不意にハンカチが差し出された。
見ると石川こずえが立っていた。
「大丈夫?」
泣いてるところを見られた・・・。
「何か用?」
あたしはハンカチを受け取らず、指先で誤魔化すように目元を拭う。
「まりあちゃんが淋しそうだったから」
「あなたに関係ないでしょう? それより用がないんだったら・・・」
言いかけて、ふとこずえの足元に気が付いた。
「ああ、これ・・・? 忘れちゃった。私ドジだから・・・」
靴がなく、靴下で体育館入り口まで歩いてきたこずえは、そう言って照れくさそうに笑う。
忘れたですって? どこに上履きを脱いで通学靴を履き忘れる人がいるっていうの。
「ったく・・・バカじゃないの?!」
あたしに嘘を吐こうとするこずえに、なぜだか無性に腹が立っていた。
「まりあちゃん、どこ行くの?」
「靴を探すに決まってるでしょ」
自分の上靴をとりあえず履かせ、午後の授業を潰して探し回った結果、こずえの通学靴はゴミ収集所で見つかった。
昼までは白かった真新しいスニーカーがすっかり汚れて、少し匂っていた。
上履きはとうとう見つからなかった。
あたしが必死に止めても、こずえは見つかった通学靴を履くと、「一緒に探してくれてありがとう」と笑顔で言った。
帰り際、あたしはこずえを呼び止めると、彼女の携帯番号を教えてもらった。
見るとこずえは同じシャープの機種を使っていた。
「ちょっと待ってね」
そう言ってあたしはその場でこずえの番号を押す。
こずえがプリクラシールに気が付いた。
「わぁ、すごくカッコイイ人! これ、ひょっとしてまりあちゃんのお兄ちゃん?」
大抵こういうときは彼氏とか聞いてくるもんだと思っていたのに、こずえは一発で言い当てていた。
やっぱりどこか似ているらしい。
「そうだよ。お兄ちゃんは世界一カッコよくて、優しくて、そしていつでもあたしを守ってくれるんだ」
そう。あたしだけを見てればいいのに・・・。
「そうか・・・まりあちゃん、お兄ちゃんが大好きなんだね」
こずえが言った。こずえの携帯が鳴る。
「これでいつでも、まりあちゃんと話ができるね!」
そう言ってこずえはすごく喜んだ。
しかしあたしがこずえの携帯を鳴らしたのは、これが最初で最後だった。
クラスでのこずえに対する苛めは次第にエスカレートしていき、ほとんど学校に来なくなってしまった。
学校に来ても大抵男子が席の周りを取り囲み、近付くことができない。
あたしはまた一人になっていた。
その日は酷い事件があった。
ベランダからこずえの机と椅子が落とされ、こずえが取りに出て行こうとするのを、いつも苛めてる男子たちが阻止した。
2時間目の授業中のことだ。
無視して授業を進める数学の女性教師の態度が頭に来て「止めさせてください」と申し出ると、先生は「あなたたち静かにしなさい」とだけ注意して、また授業に戻った。
馬鹿じゃないのかと思った。
こずえはたった今机と椅子を放り出されたのだ。
なのに落とした連中に取りに行けとも命じなければ、派手な音がしただろうに、様子を見に来るほかの教師もいない。
この学校はどうかしている。
兄は、こんな場所から一人で出て行ってしまったのだ。あたしを置いて・・・。
こずえはその晩自宅へ戻らなかった。
家の電話が鳴る。
こずえかもしれないと思って電話をとると、知らない女からだった。
兄のクラスメイトで、どうやら名簿を見て勝手にかけてきたらしい。
無言で切ってやった。
こんなことは以前からしょっちゅうだが、取り次ぐ義務もなければ、取り次がれたとして兄も迷惑だろう。
それにこのときは無性に腹が立っていた。
こずえがいなくなったというのに、兄は新しい学校で楽しくやっているらしい。
あたしが、また一人になったというのにだ。
5日後、テレビでこずえのニュースが流れ出した。
押し寄せるマスコミに対し、学校は「我が校に苛めはありません」と機械のように繰り返している。
いつかネットカフェあたりから知りうる限りの真相を週刊誌へ売りつけてやろうと思った。
学校から帰るとこずえが立っていた。
電柱の陰で、人目を避けるように。
「こずえ・・・何やってんのよ!」
「ごめんね勝手に来ちゃった」
「いいからこっち・・・」
あたしはこずえの手を引いて裏門からウチへ入ると、直接二階へ続いている外階段からこずえを中へ入れて、自分の部屋に入らせた。
「まりあちゃんの部屋、可愛いね」
「何呑気なこと言ってるの。みんな大騒ぎしてるよ。家の人には?」
こずえは黙ってにっこり笑う。
笑顔の意味がまったく理解できない。
そのとき下から母の声がした。
あたしはこずえをクローゼットへ隠れさせ、直後に部屋のドアが開く。
「帰ってるならどうして声かけないの? 祥一(しょういち)が大変なのよ」
知っている。だって弁当箱にムカデを詰めたのはあたしだからだ。
いつも弁当をあたしに作らせて、自分は昼まで寝ているか、早くからどこかへ遊びに行っている母は、そりゃ想像も付かないだろう。
でもあたしは母の前ではいい子にしてなきゃいけない。
じゃないと兄が心配する。
「えぇっ、お兄ちゃん怪我をしたの? 病院は?」
「学校で処置をしてもらったから、そんなに心配はいらないみたいだけど、・・・あら、祥一お友達は?」
制服姿の兄が階段を上がって2階までやってきた。
両手の包帯が痛々しい。
「帰った」
母の質問に兄が答える。
「お兄ちゃん大丈夫?」
一応聞いた。
「お前は心配すんな」
いつものように優しい笑顔だ。ちょっと、苛々する。
「ねえ祥一、本当に病院行かなくて大丈夫・・・」
自分の部屋へ向かう兄を母が追いかけた。
目の前でドアが閉まる。
「もういいよ」
クローゼットの中に閉じ込めたままのこずえを、外へ出してやった。
こずえは意味ありげな顔であたしを見る。
「ねえ、まりあちゃん」
「何よ」
「まりあちゃんって、ひょっとしてツンデレ?」
「ちょっ・・・違うわよ!」
何バカなこと聞いてるのよ。
ヤンデレはあるけど、ツンデレなんて言われたことないわよ。
「ふふふ」
こずえが楽しそうに笑った。
「とにかく、お母さんが2階にいる間に何か持ってくるから、ちょっと待ってなさい」
言い置いて部屋を出て行く。
そういえば、今日は母が料理教室でパウンドケーキを焼いてきていたはずだ。
兄の友人が来ていたなら、それを出したかもしれないが、ちょっとは残っている可能性もある。
こずえなら残り物で十分だろう。
部屋を出るとき、こずえが独り言のように呟くのを聞いた。
「まりあちゃん、もう淋しくないんだね。・・・よかったよ」
何を言ってるの。
淋しいのはあなたのほうでしょ。
また苛々としてくる。
応接間へ入ると、案の定パウンドケーキが余っていた。
テーブルを片付けがてらふと窓の外を見ると、先ほど来ていた兄の友人たちが門の前で喋っている。
男の子と目が合う。
軽く会釈をしておいた。
その陰から、女が出てきた。
不意に、先日の電話を思い出す
まさか、あの女・・・。
苛々しながら部屋へ戻る。
こずえはもういなかった。
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