食事を終え、コーヒーを淹れて二人に出すと、峰のカップの隣に胡桃ケーキを一切れ載せた皿を、一緒に置いてやった。
「お前には特別に、これを先に食べさせてやるからな。ただし、1個だけだぞ。俺はその間に洗い物を済ませてくる」
「そんなに涙目で言うぐらいなら、お前が先に食えばいいだろう。洗い物なら俺がするぞ。食べさせてもらったんだから、そのぐらいはさせて頂く」
そう言って峰が立ち上がる。
「いやいや、お客様に後片付けなんてさせられないよ。・・・秋彦君、心配しなくても、空港から宅配でいくらか送った荷物が、明日届く筈なんだ。その中にももう一箱、胡桃ケーキが入ってるよ」
それを聞いて安心した俺は、シャツの腕を捲り、キッチンへ向かった。
そういうことならまったく問題はない。
手伝おうとしてくれていた、峰を引き留めた英一さんはというと、峰をダイニングへ残らせて、何やら話を聞きたかったようだった。
流しへ向かった俺は水道の蛇口を捻り、食器の汚れを軽く洗い落として、すぐに水を止める。
そしてスポンジを手に取り、洗剤を付けたところで、後ろから二人の会話が聞こえてきた。
「そうか、じゃあ秋彦君の勉強を見てくれるんだ」
「まあ、そのつもりで来た筈だったんですが・・・今日は残念ながら」
「あははは。あの部屋じゃ勉強する気にならなかったでしょう」
危うく皿を取り落としそうになった。
「英一さん・・・・そんな目で俺を見ていただなんて、ショックです」
「じゃあ、お前はどういう風に見てもらいたくて、その天才的な怠慢を実行に移しているんだ、言ってみろ」
「酷いっ、その言い方はあんまりだ。こんな野郎のために、カレーを作った俺が憐れで仕方がない」
「まあまあ、カレーは美味しかったって言ってくれてるじゃない。秋彦君の努力はひとまず達成しているから、安心していいんだよ。峰君、秋彦君はあの通り、ちょっとばかり勉強が苦手だけど、良い子だから、面倒見てもらっていいかな」
「任せてください。そのために俺はここへ来たわけですから。・・・あの、ところで、少し立ち入ったことを伺っていいですか?」
「ほう、なんだろう」
英一さんがあまり表情を変えることなく、だが、警戒心を僅かに滲ませた声で聞き返した。
「原田・・・・秋彦君のお母さんを殺した犯人は、今も尚、大手を振って、この空の下を歩いてるいんですよね」
「おま・・・うわっと、・・・痛っ!」
いきなりと言えば、あまりに不躾な質問の内容に、俺は耳を疑い、手にしていたガラス皿を今度こそシンクへ落として、その破片に触ってしまった。
「原田!」
そう呼ぶ声が聞こえた次の瞬間には、峰が隣に立っており、泡だらけの俺の手を取っていた。
「み、峰っ・・・?」
「切ってるじゃないか・・・ちょっと沁みるぞ」
峰は俺の指先を、細い流水の下へ翳すと、手に付いた泡を洗い流し、タオルで包む。
そしてダイニングを振り返り、続いて俺も視線をそちらへ向ける。
英一さんがさも可笑しそうに、俺達のそのやりとりを、にやにやしながら見ていた。
もう顔から火が出るほど恥ずかしい。
というか、峰の咄嗟のこの行動は、どう言い繕っても、あらぬ誤解を英一さんへ与えてしまったに違いない。
「あの・・・ええっと」
「すいません原田さん、絆創膏を頂いてもいいですか」
峰はまったく空気を読んではいないようだった。
それとも意に介していないのか。
「もちろん。それとさっきの質問だけどね、大手を振って歩いてはいないから安心していいよ」
「えっ・・・それって、あの・・・」
質問・・・・俺のお袋を殺した犯人、つまりおにいちゃん・・・霜月勤は、今も大手を振って歩いているのかどうか。
それに対する回答、ということなのだろう。
「はい、絆創膏。・・・ええっと、峰君に渡した方がいいのかな」
「いや、自分でしますので結構です」
俺は絆創膏を英一さんから受け取り、自分で傷口に巻いた。
・・・・5ミリも切っていないじゃないか。
「それは本当なのですか?」
峰が英一さんをさらに追求した。
俺も聞きたかった。
何を根拠に、霜月勤は大手を振って歩いていないと言ったのだろうか。
「結論から言うと、霜月は・・・秋彦の母親を殺し、冴子さんの弟を自殺へ追い込んだあの犯人は・・・・、死亡している」
「えっ、本当ですか・・・!?」
初耳だった。
「そう仰る理由を教えて頂けないですか」
おにいちゃんが・・・死んでいる・・・。
「君は随分と気にしてくれるんだね」
「ええ。原田の身の安全に関わることですから」
「そうか。・・・・そう言える根拠は霜月の死亡記事と、歯のレントゲン写真、あとは江藤警部・・・今は警視だったね、彼が私費で雇ってくれた探偵による身辺調査報告の結果が、すべてその方向で一致しているからだよ」
「江藤警視!?」
ちょっと待て、それってまさか江藤の親父さんのことじゃないのか・・・。
「あの・・・すいません、江藤警視というのはひょっとして、N県警察捜査一課長の江藤潔(えとう きよし)警視のことですか? 彼は当時の担当捜査官だったということなんでしょうか」
峰が説明を求める。
「正確には違う。ただ、僕が霜月釈放の連絡を受けた時に、捜査本部が置かれていた泰陽(たいよう)署へ殴り込みに行って、”警察は何をしているんだ!”と、通りすがりの彼を間違えて怒鳴ってしまったんだ・・・後から、捜査に関係のない人だったと知って、穴があれば入りたいぐらいに恥ずかしかったけどね」
「英一さんが、警察に殴り込み・・・ですか」
今の穏やかな彼からそんな姿は、どう頑張っても想像が出来ない。
「霜月勤は何故亡くなったのですか」
「彼は事件の後、さすがに街へ居辛くなったのか、大学に休学届を出したらしい。その後S県へ転居して、ラーメン屋でアルバイトをしながら生活していたらしいよ」
「S県って・・・なんでまたそんな場所に?」
俺は言った。
普通なら新幹線で3時間は移動しなければならない、西日本の県だ。
「霜月はS県の出身だったということですか?」
峰が聞く。
「御両親はT県の人達みたいだよ。S県にはおそらく親戚を頼って行ったんじゃないかな・・・最初に親戚の家を訪ねているみたいだから。どうも霜月自身は、御両親と疎遠だったようだね」
T県というとS県の隣の地方だ。
そこではなく、S県の親戚に会いに行ったというのは、確かに興味深い。
「疎遠というと、どのぐらいですか」
峰が更に質問する。
「5年以上は会ってなかったみたいだよ・・・当時、霜月は20歳だから、その前の5年というのは、かなり大きいよね」
中学卒業から大学2年までの時期ということだ。
普通では考えにくい。
「どうしてそんなに・・・仲が悪かったんですか?」
俺は英一さんに聞いた。
「さあね。そこらへんは僕にもよくわからない」
「親戚の家へは何故?」
峰も質問を続ける。
「金の無心に行ったんじゃないかな。霜月はすぐにS県でアパートを借りてそこに居を構えているから」
「親戚の家を訪ねておきながら、そこへは住まずにアパートですか」
「そりゃあ、一度警察の厄介になった身では親戚の家なんて、どんなに困っていても世話にはなりにくいもんだろう」
俺の疑問には峰が答えた。
「それもそうか・・・」
親戚にしてみれば、邪険にはできないから金だけは出す。
しかし地域住民の目を気にして、頼むから、もう二度と顔を見せてくれるな・・・そのぐらいのことは、霜月に言ったかもしれない。
「霜月はなぜ亡くなったんですか?」
峰が最初の質問を繰り返す。
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