*四日目:ドーナツ* 「過労だって?」 気になってることがあるんなら、当事者同士でちゃんと話し合いなさい。 ほんの数分前に言われた言葉が耳の奥に蘇る。
近くのホテルで呼んで貰ったタクシーに乗って宿泊ホテルへ戻り、3階の江藤達の部屋へ本人を運んだ保健委員の俺は、一緒に戻ってくれたペペと同室の川口、副担任の有村先生を部屋に残して、一人こっそりとホテルを抜け出した。
ペペがフロントへ急患だと連絡し、江藤はすぐにホテルのドクターから診察を受けられたようだった。
俺が1時間ほどで戻ってくると、川口がドアを開けてくれてその間の経過を報告してくれたのだ。
その川口もすぐに見学へ戻って行った。
俺は揚げたてのドーナツが入った紙袋を、枕元のナイトテーブルへ置いてやる。
「あんたこれ・・・どうしたの?」
言いながら匂いに釣られた江藤がむっくりと起き上がった。
いつもは両耳の上で留めているヘアピンも外しており、市松人形のようなおかっぱ頭になっている江藤は、すでに猫柄のパジャマへ着替えていた。
いかにも江藤らしい柄だ。
「ひとっ走り行ってきた。案外なんとかなるもんだな、一人でも」
まあちょっと電車を乗り間違えて、屋台で言葉が通じず、要らないひまわりの種まで買わされて、釣銭を誤魔化されたりもしたが・・・思いのほかひまわりの種の塩味が効いていて美味かったので良しとした。
買ってきたのは見学中に江藤がしきりに食べたそうにしていた、レイナ広場の屋台のドーナツ。
ブニュエロスというらしい。
丸かと思えば、いびつなリング型だった。
名物らしく、ドロッとしたチョコレートに浸しながら食べている人が、周りに沢山いた。
「まったくあんたって本当バカね・・・」
「おいおいそれはないだろう、人がせっかく良かれと思って買って来てやったのに・・・っつうか、俺のせいなんだよな、半分ぐらいは」
そう言うと、江藤は目を丸くして。
「何言ってるのよ・・・べつにあんたのせいじゃない。あたしが・・・ちょっとばかし、苦労性なだけよ。付き合い長いんだから知ってるでしょ、そんなこと」
「そりゃまあ」
江藤とはもう、かれこれ5年の付き合いだ。
「でも・・・ありがと。よくあたしが欲しい物、わかったわね」
「そりゃあ付き合い長いんだから、江藤の食い意地ぐらい」
「あとで覚えときなさいよ」
「冗談ッス」
江藤がドーナツを一つ口に放り込み、俺にも勧めてくれた。
遠慮なく頂く。
「・・・ちょっと油っぽいな」
ドーナツというよりグラニュー糖がかかっている、もちっとした揚げパンだ。
その場で食べれば美味かったかもしれないが、持ち帰りにはちょっと厳しい。
「こんなもんでしょ。屋台の食べ物なんて、雰囲気よ、雰囲気」
そう言いつつ江藤は、パクパク食べ始めた。
「お前そんなに調子にのって油っぽいもん食って、後で腹壊すなよ?」
「人の心配してる暇があったら、自分のことなんとかしなさい」
「なんの話?」
俺が問い返すと、江藤は俺をジロリと睨みつけた。
「あたしにシラが切り通せると思ってんの?」
「江藤・・・」
「そんなところにいつまでも、居座ってる場合じゃないでしょ? あんたってさ・・・変なとこ気が利く癖に、どうしていつも自分の事は、そうやって空回りばかりするのかな? ・・・本当、いつまで経っても成長ないんだから」
「何の話だよ」
「あたしにだってプライドはあるから、これ以上は教えられないけど、あんたの親友としてこれだけは言っておく。気になってることがあるんなら、当事者同士でちゃんと話し合いなさい。周りに振り回されるのは、あんたが正面から立ち向かわないで逃げてるからよ」
「・・・・・・・・・・」
「わかったらさっさと戻りなさい。・・・っていうかいつまで女子の部屋にいる気なの、この馬鹿は?」
江藤が空になったドーナツの紙袋を丸めて、俺に投げつけてきた。
「おいこら、何をする・・・」
「ほら、それ捨てて、さっさと出て行きなさいよ、あたしは寝るんだから! おやすみ!」
そう言って江藤が布団を頭から引っ被った。
「まったく・・・ごちそうさまぐらい言えっての」
あまりにいきなりな話のぶった切り方に、呆れながら部屋を出る。
だが、すぐに俺の携帯が鳴った。
「江藤?」
メールを開封すると”ごちそうさま”とだけ書いてあった。
思わず噴き出す。
「本当に、可愛いんだか可愛くないんだか」
そして携帯を仕舞い、エレベーターホールへ向かったところで俺は立ち止った。
「一条・・・」
けど・・・ごめんな江藤。
俺にはやっぱり、まだ出来ねぇよ。
「さっさと戻れよ」
そう言って一条の傍を素早く通り抜けようとしたが。
えっ・・・?
「・・・・・・」
ボタンを押したところで強く肘を掴まれ、一条の顔が急接近する。
重ねるだけのキス。
そして。
「今夜、12時にトゥリア駅で待っている」
素早く耳元で囁いて立ち去ってゆく一条の背中を茫然と見送った。
俺に背中を向けたままの彼を乗せたエレベーターが扉を閉じて、階下へ降りて行く。
「人が呼んだエレベーター、横取りしてんじゃねえよ・・・」
久しぶりのキス・・・馴染み深い感触が、やけに生々しく唇に残っていた。