『二人』

 

「FLOWERS・・・お花屋さん?」
臨海公園駅前商店街の中ほどにある、真っ黄色に塗られた建物の前に立ち、周囲半径10メートルほどの広さで拡散しているスパイシーな香料の匂いを嗅ぎながら、それでも江藤里子(えとう さとこ)は聞いてきた。
「いいや、どう匂ってもカレー屋さんだろ。なんでこの名前なのかは俺に聞いてくれるなよ。入るぞ」
「でも本当にいいのかな、あたしまで奢ってもらっちゃって。直江君に悪くない?」
「ちゃんと許可とってあるから大丈夫だろ・・・おっ。心配なら本人に聞いてみ」
忙しそうに動き回っていた従業員たちが俺たちに気が付き、いらっしゃいませと元気よく声を掛けてきて、そのうちの一人がカウンターの奥から手を振ってきた。
「よお、来たか! どうぞ、どうぞ、ここ空いてるよ〜」
黄色い半袖のスタンドカラーのシャツを着て、茶色いバンダナを海賊のように頭へ巻いた直江勇人(なおえ はやと)は、カウンターの端の方から素早く空いた皿やグラスを片づけて二人分の席を準備してくれた。
「二人とも、いらっしゃいませ!」
チェック柄のダスターで汚れを拭きながら、直江が歓迎してくれる。
一連の動作がスムーズだ。
結構、長いのだろう。
「おう」
スツールへ腰を下ろしながら、俺、原田秋彦(はらだ あきひこ)もカウンターの向こう側へ立っている直江に軽い挨拶を返す。
カウンターの奥には、まん中にロゴペイントが入っている大きなガラスの仕切りがあり、厨房になっているその奥のエリアにも、数名のスタッフが仕事をしていた。
見たところ従業員は全員男で一人は俺達と同年代、一人は大学生ぐらいで、もう一人は30代後半から40代前半・・・この人が責任者だろうか。
全員が直江と同じ格好をしているところを見ると、どうやらこの個性的な装いが正式な制服の着方のようである。
「原田は大盛りカレーだったよな。江藤も・・・あー、同じでいいな」
「ちょっと、何で断定口調なのよ! 普通でいいわよ、普通で」
「遠慮しなくていいぞ。なあ、直江?」
「うん! 俺、店長に気に入られてっから」
「遠慮してない! ・・・っていうか、本当にあたしまで奢ってもらっちゃっていいの?」
「いいよ。その代わりデート1回」
「えっ・・・!? そ・・・、それはちょっと」
江藤が赤くなりながら、助けを求めるように俺へ視線を移す。
「原田と」
直江もこちらへ視線を送ってきた。
「えぇっ・・・!!!??」
「いくらだ直江、全額きっちり耳を揃えて払わせていただく」
直江と俺の顔を何度も見比べてキョロキョロとしている江藤の横で、俺は財布をとりだして支払いの意思を見せた。
「な〜んてねっ、冗談だよ。プププwww 店長〜、ツー大盛り!」
「あいよ〜、ツー大盛り!」
直江が厨房へ向かって注文を叫ぶと、即座に威勢のいい応答が返ってくる。
「あたしの立場はどうしたらいいのよ・・・」
「気にすんな、冗談だって言ってただろ。それより、お前大盛りになっちまったけどよかったのか? あ・・・まあいいか」
「とことん気ぃ悪いわ・・・、うわっ!」
半身の姿勢になって怒鳴った江藤が、何かに気付いて妙な叫びとともに仰け反った。
「まったく、人里に下りて来たイノシシが店内でブーブーと五月蠅いですわねぇ」
俺にはイノシシなんてどこにも見えないわけだが・・・この声は。
「よしなさいよ、山崎・・・」
「よお、お前らいたのか」
俺は真後ろのテーブル席でカレーを食べていた、城南(じょうなん)女子学園高校の山崎雪子(やまざき ゆきこ)、佐伯初音(さえき はつね)、小森(こもり)みくに声を掛けた。
「ごきげんよう、原田さん」
山崎が挨拶を返してくれる。
「こら、あからさまにあたしを無視するな!」
「あら、冬眠から目覚めたばかりのイノシシかと思えばか江藤里子じゃないの。あんまりブーブーと五月蠅いから、てっきり人語を喋るイノシシかと思いましたわ」
「誰がブーブーよ! だいたいゴールデンウィーク明けまで冬眠してるイノシシがどこにいる! そっちこそ、こんな所で何してるのよ」
「あのな、江藤・・・」
どう見てもカレーを食っているし、そもそもイノシシは冬眠しない。
ツッコミどころを見事に間違えている江藤に、俺は言いかけたが、まるで聞こえていないようなので途中でやめた。
一旦戦闘モードにはいったこの二人の舌戦へ、下手に口を出せばいらないとばっちりを貰うのが関の山だ。
江藤と山崎の因縁は結構長い。
元々二人は城南女子学園小学校の同級生であり、同じ道場で剣道をしていたライバルでもあった。
その後、江藤は剣道を続けるために俺と同じ城陽(じょうよう)学院中学へ進学して、山崎は肘の故障が原因で現在に至るまで剣道を止めているが、当時からのライバル関係は今なお続いているらしく、二人は街で顔を合わせるたびに、ひとしきり喧嘩をしてからでないと別れないという、散歩中に他の犬にあった縄張り意識の高い犬同士のようなことを繰り返している。
もっとも、本当に険悪なら口も聞かないだろうし、一度は国立公園の遊歩道で山崎が落とした鞄を拾うために、真っ先に急斜面を駆けおりていった江藤を俺は見ている。
つまり二人の場合は、喧嘩をするほど仲が良いというやつの典型だと思われるのだが・・・一旦始まった喧嘩は、一通りやりあわないと収まらないらしいことも、最近段々とわかってきて。
先ほど山崎を止めようとした佐伯が、長い溜息をひとつ吐いた。
俺と同じことに気が付いていたらしく、どうやら佐伯はすでに諦めの境地に入ったようだ。
「ごらんになってわかりませんこと? あたくしたちは、崇高なる城南女子学園高校オカルト研究会の活動中ですわ。人里に下りて来たばかりの野生動物には難しかったかも知れませんわね」
高飛車な口調で山崎が偉そうに言うと、コホンとひとつ咳払いをしてみせた。
彼女にとってオカルト研究会とは、崇高な知的探求の場以外の何物でもないようだった。
「なんでこんなところでやってんのよ、学校でやりなさいよ。・・・あ、そうか! 同好会だから部室なんてないのか! 可哀相ねぇ〜」
江藤はもう動物呼ばわりについて否定しないらしい。
「違いますわ! フィールドワークの帰りに、ちょっと立ち寄っただけよ。あ〜あ、騒々しい客のせいで、せっかくの午後の優雅なひとときが、台無しですわ」
「まさか大盛りカレーを食べながら、優雅なひとときを過ごしている山崎雪子が、真後ろにいるとは思わなかったのよ、五月蠅くして悪かったわね」
「誰が大盛りよ! あなたと一緒にしないでくださる?」
顔を真っ赤にしながら山崎が言った・・・ぼちぼち江藤よりも、余程騒音になっていると思うのだが、それにしても・・・。
江藤といい、山崎といい、外で大盛りカレーを食べることは、女の子にとってそんなに恥ずかしいことなのだろうか。
この辺りの感覚は、ちょっと理解し難い。
「ああ、違ったの? じゃあ1時間食べ放題の方か」
「おいおい勝手にメニューを・・・」
思わずツッコみながらカウンターの奥をよく見ると、本当に書いてあった。
「1時間食べ放題・飲み放題で900円ってすげー安いな」
大赤字だろこれ。
「あいよ、大盛り二つお待ちどう。・・・ん、何だい。テーブルのお嬢ちゃん達、食べ放題のお客さんだったのかい?」
「あ、どうもすいません・・・頂きます」
店長らしきおじさんが大盛りカレーを俺たちの前に置いてくれたので、さっそく食べることにした。
大盛りというだけあって、横幅約30センチ、深さ5センチ程の楕円の器に、美味しそうなカレーとご飯がたっぷり入っている。
店長はカウンターの下から伝票を取ると、続いて後ろのテーブル席に座る山崎達に、メニューを再確認した。
「ち、違いますわっ!!!」
「えー、そんなのあったの? だったら私、そっちの方がよかったな・・・」
「初音さまが食べ放題に変えるなら、みくも変えますぅ〜」
佐伯と小森のメニューチェンジを受けて、店長がさっそく伝票を修正した。
この二人は江藤や山崎が気にしていたような問題を意識していないようだった。
つまり男の目、ということなのだろうか・・・まあ、深くは追求すまい。
それにしても長身の佐伯はともかく、小柄な小森は本当にカレーを何皿も食べられるのだろうか。
見た目は一皿が精一杯という感じのようだが・・・。

 02

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