「泰陽署を訪れた僕は、最初、何としても署長に直接会って、言いたいことを全部言ってやろうと、心に決めていたんだ。ところが、玄関ホールで僕とすれ違ったスーツ姿の男に対して、後ろから追いかけてきた若い刑事が、”警部”と呼びかけるのを聞いたんだよ。で、なぜだか僕は、きっとこの男が事件の責任者に近い捜査官に違いない筈だと、早とちりをして・・・本当に恥ずかしい限りだよ」
「はははは、江藤の親父さんもさぞかし面食らったことでしょうね」
「うん。・・・けれど話を聞いてくれた江藤警部は、本当にいい人でね。今思うと、あれは、不幸のどん底に落とされていた僕らに、神様が与えてくれた一筋の光明だったのかも知れない」
「そうですか」
今でこそ、江藤の親父さんは、太い眉を持ったすごく厳めしい男という印象しかないのだが、英一さんがこう言うからには、やはりいい人に違いないのだろう。
何しろ、江藤里子という、竹を割ったような気持ちの良い性格の女の子を、あれだけ真っ直ぐに育てあげた御両親の一人なのだ。
正義漢であることは、まず間違いない。
「そして話し合った結果、江藤警部が僕らと同じように、霜月の釈放に対して大きな疑問を抱いていたらしいと判明したんだ」
「何故ですか」
峰が聞いた。
「それは・・・」
そこでなぜか英一さんは俺の顔を見ると、咄嗟に言いかけた言葉を飲み込んだように見えた。
なんだろう、この感じは。
「キラー・クラウンやミルウォーキーの悪魔になる可能性があったから・・・違いますか?」
「えっ・・・」
意味不明のフレーズを並べた峰を、俺は振り返った。
キラー・クラウンにミルウォーキーの悪魔・・・、それは何の話だ?
「ほう。・・・君はそういう物に詳しそうだね」
英一さんが皮肉めいた言い方をして、峰を揶揄した。
「そりゃ、必死に調べ捲りましたから」
峰がそっけなく答えた。
「おい、ちょっと待ってくれよ・・・英一さん、どういう意味なんですか?」
俺に関係がある話で間違いないというのに、俺にだけ何のことだかさっぱりわからなかった。
「まあ、ゲイシーやダーマーほど恐ろしい悪魔になりきれたのかはわからないけれど、彼のやってきたことに、そういう疑いを持つ捜査官が何人かいたことは間違いないようだね。・・・間違いないというのに」
英一さんはそう言って、なぜか不意に歯の奥をギリリと噛みしめたように見えた。
だが、話に付いていけていない俺には、その意味を考える余裕などありはしなかった。
「英一さん!」
英一さんを問い詰める。
「わかったから、落ち着け秋彦。・・・原田さん、もういいですよね。霜月は死んだ、そうですよね」
ここにきて、峰が三度目の念を押した。
そして俺は、峰が霜月に対して、恐れを抱いているのかもしれないと、なぜか不意に思った。
「そうだね・・・知らなくていいことなら、わざわざ知る必要もないと僕は思う。けれど、君は随分と秋彦君を親身に思ってくれているようだ。それなら、君の判断に任せよう」
「ありがとうございます。・・・とはいえまあ、なんでもかんでも人に頼るのは、俺もどうかと思うので、・・・・秋彦、知りたいなら、自分で調べてみろ。キラー・クラウンにミルウォーキーの悪魔・・・これはアメリカの連続殺人犯の渾名だ。特別大ヒントで本名を教えてやる。ジョン・ゲイシーにジェフリー・ダーマー。あるいはフランスの青髭こと、ジル・ド・レーについて調べてみてもいいだろう。奴らには有名な共通点がひとつある。あとは好きにしろ」
「ええっ・・・何でヒントだけなんだよ!」
俺は今、この話題に付いていけないから、聞いているのに。
英一さんがクスクスと笑っていた。
「ねえ、英一さん!」
「甘えるな。ググレカス」
「峰てめぇっ!」
「君は・・・、あの一条篤君とは、全然雰囲気が違うんだね、ハハハハ・・・」
「英一さんも、何でそこで篤の名前が出てくるんですか!」
「それは俺も不愉快ですね」
「おおっと、こりゃ失敬。今のは失言だったと認めよう、申し訳なかったね峰君。・・・それでだね、話を戻すけど、江藤警部は霜月が泰陽文化大の学生であったところに目を付けて、今度は彼自身が追っていた事件の捜査として霜月を調べてくれたんだ」
「泰陽文化大・・・」
俺と峰は顔を見合わせた。
よもや、俺達が受験予定の大学の先輩に当たるとは、どういう皮肉なのだろうか。
もっとも東大が本命で、そちらへ行く可能性が限りなく高い峰にとっては、あまり関係のない話だが。
「けれども残念なことに・・・ああ、こんなこと言っちゃいけないんだろうけど、間もなくドラッグパーティーの件は、多くの学生たちに薬物を販売していた3名の学生が検挙されて、背後に広域暴力団が関わっていることも判明し、捜査本部が警視庁へ移された。それをもってして、泰陽署での捜査は一旦終了した為、霜月を監視していた刑事達は任務を解かれた。そこで江藤警部は、今度は私費を使って探偵を雇い、引き続き霜月を監視させていたらしい。そして僕らに定期的に報告をしてくれていたんだ。その報告は、1年後、霜月本人の死亡をもって終了しているんだよ」
「そうだったんですか・・・」
江藤の親父さんがそこまでしてくれていたなんて・・・、俺にとっては頭があがらない話だった。
「それほど疑わしい人物だったってことですよね」
峰が言った。
「僕はそう思う」
「英一さん・・・」
「しつこいようですが、霜月は死んだんですよね」
四度目の質問。
大概しつこいと、さすがの俺も思った。
「今度、江藤警部が送ってくれていた報告書を用意しておくよ。自分で目を通してみるといい。アトリエにあるんだけど、今はちょっとごったがえしているからね・・・こういうことになるなら、ちゃんと掃除してから旅行に行けばよかったよ」
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