「原田!」
そのとき入り口で一条の声が聞こえた。
「バカか一条・・・お前、早く逃げろ・・・」
「原田、大丈夫・・・? ここ出ないと・・・原田?」
入ってきた一条が、俺の足に気づいたようだった。
「いいから、先行けよ・・・」
「原田、手貸して・・・」
差し伸べられたその手に掴まろうとして、俺は不意に少女の方へ降り向いた。
アプライトピアノの前に座り込み、茫然としている少女。
鍵盤に置かれた少女の手首から先は、木製の重厚な黒い蓋に隠されて、僅かに見えている白い鍵盤からは、彼女が流した真新しい赤い血液が一筋二筋と流れ落ちていた。
左手の小指と薬指、そして右手の小指が動かない。
蓋が落ちた拍子に指の神経が切れたんだ・・・。
「原田・・・っ!?」
「『月光』が弾けない。彼女との思い出の曲が・・・」
「原田、しっかりしろ!?」
不意に頬に強い衝撃を感じて、俺はハッとした。
一条が見たこともないような必死な顔をして、俺の右肩を揺すっていた。
もう片方の手は、どうやら俺の頬を殴ったすぐ後のようだった。
「いち・・・じょう・・・」
「早くここを出ないといけない。隣で火災が起きてるから・・・原田、協力してくれる?」
「ああ・・・わかった・・・」
俺は今度こそ一条の肩を借りると、床から起き上がる。
「足、痛む?」
「少し・・・でも歩けないことはない」
「そう、良かった・・・」
「・・・あっ、ちょっと待ってくれ」
そのまま出口に向かおうとする一条を止め、少女に声をかけようとする。
両手は大けがをしていたが、足がなんともないなら、一緒に出ていける筈だ。
とにかく、こんなところへは置いていけない。
「なあ、お前・・・」
振り向いて俺は絶句した。
少女どころか、ピアノすらない。
俺が狭間に倒れこんだ机や椅子も、綺麗サッパリ消えていた。
音楽室は伽藍堂だった。
「原田、行くよ」
少し強引と言える口調で俺に声をかけると、一条は今度こそ教室の外へ向かった。
そのあとは一体どうやって下へ降りたのかよく覚えていない。
火の元であった第二理科実験室の前をどうやって通り過ぎたのか。
俺を抱えて一条がどのように階段を降りたのか。
とにかく気がつくと俺は1階の廊下で茫然と座り込んでいた。
「いたいた、大丈夫あんたたち・・・?」
声がして振り向くと、城南女子の制服がこちらへ近づいてくる。
背の高いのと小さいのが二人・・・佐伯と小森だった。
09
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