午前8時25分芸術大学前行きの快速急行が出発ベルを鳴らした。
「やべっ!」
自動改札からホームまではゆるやかな上り坂になっている。
10メートルほどのそれを一気に走ると、飛び込むようにして電車へ乗りこんだ。
セーフ。
快速急行といってもこの先は各駅停車となるため、2つ先の臨海公園駅までは約5分かかる。
駅からはダッシュして学校までは5分弱。
補習期間中はホームルームもないため余裕と言えるが、悪天などでほんの少しダイヤが乱れただけでも、結構ハラハラする。
だからといって、1本早くする考えなどさらさらないわけだが。
ふと周りの異常に気がつく。
見る限り女、女、女・・・。
「シマッタ・・・」
午前7時半〜9時までの時間帯、全ての電車の3両目は、この4月から女性専用車両になっていたということをうっかり失念していた。
だが見たところ、とくに咎めるような視線はなさそうだ。
城陽中学では補習期間中に制服着用の義務付けがないため、この日の俺はTシャツにハーフパンツ、サンダルとラフなものである。
おまけに少々伸びてきた髪も後頭部の下あたりでカラーゴムで結んでおり、遅れ気味の第二次性徴のせいで、体も平均身長と比較してまだまだ小さめである。
どうやら、男と断定しきれないため、非難されずに済んでいるということころだろうか。
さすがに本意とはいえないが、痴漢と吊るしあげを食らって鉄道警察隊へ突き出されそうになるよりはましである。まあラッキーだろう。
あんな騒ぎは、二度と御免だ。
そのとき電車がカーブへさしかかり、目の前の女がドア付近に立っていた俺のほうへ倒れてきた。
「・・・っ!」
ハイヒールが足の甲をまともに踏んだ・・・痛ぇ。
「ごめんなさい・・・大丈夫?」
加害者の女がこちらを振り向く。
身長は、ヒールを除けば俺と同じぐらい。たぶん。
胸元にレースをあしらった、襟の深いノースリーブの白いワンピース。
ほとんど日焼けをしていない、透き通るような白い肌。
背中まで伸ばした、くせのないきれいな黒髪には、左側だけ耳元から無造作に後ろへ向けて、上げ気味にまとめた髪に、白い花束を模したバレッタが止めてある。
その髪からふんわりと匂ってくる、ほのかな甘い香り・・・わかりやすく言えば清楚な美人といった印象だ。
「はい。あなたこそ大丈夫ですか?」
本当は中足骨の一本も折れたんじゃないか思うぐらいに、じんじんと足が痛い。
しかし誰がこんな美人を目の前にして、責められるというのだ。
「ええ・・・本当にごめんなさいね。この靴、まだ履き慣れなくて。こんな時間に履いてくるんじゃなかったわ・・・」
少し低めのハスキーな声が、なんだか色っぽい。
見たところ二十歳そこそこ・・・この先の女子大か、それとも終点の芸大か?
肩から下げてる大きな鞄は、F10サイズのスケッチブックだろうか? だとしたら芸大の方かもしれない。
そうに決まっている。
あの自意識過剰な姦しい女子大の連中と、目の前の清楚な彼女が同じ学校のわけがない。
電車が臨海公園駅のホームへ入っていく。
「それじゃ、この駅なんで・・・」
後ろから押し寄せる人の波に乗りホームへ降りようとしたところで、突然後ろから手を掴まれた。
振り返ると彼女だ。
「ちょっと待って・・・あなた血が出てる」
「あ・・・」
彼女が後ろから一緒に降りてくる。
まもなく電車が行ってしまい、ホームから人が空いたところで、傍らのベンチへ座るように命じられた。
彼女は俺の目の前に腰を下ろすと、大きな鞄を地面へ下ろし、内側に下げていた、貴重品入れと思われる小さなショルダーバッグから絆創膏を取り出して、俺に靴を脱ぐようにと命じてくる。
言われたとおりにサンダルを片方脱いで自分の足を見ると、確かにちょっと目立つ出血をしていた。
そのまま彼女に応急処置をしてもらう。
俺の足の傷口に絆創膏を張り付ける、ほっそりとした白い指先の優しい感触。
身を屈めている彼女の、谷間が見えそうで見えない胸元の危ういシルエット。
何もかもが俺をドキドキとさせた。
間違いなく、俺は恋に落ちた。
折れているかもしれないから病院へ行くようにと言われたが、歩けるところを見るとその心配はなさそうだった。
申し訳なさそうな彼女を安心させるように笑顔を作ると、俺は遅刻して補習授業へ向かった。
彼女もこの日、少し大学へ遅れたようだった。
それから彼女とは毎日会った。
やはり芸大の学生だったらしく、4年と言っていたから21か22歳なのだろう。
日ごろはデザイン事務所のバイトとかけもちで、いろいろと忙しいようだった。
名前を聞く勇気はなかったが、現在彼氏がいないことは何とか聞き出せた。
ところが、「あなたは彼氏はいないの?」と、逆に質問を返されて、俺は改めて自分が女性専用車両に乗っていることを思い出し、返答に窮してしまう。
どうやら完全に女と思われているようだった。
近づけたはいいが、次の一手に難儀する。
というより、いくら女性専用車両だからといって、どうして気づかない?
何度も「俺」と言っているのに・・・。
ちょっと天然ちゃんなのかも知れない。
04
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