二日掛けてチョコレートをほぼ返却した。 「ひとつだけ、あなたの夢をかなえます。」 何だろうこれは。
「困ったな・・・」
しかし、ただ一つだけどうしても差出人が判らないチョコレートが手元に残ってしまった。
仕方なく包みを開けることにする。
「中に手紙とか入ってるといいんだけど・・・」
ピンク色のシンプルな包装紙を開けて、四角い箱を取り出す。
メーカー名が入っていないところを見ると、手作りだろうか。
蓋を開けるが、そこにもカードの類いは見当たらず、しかし蓋の裏側に何か文章が書いてあるのを発見した。
夢を叶える・・・チョコレート?
この文章からも残念ながら、差出人の心当たりは思い浮かばない。
これをいつ貰ったのか、・・・手渡されたのか、靴箱や机に置かれていたものかということさえも、どういうわけかまったく覚えていない・・・となると。
もう返却出来る見込みはなさそうだった。
諦めてしまうと、トリュフチョコっぽいその粒を僕は一個口へ放り込んだ。
夢を叶えてくれるチョコレート、だという。
夢。
僕の夢なんてひとつしかない。
こんなもので叶えられるというのなら、苦労はしない。
僕の夢・・・それは秋彦と結ばれ、この先もずっと一緒にいられること。
秋彦へ少しでも近づく為に、中3の夏、僕は生れて初めて親と喧嘩をした。
これまで口答えをしたことすら、一度もなかった。
城陽へ進学したいと言った僕を、父は理由も聞かずに殴り飛ばした。
助けてくれたのは祖母だった。
女学院時代の城陽の卒業生である彼女が援護してくれたお陰で、僕は城陽に進学でき、父とはその頃から険悪になった。
もともと僕は父があまり好きではない。
だが一人息子として生まれた以上、人生の選択権は僕にはないし、城陽を卒業すればまた父が敷いたレールに戻ることもわかっている。
今だけが、僕が僕で居られる時間なのだ。
その後も祖母の計らいで秋彦とずっとクラスメートとして過ごせているし、たぶん、4月からも・・・。
これは秋彦には内緒のことだ。
彼こそが僕の全て、世界の全てなのだ。
僕の夢・・・。
たとえばそれは、目が覚めるとまだ隣で眠っている可愛い秋彦がいる、そんな朝。
そして僕は彼に目覚めのキスをする。
むずがりながら、夢うつつの秋彦に僕はこう言うのだ。
「おはよう、ハニー」
徐々に意識がはっきりしてきた秋彦が、恥ずかしそうにシーツで顔を半分隠す。
「何すんだ、馬鹿野郎・・・・おはよう、ダーリン」
後半部分の言葉は気を付けていないと気がつかない、小さな宝石の煌めきのようなもの。
僕はその宝物を毎朝受け取ってから起き上がると、シャワーへ向かう。
髪を拭きながら浴室から出て来ると、僕が昨夜寝室で脱ぎ散らかしたままにしていたワイシャツを、なぜかキッチンで発見するのだ。
華奢な肩からそれを羽織っている秋彦が、僕の為に朝食を作ってくれている。
彼には随分と大きなそれだけを素肌に纏って、健気にキッチンへ立っている愛しい背中を、僕は後ろから驚かすように抱き締める。
「昨夜は無理をさせたね、もう起きても平気なのかい?」
耳元で囁き、首筋にキスをひとつ。
そこには、すでに昨夜僕が付けたキスマークがいっぱいだ。
「馬鹿っ、危ないだろ・・・さっさと着替えて来いよ」
フライ返しを片手に僕の悪戯を非難して来る秋彦の顔は、熟したリンゴよりも真っ赤だ。
言われたとおりにちゃんと服を着てからキッチンへ戻ると、テーブルの上には彼の手料理がズラリと並んでいる。
「朝から凄いね」
「べ、べつに・・・お前の為に作ったわけじゃないぞ。俺が腹減ってただけで・・・」
「たしかに、昨夜は沢山運動したもんね」
「アホか、朝から何考えてんだ! さっさと食えよ、遅刻してもしらねーぞ」
料理はけして上手ではない。
それでも僕のために一生懸命に作ってくれた彼の手料理なら、何よりの御馳走だ。
焦げて原型の無くなった目玉焼きに、大雑把な切り方の野菜サラダ、茶色いポタージュスープ・・・自分に用意されたそれらのメニューを、僕は全て胃におさめてから立ち上がる。
「美味しかったよ、ハニー」
「無理すんな・・・嫌味かよ」
うっすらと悔し涙を浮かべて不貞腐れる秋彦の頬に口付けながら、僕は告げる。
「何言ってるのさ、僕にとっては最高の朝食だったよ・・・だって、君の愛がいっぱい詰まっているんだから」
「キモイんだよ、ざけんな・・・」
強がる秋彦の生意気で愛らしい唇を塞いだ、朝から何度目かのキス。
「じゃあ、行ってくるねハニー」
「行ってらっしゃい・・・あ、待てよ」
玄関から出て行こうとして僕は途中で足を止めると、家の中を振り向く。
愛妻は、何故だか少々不満顔だ。
「なんだい、ハニー?」
「・・・・す」
「す?」
「・・・行ってきますのキス!」
「えっと、だから今・・・」
「あれは御馳走さまのキスだろーが、いちいち言わせんな!」
こういうときの秋彦は何を言っても聞かない。
むきになっていて、いつも我儘いっぱいなのだ。
甘くて、可愛くて、抱きしめて、いくらでもキスしたくなるような・・・・そんな我儘。
僕はわざとらしく溜息を大きく吐くと。
「わかったよ、ハニー、こっちにおいで」
「ん・・・」
頬を膨らませながら、僕のワイシャツ一枚の秋彦が近づいてくる。
僕は慌てて、もう一度ドアを閉めた。
こんな姿で外へ出られたら、目も当てられない。
ただでさえ近所で評判の、可愛い奥さんなのに、変な虫がついては大変だ。
「じゃ、行ってきます」
そう言って秋彦に、もう一度しっかりとキスをする。
唇が離れると同時に赤くなった顔を隠すようにして秋彦が俯き、そして上目づかいに僕を見た。
堪らない。
「い、いってらっしゃい・・・早く、帰ってこいよ」
「判ってるよ」
「絶対だぞ」
「はいはい」
そろそろ急がないと遅刻をする。
「あ、おい・・・」
玄関のドアノブに手を掛けたところで、また呼びとめられた。
さすがに参った。
「今度はなんだい?」
「えっと・・・今日はお前の好きなチューファ風パエージャを作るから・・・ちゃんと帰る前に電話しろよ」
おやおや、本当に作れるのだろうかと思う。
でも、どんなに失敗しようが焦げて炭になっていようが、全部食べてやる。
そんなの当然だ。
秋彦が僕のために作ると言っているのだから。
「わかってるよ、ちゃんと電話する」
実は毎日してる。
1時間おきに。
「ああ」
「じゃ、本当に行くね」
「お、おい篤・・・」
しかし、またドアを閉めようとしたところで、呼び止められる。
さすがに叱るべきだろうかと思うが、飛び出してきた秋彦に抱きつかれては、大きな声を上げるわけにはいかない。
「どうしたんだい、秋彦?」
「えっと・・・気ぃつけて行けよ?」
「わかったよ、ありがとう」
そう言って、もう朝から数えてそろそろ二桁目に入り掛けているキスをする。
そして耳元でこう囁いてやる。
我儘な彼へ、僕のちょっとしたお仕置きだ。
「今夜も子作りしようね」
そう言うと、秋彦は真っ赤になって「バカッ!」と怒鳴りつつ、しかし離れぎわに小さく頷くのだ。
御近所の奥さん方が、「いつもお熱いですわね」などと冷やかしているのが聞こえてきたが、そんなの少しも気にならない。
僕の腕の中には愛しい秋彦がいる、それだけでいい。
そんな感じで僕と秋彦のスイートホームは、いつも朝を迎えるのだ。
「おまえ校門前でチョコ食いながら涎垂らして何やってんだ? きったねーな」
秋彦の冷たいツッコミに僕は我に返る。
いつのまにか手に持っていた、不思議なチョコレートは完食していたようだった。
なんとも言えない、幸せに満ちたひとときだった・・・。
「あ、原田・・・一緒に帰ろうよ」
「涎拭いてからな。恥ずかしいぞお前」
言いながら秋彦が制服のポケットからハンカチを取り出し、僕の口元をゴシゴシと拭いてくれた。
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