旧校舎の取り壊し自体は、実は結構前から決まっていた。
それこそ俺達が生まれるよりも前から。
ここ数年は工事業者が定まらず計画そのものが中断していたが、その理由がこの土地に眠る数々の伝説による事故発生を恐れたせいだという。
それでもプール建設計画を数十年来先延ばしにしてきた学校は、この機に東京から霊能力者を呼び寄せ、その助言に従って黄金色に輝く祠を校庭に建てて、その周りを四季の花々で埋め尽くし、全員で校歌を斉唱して、魑魅魍魎たちの怨念を鎮め、ようやく悲願のプール建設を再開することに決めたらしい。
・・・と、生徒会副会長をやっている3年D組の真田英機(さなだ ひでき)が、委員会で神経質そうに目元をピクピク震わせながら小声で報告していた。
人生の半分が冗談で生きているように見える生徒会長の明智信子(あけち のぶこ)ならともかく、クソ真面目な真田の発言だっただけに、一堂に会したクラスの代表達がツッコむのも忘れて、アングリと口を開けながら聞いていたものだ。
「げ〜っ、なんだよこの埃・・・げほっげほっ」
「俺達が生まれる前から誰も入ってないらしいからな・・・むしろ床板が腐ってないかを心配したほうがいいぞ」
そう言いながら、峰が書架の石波文庫を黙々と抜き出して行った。
「あ、峰と原田。悪いがお前らは司書室の方を手伝ってくれないか」
作業監督をしていた学年主任の仙頭次郎(せんどう じろう)先生に声をかけられて、俺と峰は図書室の受付カウンターから奥の部屋へ入る。
「なんだ雪島、ここお前一人なのか?」
「あ、原田君、峰君助かった。手伝ってくれるの?」
雪島朱音(ゆきじま あかね)はC組の委員長。
この度各クラスから作業に駆りだされたのは、男ばかりの筈だが、C組は家政科クラスで男子がいないため、副担任の和泉良一(いずみ りょういち)教諭と、気の毒なことに委員長の雪島が参加することになったらしい。
「ほかにいないのかよ・・・ひでーな。手伝ってやるよ」
雪島が動かしかけていた、床に直接置いてある旧式のパソコンのモニターを代わりに持ってやろうとすると。
「あ、これはいいんだ、奥の本を取り出すためにちょっと寄せるだけだから」
そういって雪島はモニターをズルズルと20センチほど横に動かして、書架から革張りの年季が入った書物をとりだし始めた。
「そうなのか? 遠慮しなくても持ってってやるぞ?」
「ここにあるパソコンやコピー機は古いから、もういらないんだって。明日業者の人がとりに来るからこのままでいいって先生が言ってた。それより原田君、峰君。悪いけど郷土資料室の方やってくれないかな。まだ誰も手をつけてないのよ」
「郷土資料室?」
「あそこじゃないか?」
峰が目線で知らせてくる。
見ると、奥の扉の上にプレートが貼ってあり、そこには確かに「郷土資料室」と墨で書かれてあった。

 


「狭っ!」
郷土資料室へ入った第一印象はその一言に尽きた。
この部屋はその名の通り、泰陽(たいよう)市やこの辺り一体に関わる、貴重な資料が保存してあるらしく、四方の壁に天井近くまで届く高さの本棚が置いてあり、そこへ大小様々な書物や、ファイリングされた紙資料、その手前には幾つもの段ボール箱が積んである。
部屋の広さは見たところ、せいぜい2坪程度だろうか。
窓はなく、出入り口部分を覗いたほぼ四方の壁が、ぐるりと書架で囲まれており、妙な圧迫感がある。
せめて扉に、ガラスでも嵌め込んであれば多少は印象も違ったのだろうが。
不意に部屋が明るくなった。
「ブレーカーを入れてくれてるみたいだな」
どうやら峰が電気をつけたようだった。
いつとり変えたともわからない、不安定に揺らめく2本の蛍光灯の頼りない光源ではあったが、それでもないよりはましだ。
暗いままでは仕事が捗りそうにない。
「佐伯の言っていた女の子も、こんな感じの所に閉じ込められたのかなぁ」
資料室で本棚の下敷きになって死んだという少女の話である。
峰が何の話だという顔をして俺を見たので、簡単に説明をしてやると・・・。
「それはこんな感じの所じゃなくて、ここじゃないのか?」
峰があっさり言った。
「お前・・・・・」
「さっさと片付けるぞ」
相変わらずの無表情で、峰が手近な書類を動かし始めた。
自分で言った意味がわかっていないのか、あるいは霊などもともと怖くないのか・・・、といえば、まあ峰の事だから後者だろう。
これでも寺の関係者だから、峰ならお経でも唱えてとっとと霊を成仏させてやれるのかもしれない。
しかし、何しろ常時喧嘩上等の峰だと、霊の方でビビッって逃げてしまうような気もする。
記憶にあるかぎり、峰に霊感があるような話を聞いたことがないのは、そのせいだろうか。
峰に怒られないうちに、俺も仕事を始めることにする。
だが、棚の本を少し動かしただけで、狭い部屋の中で埃がもうもうと舞い始め、あっというまに呼吸困難へ陥った。
「げほっ、げほっ・・・先にこの埃なんとかしなきゃ、仕事になんねぇだろ」
一旦外へ出て図書室から箒を借りてくると、書物の上に積もった埃を掃き下ろした。
作業にあたり、予めジャージに着替えてきて本当によかったと思った。
制服だったらそのままクリーニング屋へ直行だった。
「ちょっと、原田君何やってるの・・・? 駄目よ、貴重な資料なんだから乱暴に扱っちゃ・・・」
雪島が血相を変えて資料室へ飛び込んできた。
「いや、そんなこと言っても・・・」
箒を取りあげられる。
「峰君みたいに、丁寧に空拭きして頂戴」
そう言って箒を持ったまま雪島が出て行ってしまう。
仕方ないので乾いた雑巾を持ってきて、埃をちまちまと拭いてゆくことにした。
「くそ〜・・・こんなことしてたら埒あかねぇぞ」
「仕方ないだろ。・・・原田、上に積もってる埃は先にこれを使って掃き取ったらどうだ?」
そう言って、今度は峰からミニ箒を渡される。
なるほど、これなら便利・・・っていうか、こんなモンあるなら先に出せよ!
怒られ損じゃないか。
「そういやお前、なんか掃除、手慣れてるな」
俺がミニ箒で書架の埃を掃き下ろし、峰が雑巾で書物に残った細かい汚れを拭く・・・という分担作業をしばらく繰り返した。
その一方で、峰が棚の隅々を水拭きし、さらに俺が足元へ落とした塵までも、峰が箒で掃き取っていた・・・手際が良すぎる。
「日ごろ家事全般やらされてるからな」
「なるほど・・・、お前んちって両親とも忙しそうだもんな。偉いよな」
峰の家は確か、税理士の親父さんが、西峰寺(さいほうじ)の先代住職で著名なルポライターでもある祖父さんに付き添って、日本中を飛び回っており、お袋さんもなんだかんだと外出しがちで、家の事は全て、峰とまりあちゃんの二人でこなしていると聞く。
「べつにどうってことはない。掃除も修行のうちと思えば苦にならん。身の回りが綺麗になれば自ずと心も磨かれてくるというものだ。水替えてくる」
ついでに西峰寺の現住職を伯父さんに持つ峰が、蘊蓄のある言葉を残して、水が真っ黒になったバケツを手に一旦ドアから出て行った。
司書室には何人か助っ人が集まったらしく、気が付けば外が結構賑やかになっていた。
そういえば峰は大晦日に寺の手伝いをしていたときも、まりあちゃんと一緒にてきぱきと動いていたことを思い出す。
あれで結構、しっかりとした兄妹なのだ。
一通り埃を除去し終わり、いよいよ資料を運び出すことになった。
「くそ・・・思ったより時間かかったな」
作業にあたり邪魔になると思って時計も外してきたから、正確な時間はわからないが、おそらく掃除だけで1時間以上かかった気がする。
「戻ってくるときに時計を見たら、10時過ぎだった」
「いやいや、それはいくらなんでも・・・」
外光が入る司書室は、つい先刻までまだ明るかった筈だ。
「この壁の向こう側に掛かっていた時計だから、止まっているかもしれんが」
「俺達が生まれる前から、止まってる可能性が高いだろうそれは。・・・そういや、なんか外が静かだな」
いつのまにかドアが閉まっていたが、その向こうから物音が聞こえていない。
「だいぶ司書室は片付いていたみたいだからな。運び出しが終わって他に行ったんだろう。こっちも早くせんと・・・」
そう言いながら峰が書架を見て回った。
「んじゃ、適当に始めるか・・・ひぇっ」
そう言って『泰陽地図名所繁栄鑑』と書かれた古そうな大判の本に手をかけたところで、俺は息を呑んだ。

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