「ほら足、見せてみ」
「自分でいたしますから結構です」
すいっと付き出された山崎の右手。
俺は近くの川で濡らしてきたタオルを、真っ白な制服を泥だらけにした彼女に手渡してやると、溜息をついて隣に腰を下ろした。
即座に彼女が一人分の距離を俺からとる。
「心配してやっている人にそれはないんじゃないの?」
「けが人のスカートを覗きこむような変態に、払う敬意などありませんわ」
急斜面を滑り降りてきた山崎は、それでも途中で木の根の出っ張りに右手をかけ、自力で斜面にしがみつきながら滑落を止めていた。
俺は一旦平坦な場所まで斜面を降りると、再び下から彼女に近づいた。
そして手を貸そうと彼女に声を掛けながら見上げると、スカートの裾が木の枝か何かにひかかっていたようで、素晴らしい絶景が目前に広がっていたのだ。
俺は直後に顔を踏み台にされて、山崎は自力で下まで降りた。
怪我をした痛々しい足で。
「いや、だからあれは不可抗力・・・」
俺は袖口で自分の顔を拭いながら弁明を試みた。
喋る度、口に砂利が沸いて仕方がない。
「にやけていた時点で説得力はなくなりました」
「いやまあ・・・実にすみません」
結局素直に謝ると、彼女は俺をチラリと横目で見た。
引き続き憎まれ口が返って来るかと身構えたが、彼女はひとまず口を閉じると、濡れタオルで泥だらけになった足を拭い始めた。
「ん・・・なんだかこのタオル、少し匂いません?」
「まあ、俺の労働の証が染み込んでいるからな・・・・」
川で濡らしたぐらいじゃ、汗臭さまでとれなかったか。
俺は自分の匂いだから気にならないが、女の子にはきついのかも知れない。
特に山崎はずっと女子校だ。
「そういえば夕がた、一条さんと一緒に何か解体なさっていらしたわね。・・・あなたの汗でしたの。やはり、男性のものは少し匂いが強いものですわね」
「そんなに臭いか。じゃあ、俺の愛しい子孫繁栄の元とかも混じってたのかもしれんな・・・」
「お返し致します」
人差し指と親指でつまみながら、濡れタオルを突き出された。
「・・・冗談だ」
どこで染み込ませると言うのだ。
まあトイレで出来なくはないが、いくらなんでも学校ではしねえよ。
やったとしても、トイレットペーパーで拭きとるっての。
いや、してねぇけど。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
山崎が指の輪っかでタオルをつまんだまま途方に暮れ始めた。
「えっと・・・、そんなに気になるなら、返してくれて構わないぞ」
俺は手を差し出したが、山崎は縋るような目つきで俺を見つめて、何を納得したものやら静かに首を横に振ると、改めてタオルを畳み直し、再び足を拭い始めた。
とりあえず信用してくれたということか。
まあ確かに性質の悪い冗談だった。
反省します。
膝は酷く擦り剥いているようで、泥を拭って尚、白い表面に黒っぽい染みを大きく作っており、下ろしたソックスから見える足くびも腫れあがっているのか、動かすたびに小さなうめき声を殺しているのが判った。
俺は立ちあがると斜面の上を見上げた。
「20メートルぐらい降りてきたみたいだな」
江藤や一条の気配が消えていた。
連絡をとろうと思い、ポケットから携帯を取り出して、すぐに諦めた。
圏外だ。
まあ大方、勾配のなだらかな場所を探してこちらへ向かってくれているか、救助を呼びに行ってくれているのかも知れない。
しかし山崎がそれまで我慢できるのだろうか。
再び斜面を見上げる。
山崎一人ぐらいなら背負って上がれないこともないだろうか。
しかし、万一俺が足を滑らせたら、今度こそ大惨事になりかねない。
ひとまず電波の繋がる場所を探して、なんとか連絡をとるべきか・・・。
「あたくしなら一人で平気ですから、あなたは戻って下さっても結構よ」
可愛くない発言を聞いてしまった。
いや、山崎らしいかも知れない。
「本当にお前は素直じゃねーな。そんなんだといくら美人でももてないぞ」
まあ、俺は嫌いじゃないが。
「どうでもいい男にもてても仕方ないですわ」
あーそうですか。
まったく、一条には逆ナンまでしてあんなにチヤホヤしていたくせに、何なんだこの落差は。
しかも俺は恩人だというのに。
そりゃパンツはわざと見たけど。
「すみませんでしたね、一条じゃなくて」
「あら・・・・ひょっとして、傷ついていらっしゃいますの?」
「べっつにー」
なんかムカつく。
意地でも認めてやんない。
本当はズタボロだけど、教えてやんない。
「意外に可愛らしい反応なさいますのね。ひょっとしてあなたのような調子のいい方でも、出来の良いご友人に嫉妬なさったりするのかしら?」
「誰があんなヤツに!」
アイツは俺の犬だっつーの。
犬に飼い主が嫉妬したりするかっつーの。
とか言いつつ、結構ジェラシー感じまくりなんだけど。
背は高い、頭はいい、顔はそれなりに、超金持ち、おまけに気立てがいい、だが俺だって・・・・畜生、自分大好きな俺の目から見ても、俺が一条に勝ってる部分なんてないじゃないか!
「どうかなさいましたの・・・なんだか今にも泣きそうな顔をしていらっしゃるようですけど」
「だが、俺の犬なんだ」
「ペットがどうかされましたか」
「飼い主がペットより惨めであってはならない」
「場合によってはそういう事態に陥ることも、皆無とは言い切れないと思いますけど・・・」
「俺を追い込んでそんなに楽しいのか・・・」
「よく判りませんが、何か不遇な日々を送っていらっしゃるようでしたら、同情致します」
「好意に感謝する」
「しかし、けして誤解はなさらないでくださいね」
「むう」
意地でも俺にフラグを立てさせない気だな・・・。
俺は溜息を吐きながら夜空を仰いだ。
おっと発見。
「ま、じきに一条や江藤がなんとかしてくれるさ。気楽に行こうぜ。よっと」
狙いを定めてジャンプする。
木の枝を掴んで着地した。
バラバラと木の葉の雨が降って、さらに上からドサッと鞄が落ちてきた。
それを空中でキャッチすると、山崎に返してやる。
「・・・・・・・ありがとうございます」
やや間を開けて、それでもちゃんと礼が返ってきた。
まだまだムスッとした声だったけど。
だが、これだけ立て続けに憎まれ口が聞けるなら、しばらくは大丈夫そうだ。
死んでも弱音は吐かないタイプなのかも知れないが、それならそれで心強い。
俺は少し胸を撫で下ろした。
山崎はタオルから手一旦を離し、右手で鞄を受け取った。
それをお尻の隣へ下ろすと、再び右手で今度は反対側の足を拭い始める。
お互いに安心したなら、次はコミュニケーションだ。


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