城陽学院中等部は、高等部の最寄り駅である学園都市線学園駅よりひと駅隣の臨海公園駅から、徒歩5分程度の場所に建っている。
臨海公園駅という名前であるのだから、ここからは海が望めるマリーナ公園やフェリー乗り場行きのバスが出ているのだが、どちらかというと辺り一帯を含めた学術都市構想の中心部的側面が強い場所だ。
駅の周りはスポーツ文化公園と呼ばれる総合公園を中心とした街づくりになっており、学校から道路を挟んですぐ目の前には、屋内競技の選手権やコンサートなどに使われている総合体育館が、その隣には鬱蒼とした茂みの隙間から、熱帯植物園のガラス張りの屋根がキラキラと陽光を反射させて見えている。
スポーツ文化公園の敷地にはそのほか、西から東に向かって順に、陸上競技場、スイミングプール、美術館、科学技術研究所、昆虫博物館などの施設が並んでおり、公園のもっとも東の端に建っている歴史資料館まで約2キロに亘って長く伸びている。
東の端まで行くと次の鉄道駅である歴史資料館駅が道路の向こう側に見えてくる。
歴史資料館駅前のロータリーからは女子大行きの巡回バスが運行しており、もうひと駅向こう側にある芸術大学前が、この学園都市線の東の終点となっている。
ところで以前、校外学習でこの歴史資料館にクラス全員で訪れたことがあるが、帰りの時刻が女子大の下校時間と重なり、駅の女子トイレから出てきたところを数人の学生に見つかって、駅員に通報するのしないのという大騒ぎになった。
間に入ってくれた担任が彼女達を説得して、警察には突き出されずに済んだが、学校に帰ってからめちゃくちゃ怒られた上に、反省文まで提出させられてえらい目に遭った。
以来、ここの学生はちょっと苦手である。
べつにカメラを持って入ったとかいうわけじゃないのに、そんなに大騒ぎしなくたっていいじゃないか、減るもんじゃなし。
それはともかく。
というわけで、午前8時台の学園都市線は、付近の中学から大学に至るまで、毎日通学客で大変なラッシュとなるのである。

しかし夏休みに入れば、そのラッシュもひとまず収まる。
俺は通学定期を握りしめ、最寄りの城西(じょうさい)公園駅からいつもの電車へ乗りこんだ。
この城西公園駅はその名の通り、城跡の西側に広がっている城西公園の目の前にあるからそういう名前がついている。
では城跡とはどこにあるのか。
それはこの公園より1キロ離れた広大な山野に、数キロに亘って残されている立派な石垣が、どうやらとある戦国大名の城の一部らしいのである。
昔は碑文が建っていたが、昭和40年代にこの辺りを襲った大地震で壊れて以来、そのままということだった。
城跡についての説明は、歴史資料館へ行けば読むことができる。
俺はもう二度と行きたくないが。
ところでその城跡がある山野であるが、土地の人たちは皆、一条家のものだと思っている。
というのも、その山野とバカでかい一条家の境界線がどうにも不明瞭なのである。
未来の領主である一条篤に聞いても、よくわからないという返事が返ってきた。
が、大名家が一条家であるということでもないらしい。
そりゃそうだろう。末裔があれでは戦国武将の亡霊ものんびり草場の陰で寝ていられまい。
俺の家は城西公園や一条家とは、線路を介して反対側に位置する住宅街にある。
国有林の遊歩道からも近いため、今は国有林を突っ切って徒歩で通学しているが、ふた駅分離れている中学へは電車を利用していた。



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