電源を入れて準備をする。
トイレを通り過ぎ、旧第二理科実験室の前を通る。
別段変った様子などなかった。
少しばかり焦げ臭い気がするのは、恐怖心が俺の嗅覚に、ありもしない反応をさせているだけなのだろう。
「くそっ・・・一条のヤツめ、くだらないこと言いやがって」
しかし誰とも会わずにここまで来たわけだが・・・、これはさすがに奇妙に思えた。
最初に、峰兄妹がスタートし、間を開けずに佐伯、小森ペアが出発した。
続いて江藤と山崎が入って行って、すぐに飛び出してきた。
その間すれ違ったのは、江藤と山崎だけだった。
「ほかに階段なんてないよな・・・」
確認したわけではないが、旧校舎の教室は現在使用されている、一階の工具室と第二理科準備室以外、すべて施錠されている筈である。
どういうことだ。
「原田ぁ〜・・・・」
蚊の鳴くような声が呼んだ。
情けねぇ声出しやがる・・・。
「なんだよ一条、怖いんなら・・・」
来てもいいぞと続けかけ、一条が何を訴えたかったのかすぐに気がついた。
ピアノの音だと・・・?
「原田・・・これって・・・」
「ああ、判ってる」
ベートーベンのピアノソナタ第14番。「月光」だ。
「原田ぁ〜・・・」
「うるせーな、いちいち怖がるな!」
心に吹き荒れそうな恐怖心との葛藤で、一条に声をかけられるまで気づかなかった静かな前奏が終わり、悲しげなメロディが流れ始める。
音源は音楽室の扉の向こうだ。
「だ・・・誰が・・・弾いてるんだろ・・・ね・・・」
今にも泣きそうな声で一条が呟いた。
俺に聞いたのか、それとも独り言か、よく判らない。
「んなもん・・・俺達の誰かに決まってんだろーが・・・」
そうだ。
ここまで誰にも会わなかったことも、それで説明がつく。
音楽室の鍵は開いていて、中に峰や佐伯、小森たちがいる。
で、あとから来る俺達を怖がらせてやろうという魂胆なのだ。
そうに決まっている。
腹を決めた俺は音楽室の扉に手をかけた。
「原田・・・開ける・・・の・・・?」
「ああ、正体暴いてやる」
取っ手を握りしめ軽く引く・・・。
「開いた・・・!」
とたんに中から大音量で流れてくる、ピアノ演奏。
驚きで大きく呼吸をした俺は、その場で思わず咳き込んだ。
なんだ・・・この匂い。
第二理科実験室の前で漂っていた焦げ臭さが、一気にこの部屋で強さを増した。
そうだ、演奏者を確かめないと。
「おい、いいかげんに・・・お前っ!?」
てっきり俺を驚かして悦に浸っている連中が迎えてくれると期待していた音楽室に、見知った顔は一人も待っていなかった。
淡い光に照らされた音楽室。
整然と並んだ茶色い木製の机と椅子。
その前に教壇と、白い五線譜が入ったスライド式の大きめの黒板。
教壇の横に、ひっそりと置かれたアプライトピアノが一台あり、こちらへ背を向けて一心不乱に鍵盤を叩いている者がいた。
「誰だよ・・・お前・・・」
長い髪を2本の三つ編みにして背中に垂らし、白地に紺の襟のセーラー服とスカートを履いて、回転椅子に腰を掛け、譜面台に楽譜を置かず、少女は暗譜で演奏を続ける・・・同い年ぐらいか?
この学校の制服ではなかった。
「なあ・・・無視してないで返事しろよ・・・」
俺が入ってきたことに気づかないのか、少女はひたすら演奏を続けている。
それにしてもなんという音だ・・・月光ってこんな五月蠅い演奏じゃないだろ!?
まるでフォルテッシモで「運命」の出だし部分でも聞いているみたいだ。
そのとき、突然足元が大きく揺れた。
「うわっ・・・なんだ!?」
揺れはすぐに激しさを増し、立っていられなくなった俺は近くの机に手を突く。
しかしその机もグラグラと揺れていて、直に教室内が大混乱になった。
「なんだよ、これ・・・大地震じゃねぇか!」
震度5以上はあるだろう。
やばいなこれは・・・早く逃げないと。
立ち上がろうして力を入れた拍子に、捻っていた方の足首がズキリと痛んだ。
まずい・・・!

 08

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