『月光〜another story』 城陽(じょうよう)学院高等学校は学園都市線沿線の南側に広がる国有林に、ほぼ隣接して建てられている。 「そういえばこの旧校舎って、昔、地震が元で大火災が発生がして、そのときに教師が一人亡くなっているのよね」
創立は昭和初期まで遡り、当時は良家のお嬢様ばかりがお抱え運転手付きで通っていた名門女学校だったという。
その後中高一貫教育の共学校となり、校名も城陽女学院から城陽学院に変わって、現在に至っている。
中等部はここよりひと駅東側の臨海公園駅近くに建っていて、面積はそれほど広くはないものの、駅付近にしては立派な敷地を持っている。
高等部の総敷地面積は5ヘクタールを超えており、1.5平米強あるグラウンドには国際規格のサッカーグラウンドが1面と、テニスコートが3面あり、舗装道路を挟んでナイター設備を備えた多目的グラウンドが広がっている。
敷地境界線ぎりぎりまで国有林の雑木林が迫っており、おかげで背の高いフェンス越しに、自然が織りなす景観を楽しむことができる。
国有林とは、城陽地区より西側に大きく広がっている国立公園の一部を、林野庁が管理している原生林のことであり、毎年行楽シーズンになると渓流釣りやバードウォッチング目当てのピクニック客で賑わいを見せる。
一方で、迷い込むと二度と出てこられなくなると言われている危険なエリアが数ヵ所あって、その入り口らしき場所には「死んだらアカン」という立て札が立ててある・・・らしい。まだ見たことはないが。
西側に国有林、北側にグラウントという位置関係で、アスファルト舗装された道を挟んだところに、西館こと、通称旧校舎が建っている。
この旧校舎は木造3階建てであり、1階に工具室、第2理科準備室という二つの特別室が入っているほかは、現在いずれの教室も施錠されており、在校中ここへ一度も足を踏み入れることもなく生徒が卒業していくことも珍しくはないという話である。
不意に江藤里子(えとう さとこ)が言った。
振り向くと、彼女はしゃがんだ姿勢で、僅かにこちらへ体を向けており、ひざ上で切ったスカートの後ろ側が、動くたびに地面を擦りつつ、なだらかな弧を描いた先で立てた膝頭を覗かせている。
それを確認すると、俺、原田秋彦(はらだ あきひこ)は一旦立ちあがり、引きぬいた雑草を纏めるべく、ゴミ袋をとりに行った。
「ああ、その後生徒が亡くなったり、ときどき誰もいない元音楽室からベートーベンの月光が聞こえたりっていうアレのことか?」
昔は生徒用の校門だったという通用門からグラウンドへ続く舗装道路と交差して、旧校舎と体育館の間を繋いでいる屋根つきの渡り廊下。
その一ヵ所へ箒や塵取りとともに、青いビニール袋の徳用パックを纏めておいてある。
俺は腰をかがめながらゴミ袋のパックへ手を伸ばすと、さりげなく背後へ視線を送ってみた。
江藤はすでにこちらへ背を向けており、パンツは拝めない。
心で舌を打ちつつ背を伸ばすと軍手を引き抜き、パックから青いごみ袋を1枚取り出す。
「そう、その話」
背を向けたまま江藤が話を続ける。
「それがどうかしたのか?」
声が低くなる。
ちょっと投げ遣り。ささやかな八つ当たりだ。
「事件後、老朽化した校舎を取り壊してプールを建設しようという計画が何度か持ち上がったんだけど、そのたびに関係者の間からけが人や変死が後を絶たないっていう・・・」
「さすがに尾ひれがついてるだろ。というか、なんだよお前。普段はこのテの話嫌がるくせに、なんかノリノリじゃね?」
口を広げたゴミ袋へ、引きぬいた雑草を無造作に手で押し込んでゆくが、すぐに何かの根っこがひかかり、薄いごみ袋を簡単に引き裂いた。
「あら」
「安物め」
まったく、PTAからたんまり寄付金もらってるくせに、こんなところでケチケチすんなよと思う。
仕方なく新しいゴミ袋を取りに渡り廊下へ戻る。
言っておくがついでに不埒なリベンジを試みようなどと、けして思ってはない。
「元々学校の怪談系やら都市伝説関係は好きよ。ひんやりしていて楽しいじゃない」
さきほどの話に戻りつつ、背後で江藤が立ちあがる気配を察した。
前パンツの選択肢が消えてしまう。
「わかんねーな・・・じゃ、何がダメなんだよ」
「怪談、肝試し系」
言いながら近づいてきたかと思うと、横から箒と塵取りを素早く奪って先に掃除場所へ戻っていった。
彼女が引きぬいた雑草をザッザッとあっというまに一ヵ所へ纏める。
その様子を眺めながら俺は話を続けた。
前がダメなら後ろがあるさ。
「・・・怪談と学校の怪談を区別するその感覚がわかんねーっす。じゃ、旧校舎に入れって言われたら?」
江藤が上体を屈めて塵取りへ雑草を掃き入れる決定的瞬間を待つが、引き抜いた草を集めるだけ集めた彼女は立ったまま箒と塵取りを片手に纏めてズイッと俺の目の前へ突き出してきた。
「はい、これ。あとお願いね。っていうか君、しつこいよ?」
「・・・すいません」
俺は大人しく箒と塵取りを受け取ると、素直に謝罪した。
どこでバレた?
「断固お断りだわ。・・・っていうか、埃っぽそうだし。それだけでも入りたくないわよ」
「・・・まあ確かに」
俺は軍手で雑草を掻き集めて、二重底にしたビニール袋へ押しこむと、残った細かい塵を箒と塵とりで掃き寄せて、それも袋へ流し込んだ。
そこに一条篤(いちじょう あつし)が走ってきた。
「原田、鞄持ってきた」
「なんだよ・・・まさかもう終わったのか?」
早々に掃除が終わったグループが何組か出て、どうやらホームルームなしに解散となったようだった。
「ちょっと一条君、あたしのは・・・?」
「あ・・・ごめん、江藤。気づかなかった」
謝ると俺に鞄を渡して、律儀に一条が江藤の鞄を取りに、再び教室へ引き返して行った。
べつにそこまでする義理はないだろうに、声をかけようか迷ったが、まあどうせ一条のことだ。放っておけばよい。
「つか、そろそろ終わらね、こっちも?」
見るとあらかた足元は見られる程度になっている。
「そうね・・・そもそもこんなとこ、誰も来ないだろうし」
城陽学院高等学校は明日の文化祭準備に向けて、本日、放課後に校内一斉清掃をすることになったわけだが、くじ引きによる割り振りの結果、俺と江藤は旧校舎前の担当を命じられたのだった。
日ごろ立ち入る者の少ないこのあたりは、掃除を始めてみると埃が多く、加えて国有林から吹き付ける西風に乗って運ばれた種子が、雑草となって大量に芽吹き、正直こんなところにたった二人の労働力というのは、仕事量に比して負担が大きすぎるものだった。
しかし考えてみると、このあたりには模擬店が出るわけでなし、文化祭の来賓が訪れる確立も低く、それほど丁寧に掃除をする必要もないように思われた。
ということで、掃除終了。
むしりとった雑草を入れたゴミ袋の口を縛って焼却炉へ運ぶと、俺たちは汚れた手を洗いに水場へ向かった。
「そういえばさ、一条君はどうしてあんたの言いなりなわけ?」
道すがら、江藤が突然聞いてきた。
「心外だな、君。人聞きの悪い言い方はやめてくれないか」
「んじゃストレートに言います。一条君はどうしてあんたにベタボレなのよ?」
本当に直球で来やがった。
「そりゃま、一目惚れらしいっすから・・・」
「やだ。何それ」
江藤が立ち止った。
声が高い。目が輝いている。
「嬉しそうな顔しないでくれるか・・・本人の目の前で。中三のときにさ、告白されたんだよ、あいつから」
「ほうほう。何があったのか詳しく話してごらん?」
「・・・・・・」