「誰かいるかもしれんし、もう一度呼んでみる」
そう言って峰が立ち上がると、またドアを叩き始めたが、やはり反応はなかった。
ドアの向こうで積み上げた何かが床へ落ちただけだったのだろうか。
さきほどと同じように、峰が隣へ腰をおろす。
次の瞬間、照明がパタリと消えた。
「ブレーカーを落とされたみたいだな」
「だったら、建物に人がいるはずだろ・・・!」
立ち上がろうとして、肘に手をかけられ、下へ引っ張られる。
「ブレーカーがあるのは昇降口。ここは3階で方角的にも、ほぼ端と端・・・まして、窓ひとつないから音が漏れにくい・・・無駄だ」
「けどっ・・・」
「叫んで気付くなら、さっき俺がドアを叩いたときに気付くだろう・・・原田、神経が高ぶっているのはわかるが、少し落ち着け」
言われてまたずるずると腰を下ろした。
「お前は、なんでそんなに落ち着いてられんだ?」
「俺だって動揺している。まさか閉じ込められるなんて予想してないからな」
「嘘つけ、全然冷静じゃねぇか」
「お前よりはな。・・・閉じ込められたと言ったって、明日にはまた作業の手が入るだろ。そしたらすぐに助けてもらえるさ。心配すんな」
「それはそうなんだけど・・・・」
「さっき言ってた話が気になっているのか? 城南女子のヤツが話してたっていう」
「ああっ、それもあった!」
峰も余計なことを・・・。
「怖いのか、原田? 手を繋いでやろう」
そう言って峰が掌を重ねてくる。
「いいっつーの! ・・・お前ってそういや、やたら手繋ぎたがるよな。修学旅行んときとかさ。やっぱりあれか、小さい頃から妹の手引いてたとか、そんなんか?」
「どうしてまりあの話が出てくるのかわからんが、俺はまりあの手なんか引いてないぞ。あいつは俺の腕にしがみついてくるからな。手は握りたくても握れない」
「握りたいのかよ・・・」
「もっと小さい頃はおんぶしたり、肩車したりしてたな・・・こう、ゴムのところにレースとリボンが付いた白いハイソックスの脚がぶらぶらと・・・」
「もうそれ以上話さなくていいぞ」
この変態兄貴め・・・。
そこで隣から長い溜息が聞こえた。
「どうした、まりあちゃんが恋しくなったのか?」
「嫌なことを思い出した。・・・・この時間に俺がいないとなると、まりあが今頃俺を探しまくっている筈だ」
「そりゃまた、大した兄妹愛で」
「見つかったら大変なことになる・・・明日は学校を休むかも知れない。号令と戸締りを頼んだぞ」
そういえば峰はまりあちゃんによるDV被害者でもあった。
「ああ任せとけ。・・・でも、なんでだよ? 帰りが遅くなったと言ったって、ちゃんと理由あんだろ。説明すればわかってくれるんじゃないのか」
確かまりあちゃんが暴力を振るうときは、峰に女の気配を察したときだ。
やたらに虐待が待っているわけじゃない。
原因はまりあちゃんの嫉妬だ。
一瞬峰は黙った。
なんとなく視線を感じる。
「説明すると、ますますまりあを怒らせるだろうがな・・・食うか?」
「おい、どういう意味だそれは?・・・って、何だよ」
頬に何か固いものを押し付けられた。
「こんなこともあろうかと思ってな。ショートブレッドタイプの栄養補助食品だ」
「なんでこの事態を予測してんだよ!」
「冗談だ。たまたまポケットを探ったら出て来た・・・思い出した。この間、体育の授業の後で、通りすがりの女子がくれたんだった」
ビリビリと包みを破いている音が聞こえてくる。
本当に食う気らしい。
「お前には通りすがりに栄養補助食品をくれる通行人がいるのか・・・」
「いろいろ貰うぞ。手紙のたぐいは迷惑だからすぐに捨てるが」
「物資はとっておくっていうのか、いじましいだろ! 心が痛まないのか・・・んぐっ!?」
いきなりショートブレッドを口に放り込まれる・・・・イチゴ味だ。
しかも細かい果肉が舌に当たって、結構美味い。
「そういうわけじゃないけどな・・・たまたま捨て忘れた。基本的には全部捨てるが、こういうこともあるんだな。誰がくれたか知らんが、とっておいて助かった」
「くれた人の名前もわかんないのかよ・・・なんて奴だ」
かみ砕きながら喋る。
「欲しいと言った覚えはないし、知らない人から勝手に押し付けられるんだぞ。どうして俺がそこまで気遣う必要がある」
そういえば一条もそんな話をしていたっけ・・・。
「モテるやつには、モテるやつの苦労ってのがあるんだな」
「お前が何を言っている・・・もう1本あるぞ。食うか?」
「お前のだろ? 自分で食えよ」
「そうか・・・じゃ、半分」
「いや、だから・・・・んんっ」
またショートブレッドを押しこまれた・・次の瞬間肩にドシンと何かがぶつかり咥えていたショートブレッドを動かされたと思うと、パキンと音を立てて先端が折れる振動が唇と歯へ伝わり、次の瞬間、唇に柔らかい物が押し当てられていった。
「んむむ・・・!?」
「・・・・・食いながら喋るな・・・・行儀悪いぞ」
と、自分もモゴモゴしながら、峰が喋った。
俺はほぼ強引に咥えさせられていたショートブレッドの先端部分を、恐らくは峰に食いちぎられて、口元に残された半分をかみ砕き、急いで咀嚼する。
「てめぇ・・・何考えてんだよ」
そして手の甲で唇を拭った。
あくまで結果的に・・・ということだが、峰とキスしたのはこれで2度目になる。
「俺はそんなに腹が空いてない」
「そうじゃなくて・・・」
「そうじゃなくて?」
「・・・もういい」
峰がシラを切っているのに、俺がわざわざ話の矛先をそちらへ向けるのは、賢明とは思えない。
特に今の状況は密室に近い。
「腹が減ってると苛々するからな」
「お前は・・・いや、ありがとう」
「どういたしまして」
「・・・・なあ峰、なんでクラス委員やろうと思ったんだ?」
話題を変える。
「知りたいのか」
「だから聞いてんだろうが」
一応知りたい。
「・・・試したかった」
僅かな沈黙があり、珍しく躊躇するような響きを残したまま峰が応えた。
「試す・・・何を?」
リーダーシップ、或いは人望・・・それとも己の社交性の限界か?
後の二つは、お世辞にも評価に値するとは思えないが。
「修学旅行でお前とコンビを組んだだろ」
「へ? ・・・ああ、そうだな」
「楽しかった」
「そう・・・ですか」
まあ、俺も楽しかったっちゃあ、楽しかった。
「だが苛々した」
「そりゃ悪うござんした」
色々迷惑かけたのは確かだ、特に最終日。
その前にも、一条とリタの熱愛報道があったとき、峰には心配かけた。
副委員長になった当時には、保健委員の代行に続いて、いきなり整美委員の代行を直江に頼まれて、俺に呆れながらも結局峰は手伝ってくれた。
そして委員交替のしわ寄せが一人に集中しないようにと、翌日のホームルームでルール作りを提案してくれた。
こうして考えると、峰はやっぱりいい奴だと思う。
さりげない優しさが、峰の良さなのだろう。
再び掌が重ねられる。
手を引こうかどうしようか迷っていると。
「・・・どういうわけか、お前と一条が一緒にいるとき、あるいはお前が一条のことで一喜一憂するとき、俺は落ち着かなくなるみたいだ」
「え・・・」
峰の言葉に、俺はドキッとした。
重ねられた掌が熱い・・・。
「それが何なのか俺はつきとめたい。お前と一緒に、1年間コンビを組めばわかる・・・ような気がする」
「お前、何言って・・・」
手を引こうとして、一瞬早く握りしめられた。
峰・・・。
「修学旅行の最終日・・・部屋へ戻ってきたお前を見た瞬間、俺はすごく動揺し、わけのわからない怒りを感じた」
待てよ・・・待ってくれ。
心臓が早鐘のように打ち始めていた。
暗闇にこれほど感謝したことは生れて初めてだ。
今の俺は、絶対に顔が真っ赤になっている。
俺は峰を意識している・・・まさか!
「・・・・・」
まさか・・・そんな。
「原田」
握られた手を引かれながら、同時に反対側の肩を引き寄せられる。
前髪の辺りに、峰の息遣いを感じた。
俺は強く手を引っ込めると、慌てて腰の位置をずらしながら峰から身を引く。
「峰、えっと・・・」
偶然でも交換条件の悪戯でもないキスが待っている・・・そんな気がした。
「一条以外に触られるのは嫌なのか?」
「えっ・・・・」
俺と一条のことを、やはり峰は気付いている・・・!
そのときドアの向こうで床の軋みのような音がした。
俺は思わず立ち上がる。
気配で峰もそうしたのがわかった。
また、何の振動だろうかと思った矢先。
「おい、峰! 原田! ここにいるのか!?」
学年主任の仙頭教諭の声だった。
俺はすぐにドアを叩きながら大きく応答を返した。
06
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