「おい君たち、無事なのか!?」
ようやく救助隊到着。
やれやれ。
救助隊員の後ろから、どうやら呼びに行ってくれていたらしい一条も降りてきたようだった。
その隣に、20代ぐらいの私服の男もいる。
手には黒い鞄を提げていた。
「原田、大丈夫?」
「ああ、俺はな。山崎が怪我をしている。只今怒り沸騰中で、痛みは忘れているみたいだが・・・」
俺が山崎の状態を伝えていると、私服の男が血相を変えて近づいてきた。
「・・・君、どうして!」
「進藤(しんどう)先生ですの?」
先生なのか?
どうやら知り合いらしい・・・、だが。
「それ以上近づくな!」
突然身体が後ろへ引っ張られた。
「・・・・え、うわっ!」
さらに、はがいじめにされた。
一体、今度は何事だ!?
「慧生!」
えいせい?
「伊織も近づかないで! 近づいたら、ここから彼とともに飛び降りるぞ」
いおり・・・どこかで聞いた名だと思い、ついさきほどこの少年が言っていた言葉を思い出す。
なるほど、この黒鞄の男が伊織。
少年が慧生で、二人は恋人同士だけど最近上手く行っていないということか。
そして慧生は自殺を考えるほど思いつめていたんだけれど、俺はその慧生にたった今拘束されたと・・・時系列は判ったが途中から理解はまったく不能だ。
「ちょっと・・・どういうことですの!?」
両腕を後ろから背中でロックされ抵抗を封じられた俺は、その状態で身体をさらに引き寄せられる・・・慧生が後退したのだ。
すぐ後ろで土を踏みしめる音、そしてバラバラと砂利が谷底へ落ちる音が聞こえた。
風向きや足元の気配で、断崖ギリギリまで追い詰められていることが判る。
「なあおい、お前・・・少し落ち着けよ」
俺と彼の体格差を思えば、本気で抵抗すれば逃げられないことはない。
だが、最悪の場合二人纏めて、上手く行っても彼を崖から突き落とす可能性は低くない。
刺激を与えるのは得策じゃないだろう。
「慧生、バカな真似は止せ。関係のない人を巻き込むんじゃない」
伊織先生が言った。
・・・救助隊に付き添い黒鞄を持参して来た先生ということは、この人は多分医者なのだろう。
「そんなことしか言えないんだね。やっぱり伊織は僕のことなんてどうだっていいんだ」
「馬鹿なことを言うな、そんなわけないだろう」
「だってそうじゃない。・・・仕事が忙しいのは判ってる。プレゼントが欲しいとかも言わない。でも、伊織の心が僕だけのものだって・・・せめて一緒にいるときぐらい、そう信じたいんだよ。・・・けど、僕にはもう無理だ」
「え〜と・・・あのー、お取り込み中に申し訳ないんだけど、痴話喧嘩なら、出来たら二人で・・・」
「努力しているだろう、週に一度はちゃんと会っているし、誕生日プレゼントだって用意している。これ以上何が不満なんだ」
俺の主張は伊織先生によって黙殺された。
自分がなぜ巻き込まれているのか、依然意味不明だが、なんだかどうでもよくなってきた。
とりあえず、さっさと仲直りして解放してほしい。
「そんな問題じゃないんだよ! 会って、セックスして、プレゼント買ってくれて、・・・そんなもので僕が騙せると思ったら大間違いだ!」
しかもなんだか話が生々しくなってきた。
「そ、その・・・君、とりあえず手当をするから先に詰所へ・・・」
同行したお医者様が肉体関係のある高校生と取り込み中とあっては仕方がないと、救助隊が山崎に声をかける。
・・・いや、俺を先に助けてくれよ。
「冗談じゃありませんわ。あなたこんな理不尽で許し難い事態を目前に現場を放棄して自分たちだけ帰ろうだなんて、恥ずかしくありませんの?」
「山崎・・・」
よし、えらいぞ山崎!
さすが武道を嗜む女は違う!
「ちょっと慧生さんと仰ったかしら、さきほどの発言を今すぐ取り消してくださいませんこと? そのような差別的かつ一方的な侮辱を見ず知らずの方から受ける謂われはありませんわ。ことと次第によっては、弁護士を通して正式な謝罪と撤回を要求させていただきます」
だーっ、そっちかよ!
「お前、今そんなこと言ってる場合じゃないだろ!」
状況見ろ、状況!
返せ、俺のひとときの感動と尊敬を!
「女は穢れた下等動物だ!」
「まだ仰いますの!? いいでしょう・・・こうなっては、あたくしも言わせて頂きますが、穢れているのはむしろあなたのほうではありませんか。少なくともあたくしは・・・あ、あたくしは、その・・・・」
「山崎、どうかしたのか?」
紳士な俺は上手く言葉が出てこない山崎嬢が話しやすいように、優しく促してあげた。
「・・・あ、いえ、べつになんでもありませんわ。お気になさらないで」
赤面して・・・いや、この距離と暗さで色までは判らないから多分だが、言葉を濁して下を向いてしまった。
それでも山崎は、まだ弁護士を通してどうのこうのと小声で言い続けていたが、とっくに言葉の勢いは消えていた。
まあどうせ慧生もすでに聞いちゃいない。
そうか、山崎は乙女なんだな。
それ自体、別に意外でもなんでもないのだが、堪能できたからこれはこれで嬉しいハプニングだ。
「雪子ちゃん、そろそろ手当したほうがいい。立ってるのも辛そうだ。肘だって、この間処置ばかりなのに、また・・・」
伊織先生がようやく鞄を開けながら山崎に座るように命じ、周りの隊員にも声をかけた。
そのとき。
「どわっ・・・!」
油断していた俺は、再び後ろから強く身体を引き寄せられた。
バランスを崩し、うっかり慧生に身体を預けそうな形になる。
相手の方が小柄であるため、実に不安定だ。
下手に後ろへ倒れては、こいつと共に心中だ。
「原田・・・!」
「慧生やめろ!」
一条と先生の声が重なった。
「動くなって言っているだろう! 女・・・お前が山崎雪子だったんだな」
おっと・・・山崎のことを知っていたのか。
というか、名前を知っていた、という方が正しいようだった。
「だったらどうだと仰いますの。頭脳明晰、文武両道でこの美貌ですから、近隣校にあたくしの名声が聞こえていたとしても、不思議ではありませんけど」
「山崎、お前ってヤツは・・・いや、いい」
打たれ強い処女なんだな、と危うく言いかけて、俺は言葉を呑みこんだ。
さすがに江藤と張り合う女は、どこか違う。
「泥棒猫」
「はっ?」
「雌豚」
「なっ・・・・・!」
「売女、淫売、性悪女、肉べ・・・」
慧生がトンデモ発言をところ構わず乱射し始めた。
「うわ、うわ、らめーっ・・・・!」
フェミニスト的に明らかな禁止ワードが蓄積されて、慌てて俺は彼の口を塞ぐ。
肉(ピー)は駄目だ、絶対に女の子に聞かせるセリフじゃない・・・まして乙女に。
「むーっ、むーっ・・・!」
「やだっ・・・ちょっと、何をなさっていますの・・・」
「君、慧生に一体・・・」
ギャラリーの空気が一変し、俺は自分がとっている体勢にハタと気が付いた。
咄嗟に身体の向きを入れ替えた俺は慧生の頭を抱え込み、あくまで掌でその下品なお口を塞いでいたのだが、後ろから見れば抵抗する慧生に、俺が無理やりキスをしようとしているように見えたかもしれない。
「あ、いや・・・今のは・・・」
手を放し、誤解を解こうとした俺は。
「オーケーいいよ」
再び後ろから慧生に取り押さえられた。
というより、なんとなく今度は抱きつかれている・・・。
「いいって、何を?」
俺の馬鹿、馬鹿、馬鹿!
・・・なんで逃げなかったんだ!
「その代わり、僕とここから飛び降りてよ」
後ろから肩に抱きつかれ、耳元で誘いかけてくる言い方が、どうも口説かれているっぽい。
だが、言っている言葉は死への誘い。
「は!?」
「慧生・・・!」
「僕はお前のものになってやる。二人であの世で愛し合おう」
「いりません、遠慮します。」
どうしてこうなったのか・・・。
「この世界は僕らが生きて行くには汚すぎる。政治家は金儲けばかり。教師どもは学校を使って僕らを洗脳しようとする。真面目に生きている人間が馬鹿を見る世界で、どこに生きる希望が見出せる!」
俺にはその話の飛躍が一向に理解できません・・・。
「君、どういうことか説明してもらおうか・・・」
先生の声が一気に低くなっていた。
俺が知りたいです!
「っていうか、何なんだお前は! この人の恋人じゃなかったのか? んでもって、山崎がどうしたのか判んないけど、横槍入れられてショック受けて死のうとまで思ったんじゃないのかよ!」
「ああ、その通りさ。けれどこのまま、ただ死ぬなんて悔しいじゃないか。お前、さっきも僕のことを押し倒してきたし、今は僕にキスしようとした。僕のこと、まんざらでもないんだろう? いいぞ、この身体を好きにして。その代わり、先に僕と一緒に死んでくれ」
「違う、誤解だ、先に死んだら好きにできない・・・じゃなくて・・・ああ、クソっ・・・俺は何を言っている!」
混乱したまま物を喋ると、大抵は墓穴を掘って終わる。
伊織先生の中で、たった今俺は明確に仇敵と認定された自覚があった。
今この崖から落ちても、俺だけ高確率で助からない自信がある。
というよりだ、慧生を押し倒したのは自殺を止めるためだし、キスしようとしたのは暴言を止めるためだし、っていうか別にキスしようとなんてしてないし・・・・、ええい、いいから誰でもいいからコイツを止めてくれ!
「やっぱり所詮変態なのね・・・がっかりだわ」
落胆50パーセント、軽蔑50パーセントで構成された言葉の矢が心に突き刺さった。
落胆50パーセントだ・・・畜生、山崎まさかの脈ありじゃねぇかよ。
しかも発見と同時に、フラグが立ち消えちまったよ。
どうしてくれる!
「おい、山崎・・・俺はお前のためにだな・・・」
とりあえず弁明を試みる。
「原田くん・・・と言ったかな。今はそれどころじゃないから何も言わないが、君にはあとで話がある」
ほらぁ〜!
「だからっ・・・いや、ちょっと待て・・・。おい、慧生! なんとかしろ! お前の後先考えない放言のせいで類焼が食い止められず大惨事になりかかっているぞ・・・」
背後の慧生を叱ってやろうと振り向いた俺は、反対側から急襲を受けた。
「きゃあーっ!」
「君っ!」
衝撃で目の前を離れてゆく慧生の姿。
そして自分より大きな誰かに、力強く抱き込まれる感触。
「原田・・・そんなの嫌だよ」
耳元で訴えて来る一条の悲しげな声。
「ばかっ・・・いちじょ・・・!?」
一瞬、自分に何が起こったのか理解できなかった。
「うっそ・・・・」
小さく驚きの声をあげる山崎と、困惑する救助隊員たち。
きっと青ざめていたであろう先生が、素早く横を駆け抜けて行く気配。
だが、すべて俺には見えていない。
「・・・・・・・」
視界を塞ぐ一条の顔。
塞がれた俺の口。
息が詰まるほど、強く抱き締められた俺の身体。
なぜか、抵抗できなかった。
後ろで慧生の名前を叫ぶ先生の声が聞こえる。
そうだ、こうしていられない。
呪縛を解かれたように俺は身じろぎ、次の瞬間一条の身体を力いっぱい突き飛ばすと、崖を振り返った。
「そこのデカイの! てめぇ、僕を殺す気か! ・・・・お前らもさっさと助けろ、バカー!」
すわ殺人かと心臓が止まりそうになりながら走り寄って崖を覗きこんだところ、地面にしがみつきながら、俺たちに悪態を吐く慧生の姿があった。
心底、ホッとする。
「慧生、落ち着いて下見てみろよ」
「んだと、てめぇ・・・・?」
そして、俺と先生に言われて、慧生は膝を伸ばすと、1.5メートルほど下の地面に容易く両足を下ろして自分で立ちあがった。
落ち着いて覗きこんでみれば、どうということはない、この程度の段差で飛び降りるの何だのと俺達は騒いでいたわけだ。
というよりだな、そもそもこいつは自殺をしようとしていたんじゃなかったのか?
助けろって何なんだ全く・・・。
いや、大事に至らず何よりなんだが。
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