り、カーペットのまん中であぐらを掻いて座り込んでしまった。
「ありがとうございます・・・っていうか、せめてノックぐらいしてほしかったっす」
「いやぁ、ごめん、ごめん」
まったく反省していなさそうな笑顔が返って来た。
どうやら先にお風呂に入って来たらしい春江さんは、持ってきた缶ビール片手にしみじみと俺の部屋を見回している。
「まあ、いいですけど・・・」
俺はゲームをセーブして椅子を回転させると、彼女の方を向いた。
日曜の間に掃除して、ヤバイもんを全部片づけておいてよかったと胸を撫でおろす。
やたらとクローゼットの扉へ意識が行った。
まあ、見られる展開は考えにくいのだが・・・扉のすぐ向こうは、見るからにアレなタイトルのゲームソフトとDVDが整然と並んでいる。
基本的に原田家のプライバシー保護は、厳格に守られる方なので、こんな展開は予想が付かず、住み心地を重視しすぎて理想的な部屋作りに励んでしまった自分を、俺は少しだけ呪った。
それにしても。
ウェーブの掛ったぬれ髪に、ゆったりとしたオフホワイトのTシャツとスウェットのハーフパンツ。
しかもまた下着を付けていないように見える。
さらにTシャツは、ところどころ、髪から落ちてくる雫が肌の色を透かせていて、・・・下には英一さんがいるとはいえ、俺と部屋に二人きり。
そういえばなんだか、さっきから階下で物音が消えている。
「どうかした?」
春江さんが聞いて来る。
「いや、英一さんは・・・何してるのかなぁ、なんて」
「さっき画材買いに行くって出て行ったわよ」
。*・゚:✝*・゚ 脱 ☆ 童 貞 ゚・*✝:゚・*。
脳内で天使の祝福が聞こえた気がした。
少々、無理矢理なシチュエーションすぎる気もするが、これはもう、どう考えても筆おろしフラグでしょう。
ああ、純潔の神様、約17年間俺を見守ってくれてありがとうございました。
秋彦は今夜、大人になります。
「ねえ秋彦」
「えっ、あ、はい・・・」
この展開で、いきなり呼び捨てである。
年上っていいなぁ。
「こっち来て座んなよ〜」
ハイハイ、来ましたよ。
そう言って春江さんは、カーペットの前をバンバンと叩く。
俺は圧倒されっぱなしだ。
カーペットにとりあえず正座する。
さきほどやっと寝かせつけた聞き分けのない息子が、また起きそうで落ち着かない。
「え、えぇと・・・」
目がどうしても胸に行ってしまう。
「ふふふ・・・」
春江さんは俺の顔をしばらくニコニコと見ていた。
だいぶ酔ってそうだなあと思いつつ、俺も彼女を見る。
英一さんによると、今年29歳になったという春江さんは、化粧を落としても、まだまだ本当に綺麗な人だった。
色白で、くっきりした二重の目蓋に長い睫毛がクルンと上を向き、目じりに目立つ黒子がひとつある。
そして、ほっそりとして筋の通った鼻に、ピンク色の薄い唇。
ふと首を傾げると、俺を見て春江さんが柔らかく笑った。
懐かしそうに目を細めるその表情が、なぜだか一瞬、古い記憶と重なる。
まただ。
「本当にそっくりね・・・」
「えっ」
何と?
「ううん、なんでもない」
そう言って、缶ビールをゴクリと煽ると。
「秋彦、アンタ童貞?」
「はいっ!?」
今度はいきなり何だ!
「う〜ん、その反応はやっぱり童貞だな。よしよし」
「いや、まあ仰る通りですが・・・」
会話で判るもんなのだろうか。
「最近の子は早いって言うからさぁ、お姉さんちょっと心配だったんだよ、秋彦もそうなのかなって」
「はあ」
なんでこの人に心配されちゃうんだろうか。
というか、なんだか予想と違う展開になってきた。
俺の筆おろしは・・・。
「好きな子はいるの?」
「いやぁ、どうかなぁ」
「照れちゃってこの、このぉ! 可愛いぞ!」
春江さんは俺の首に腕を巻きつけると、ぐいっと引き寄せて、缶を持った手に人差し指だけを立てて、俺の脇腹をツンツンと突いてきた。
薄いコットン越しにおっぱいが容赦なく押し付けられています。
筆おろしもままならない展開で、理性の砦だけが、一気に崩壊の危機にさらされる俺・・・生殺しだ。
「あ、あのですね・・・ええと」
俺は、さすがに少し離れた。
白い布にうっすらと映りこむ乳首の影。
神様の意地悪。
「ふふふふ」
意味ありげに笑う春江さん。
やっぱりわざとだろうなぁ。
からかわれてんのかなぁ、俺。
「じゃあファーストキスもまだ?」
「えっ」
一瞬で頭に一条の顔が浮かんだ。
「おぉっ、その反応は!?」
春江さんの目がキラキラと輝く。
また俺にすり寄って来た。
「よしよし、正直に話せ! ほらぁ、相手は誰よ、今日一緒にいた子? あのおかっぱで委員長タイプの?」
「いや・・・江藤は、そんなんじゃないけど・・・」
だから当たってますってば。
「う〜ん、じゃあ誰だ〜? 他校の子? それとも誰かの妹とか、そんなのか? あぁもう〜じれったいなぁ、早く話しちゃいなよぉ!」
「いや、全然そういうんじゃないんだけどね・・・なんていうか、よく判んないうちに済ませちゃったって感じで・・・」
「ほー、そうかそうか、で、どんな子? 可愛いの? それとも美人タイプ?」
「いや、全然・・・強いて言うなら、犬タイプ」
「犬っぽいかぁー。で? いつ?」
犬にはツッコミなしですか・・・というより、どうしてそんなに嬉しそうに聞くのか、俺には不思議だった。
けど、俺にファーストキスの思い出を語らせる春江さんには、まったくからかっているような雰囲気はなく、純粋に嬉しそうに俺の話を聞いていて・・・まるで、子供の成長を愛でる母のようで。
まただ・・・。
「つい最近。・・・いきなりキスされて」
「積極的な子だなぁ〜・・・で、秋彦もその子のこと好きなんでしょう?」
「えっ・・・」
俺は思わず絶句した。
春江さんは相変わらず、ニコニコと聞いていて。
「いやぁ、それは・・・どうかなぁ」
「この、このぉ! よっ、色男め!」
また俺の腹を突くのだった。
「はははは・・・ねぇ、春江さん、それより春江さんの話聞かせて下さいよ」
俺は彼女の腕からモゾモゾと逃れると、話を変えた。
このまま質問攻めに遭っていると、正直何を喋ってしまうか判らない雰囲気だった。
「いいよ〜、何でも聞いて」
「よし、言ったな」
俺にさんざん恥ずかしい思いをさせた仕返しをしてやる。
「えとね、えとね、じゃあ春江さんのファーストキスはいつ!?」
「13」
「うへぇ、結構早いじゃないっすか」
「まあアンタよりはね」
「じゃあね、じゃあね、は・・・初体験は?」
さすがに殴られるかと思った。が。
「11」
「へ!?」
春江さんはニコニコ笑っていた。
「だから、11だよ」
ニコニコ笑っていた・・・いや、よく見ると、目は笑っていない。
「えと・・・マジですか?」
「マジ」
これは・・・どう返せばいいのだろうか。
俺が躊躇していると、春江さんの視線がすっと逸れて、部屋の入り口に注がれる。
そして、軽く会釈して見せた。
俺は後ろを振り返ると、見たこともないような冷たい表情をして立っている、冴子さんと目が遭った。


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