『うさぎ』


第2部 まりあの喪失

放課後の裏庭で携帯のバッテリーカバーにシールを貼っていたあたしは、不意に現実世界へ引き戻された。
「ピョン吉〜! ピョン太〜!」
センスのかけらもない動物の名前らしき声をあげているのは女の子。
「もう・・・せっかくの気分が台無し」
あたし、峰まりあ(みね まりあ)はシールを挟んでいた手帳を閉じて、シャープの最新機種を二つ折りに閉じる。
裏に貼ったばかりの真新しいシールは、昨日の帰りお兄ちゃんと撮ったプリクラ写真。
「ピョン子〜」
それにしても・・・もうちょっと捻ればいいものを、なんだってそんなにベタベタな名前の付け方をするのかしら。
腰掛けた体育館入り口の階段から立ち上がったところで、走ってきた声の主と目があう。
「ああ、あの・・・こっちにウサギがやってきませんでしたか?」
彼女は聞く。
「さあ見てないけど」
あたしは応える。
「そうですか・・・困ったなぁ、どうしよう・・・」
「放っておけばいいんじゃない?」
あたしがそういうと、彼女、石川こずえ(いしかわ こずえ)は目を丸くして、ブンブンと首を振った。
カチューシャで留めたおかっぱの黒髪が、ふわっと広がる。
何んだというのだろう。
「ダメです! だって人に慣れたウサギは、野生では生きていけませんから。それに・・・」
「それに?」
「ウサギは淋しいと・・・死んでしまうんです」
こずえはポツリと言った。
やれやれと思いあたしは携帯を鞄に仕舞うと立ち上がる。
「それで?」
こずえに聞いてやる。
「はい?」
「そっちはもう探したのね?」
「はぁ・・・はい探しましたけど。 でも、なんで・・・」
「手伝ってやるって言っているのよ。じゃあ校庭の方へ逃げたのかもしれないから行ってみるわ。あなたは門のほうを探してみて」
「あ、あのっ・・・」
こずえが呼び止める。
「何?」
「えっと・・・校庭はもう探しました。それに校門も・・・一旦探して、戻ってきたんです。お父さんとお母さんは見つかったけど、子供達が・・・」
こずえは今しがた走ってきたばかりの、裏庭の奥を振り返った。
そこにはつい数十分前には開けられていたはずの檻が、今は住人を2匹だけ戻して閉められていた。
お父さんウサギとお母さんウサギは子供達がいないことに気づいているのか気づいていないのか、ただムシャムシャと、一度は檻の外で地面にぶちまけられ、砂まみれになったに違いないキャベツの葉っぱを、美味しそうに食べている。
「そう、じゃあ外に逃げたのかも知れないわね・・・行ってみましょう。それから、・・・敬語なんて使わないでくれる? クラスメイトなんだから」
「は・・・はいっ! あ、じゃなくて・・・えっと」
「はい、はべつに敬語じゃないわよ」
「そっか・・・あ、じゃあ、はい!」
こずえはとても嬉しそうに笑った。
こんな顔をして笑う子だったんだ、と思う。
それからあたしたちは、学校の外ですぐに電信柱の陰に隠れるピョン吉とピョン子を見つけることが出来た。
でもピョン太はどこを探してもダメだった。
2週間前に生まれたばかりの子供達。
ピョン太はとくに体が小さく、こずえはそんなピョン太が心配で、毎日飼育係が帰るのを待って、様子を見に来ていたのだという。
ならばあたしの姿を見たはずではないかと思った。
どうしてあたしに声をかけた・・・?
そのとき、大通りの向こう側でちょっとした騒ぎが起きていた。 行ってみると、バイクが飛び出してきた動物を避けきれず、横転していた。
運転手は無事だったが、結局踏み潰されてしまった子ウサギは血まみれになって地面で横たわっていた。
あたしは・・・足が震えた。

それから石川こずえとは裏庭で何度か話す機会があった。
こずえは苛められていた。
ノートや上履きを隠されたり、雑巾を投げつけられたり、机をいきなり倒されたり。
教師は皆見てみぬ振りだった、苛めに加担しない生徒も同じだ。
二葉(ふたば)学園ではウサギを飼育している。
動物の面倒を見る行為を通して、生命の大切さや思いやりの心を育み、学校から苛めを廃絶しようというのが目的らしい。
でもそんなものはPTAや世間に対するポーズでしかなく、ウサギを飼って苛めがなくなるぐらいなら、日本でこんなに問題にはなっていない。
ウチのクラスではこずえが標的になっていたし、隣のクラスではまた別の子が苛められていた。
お兄ちゃんのクラスでも苛めはあった。
小学校の頃はあたしが標的にされそうになったことがあって、お兄ちゃんが守ってくれた。
たぶん守ってもらわなくても、あたしは後でやり返したと思うけど、その頃からお兄ちゃんはあたしの騎士だった。
ウサギ小屋は全部で3つあって、小学校、中学校、高校と、それぞれに当番を決めて生徒に面倒を見させていた。
先日ピョン太が死んだ小屋は高校のもので、あたしはその日飼育当番だった人物へ仕返しをするためにそこにいた。
あたしを裏切った兄に。
結果的には逃げ出したウサギたちを自分の手で連れ戻すことになり、餌箱も元通りにされた。
だが帰ってこなかったピョン太は問題になってしまった。
事件を聞いた兄は、すぐにあたしの仕業だと気づいた。
そしてあたしに言った。
「これは俺がやったことにするからお前は黙ってろ」と。
学校はその日の飼育当番の兄と一緒に当番をしていた兄のクラスメイトを追求し、兄は自分がやったと説明をした。
当番を終えた後で忘れ物をとりに行ったが、そのとき誤って1匹逃がしてしまったのだと、不自然のない嘘を吐き、学校もその説明を受け入れたが、すぐにその報告をしなかったことで、噂に尾ひれたついて広まった。
兄がウサギを盗んだんじゃないか、どこかで殺したんじゃないのか、と・・・。
その噂はあたしの耳にもすぐに届き、クラスメイトから揶揄れたりもした。
そして1週間後、いつだってあたしを守りたがった兄はあたしを好奇の目から守るべく、ひとりで学校を去って行った。


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