俺は立ちあがると音の聞こえる方向へ耳を澄ました。
熊とかだったらどうしよう・・・。
「そういえば、この辺りでしたわね」
山崎が言う。
「なんの話だ?」
「昔、女優志望の女がたった3度しか会ったことのない物書きの男に頼まれて、カルモチンを手に山で心中を図りましたのよ。ところが日ごろからカルモチンを常用していた、自殺志願の男は助かり、女だけが命を落とした」
「山崎・・・・・」
「こんな話もありますわ。大学で庶民の男と恋に落ちた旧華族の娘が、熱心なアプローチを受けて交際を始めた。ところがストーカー気質な男の異常性にすぐに気が付き、何度も別れ話を持ちかけていた。あるとき田舎へ帰った男は、父親の愛人関係を母親に相談されて思い悩みはじめる。次第にその生真面目さから、自分にもその汚れた血が流れているのだと己を呪うようになり、男はとうとう女を道ずれにピストル自殺を企てた。女は説得するつもりで男に誘われるまま山へ入ったが失敗し、哀れにも無理心中に巻き込まれた、・・・こんな事件が続いて、以来、そのあたりは『恋試しの谷』なんて呼ばれているそうですわよ」
「それってまさかと思うが・・・」
「この辺りで起きた事件だったと記憶しておりますわ」
痛みも忘れたかのように、オカ研ガールズの山崎が月明かりの下、目を爛々と輝かせて話を終えた。
「なぜ今それを話した」
「知っている話を披露しただけのことですわ。お気になさらないで・・・・あら」
言いながら山崎が俺の背後を指さした。
そこにはさきほどから聞こえていた気配の主と思われる一人の男が、じっと地面を見下ろして立っていた。
人間で俺はホッとした。
「何やってんだあんなとこで」
城西(じょうさい)の制服・・・高校生か。
「手紙を足元に置いているようですわね」
男は確かに紙を置いていた。
「あの先ってやっぱり崖なのかな」
暗くてよく見えない。
「今度は靴を脱いでいらっしゃるんじゃないかしら・・・」
男は確かに身を屈めて靴を脱ぎ終えると、それを揃えて・・・・って、おい!
「ちょっと待ったキミーーーーーー!」
俺は一目散にダッシュした。
そして後ろから男に掴みかかり、そのまま地面へ押さえつけた。
「てめぇ、何をするんだ・・・離せ!」
男としてはやや高めの若い声。
月明かりの下で顔を見る。
少年は俺より年下に見えたが、城西の制服を着ている以上、高校生なのだろう。
しかしその風貌は、第二次性徴が来ているかどうかも微妙な幼さ。
制服を着ていなきゃ、男か女かも怪しい、要するに中性的な美少年だ。
こんな子を押さえつけていると、なんだかいかがわしいことをしようとしている気分・・・。
「バカっ、何放しているのよ・・・・!」
俺の手から解放されて逃げようとする少年を、後ろから山崎が俺を追い越して、足を引きずりながら猛追した。
「いやなに、なんだか自分が変質者のような気がして、罪悪感が・・・」
「訳判らないことを言ってないで、・・・・ちょっとアナタ。早まるんじゃないわよ!」
少年は崖へ向かって走り始めていた。
俺は慌てて追いかける。
「うるさい! 僕はここから飛び降りるんだ! 邪魔するな!」
「何があったか知らないけど、落ち着け。話ぐらいなら聞いてやるから・・・」
「お前に何が判るっていうんだ。女と茂みでイチャイチャしているような碌でもない野郎に、失恋したばかりのセンシティブなアウトサイダーの気持が判ってたまるか!」
「碌でもない野郎って・・・」
しかも自分だけ横文字使って無意味に装飾って・・・!
「心外ですわ。このような変態とあたくしがなぜ、山野で淫行に耽らないといけませんの?」
おまけに色々と散々な扱いのようだった。
それにしてもイチャイチャを正しく言いなおされると、さらにHに聞こえる不思議。
「お前だってそうだ! 城南女子のお嬢様に僕ら貧乏人の気持ちなど判るわけがない! だが、僕は優しいから忠告しておいてやる。そやって呑気に男とイチャついていられるのも今のうちだけなんだぞ!」
「ですからこの変態とあたくしは・・・・。あ、あら・・・なんだか急に話が見えなくなりましたわよ」
なぜか今度は山崎を脅し始めたみたいだ。
俺から見ても原因不明の脅迫行為だった。
「世の中を見てみろ。長引く不況で依然景気は低迷、有効な経済措置もとらずに国債乱発で財政赤字は増大。そのくせ票集めのためにだけに政府は税収を上回る大盤振る舞い。そのツケを払うのは誰だ? おまけに政治家は売国ばかり。国民の生活が一番と嘯くその口から、現実には国益を重視した政策案などひとつも聞こえやしない。国会ではめでたい一年生議員が某国ユーゲント並みの拍手喝さいで政党賛美だ。一方で重鎮は地方の陳情を政府ではなく政党へ一本化。野党を首長に持つ地方自治体の声はどうなる? 独裁国家並みの暴走なのに、新聞マスコミは公的支援目当てに碌な批判もしない。狂ってるよ。一体この国のどこに夢や希望が見出せる? 独裁政治で止める者もなく、このまま赤字を増大し続ければやがて国の信用は地に落ち、円はゴミ屑同然になる。景気や治安が悪化すれば民族間の闘争も起きやすくなる。そうなれば暴動鎮圧の美名の元に他国が武力介入しやすい状況を招くんだ。その先にあるものは国家の消失だぞ。つまり我が国が主権を失い他国の属国になりさがるってことだ。進軍してきた共産主義の兵隊に我々は暴行され、男は強制労働へ、女は強姦されるんだよ。尊厳を奪われ、最低限の人権を蹂躙されてまで生き長らえるぐらいなら、いっそ死んだ方がましだ!!!」
美少年が森へ熱く叫んだ。
「おまけに極度の悲観論者か・・・・厄介だな」
しかし、極論は大袈裟かもしれないが嘘ではない。
大抵笑われて終わりだが。
「あたくし、どうして罵られたたのか、お話を伺って尚、よく理解ができないんですけど・・・」
「安心しろ。俺もだ」
ただ一つ判ることは、熱弁を繰り広げるその姿が、とても失恋を苦に自殺を図ろうとしている精神の持ち主とは思えないということだけだ。
「お前ら金持ちのボンボンには、格差社会の苦しみなんて判らないだろうさ!」
「いやぁ、だからその・・・君は、彼女に振られたから死のうとしていたわけじゃないのか?」
とりあえず、蒸し返してみる。
「ふざけるな! 誰が女に振られたと言った!」
いきなり罵倒された。
「失恋したアウトサイダーなセンシティブがどうのって・・・」
そのうえ虚言癖なのか?
「何があったか知りませんけど、あたら若い命を粗末にするもんじゃありませんわ・・・」
山崎が男に‬近づいていた。
宥めるつもりなのだろうが・・・。
「よ、寄るな! ・・・・おい、男! その汚らわしい女を僕から遠ざけろ!」
失敗したようだ。
おまけにけして長いとは思えない、山崎の怒りの導火線に、自殺志願者が自ら点火してくれたみたいだった。
「汚らわしい・・・・ですって・・・!?」
「山崎、あまり・・・」
一応は自殺しようとしている人物を、刺激するもんじゃないと言おうとしたが。
「もういっぺん仰ってくださらないかしら、一体どこの誰が汚らわしいと・・・・?」
聞く耳を持っていなかった。
想像はついたが。
「お前だ、女! 穢れた下等生物は雷に打たれろ! 伊織をかどわかしたあの女も、お前も、呪われるがいい!」
「なんかもう、無茶苦茶だな・・・」
とりあえず、「女」に振られたわけではなさそうだった。
了解。
「伊織、ですって・・・・?」
山崎が、意味ありげにその名を復唱した。
その時、山の斜面をものすごい土埃が舞い降りてきた。


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