会場へ着いてみると相手学生は既に全員着席しており、その中に期待の一条篤(いちじょう あつし)は案の定姿が見られず、直前に奔走していた我妻のテンションは、あからさまに急転直下した。
 その代わりと言ってよいのかはわからないが、朝倉翼(あさくら つばさ)が来ていた……泰文の隠し玉というものがあるとすれば、おそらく彼の事だったのだろう。
 朝倉はヴァイオリニスト小城山良次(おぎやま りょうじ)と大女優朝倉(あさくら)あずさを両親に持つ芸能界のサラブレッドで、自身も『飛翔(ひしょう)』という小劇団に所属している舞台俳優だ。とはいえ、多くの二世芸能人がそうするように、両親の威光を嵩に着てコネで仕事を得たりはしていないようで、今の劇団もオーディションで入団し、下積みからきちん段階を経て役を得ている。私はそんなところに演劇への情熱やプライドを感じて好印象を持っているのだが、親のネームバリューに比して、現状の本人はさほど有名でもないらしく、この店にいる女性陣の反応は実に薄いものだった……というより、寧ろ冷やかと言っていい。
「朝倉はスキューバやる? 俺この間、海豚島(いるかじま)行ったんだけどさ……」
「僕マリンスポーツとかしたことないし、今年も仕事とバイトで夏は……」
「だよなあ!? ところで朝倉ってどこの劇団だっけ? 俺そういうのあんま詳しくないんだけど、今度見に行きたいからさ……あ、これグラス空じゃん。ねえ、お姉さんビール追加……」
「ありがとう……でも、僕ビールは飲めないんだけど。それに、まだ大した役貰えてないから、興味ないのに来てもらっても……」
 向かいの席で、隣り合って座っている男子学生3名が、中心の朝倉を挟むように顔を寄せ合い、それぞれに誘い始めたのだ。肝心の朝倉本人はすっかり困惑顔である。
「まったく何やってんだよ、お前らは……」
 ただ一人、少し離れた位置から引き気味に状況を見守っている男子学生が、苦笑交じりに友人達へ釘を刺したが、女性陣はもはや戦意喪失だった。コンパに来て、男同士で盛り上がられては当然だろう。私を引っ張り込んだ我妻も早々に席を外したきり、戻ってくる様子がない。我妻が誘いだした夏樹という学生も、どうやら遅刻している。
「ごめん、ちょっとトイレ行くね」
 隣の見知らぬ女子学生に声をかけて、私も席を立った。出来ればこのまま帰りたい気分だったが、せめて我妻に声をかけないとまずいだろう。
 メインフロアから表示に従い、暖色系のダウンライトに照らされた通路を奥へ進む。片側の壁面にはキャンペーンや新メニューの案内といった告知ポスターがパネルに収まって張り出され、向かいには同じような見た目の扉が3つ並んでいる。一番手前の扉が開き、カジュアルな装いの男性が出て来て廊下の奥へと歩いて行った。
「へえ個室があるんだ」
 開いたままの明るい室内には、彼の他に5人の男女がテーブルを囲んで盛り上がっており、一見したところは自分達と変わらないコンパのようにも見えた。ただし、やや年上と思われる彼らには、個室を押さえる資力という違いがある。
 真ん中の扉は閉まっていて中から何も聞こえないが、奥の扉はわずかに開いて見える。
「あ、誰かいる……」
 白い扉の奥は暗く、一見したところはここも未使用に思えた。しかし10センチほど手前に開かれた隙間からは敷板を踏むようにして、水色の生地に白いゴム底のスニーカーが、こちら向きに爪先を見せていた。てっきり誰かがそこに立っているのだろうと思ったが、近くまで来てみると、片足の靴だけが入り口に置かれているのだとすぐにわかった。
 デザインがカジュアルなユニッセックスに見えるので微妙ではあるが、26センチ程度のそれは、おそらく男性物だろう。
「なんでこんなところに……」
 無意識に手を伸ばかけ、同時に薄暗い部屋へ視線を投げかけてそのまま固まった。
 最初の部屋と変わらぬ作りのそこは、何も置かれていないガラステーブルを中央に、壁際へ全てのソファが寄せられていた。そのうちの手前の椅子には黒っぽいスリムなデニムらしきパンツを履いた男が後ろ姿を見せて、ソファに向かって背を曲げている。
「あ……」
 呼びかけようとして、一瞬で言葉を引っ込めた。
 デニムの長い足の先には、黒い革靴とやや薄い色のソックスが見えている。ということは、彼はこの靴の持ち主ではないのだろう。そう結論付けた次の瞬間、もう一組の脚に気が付いた。
 暗い闇の中で、ソファの座面へ膝立ちに乗りあげ、足裏をこちらへ向けている人物……デニムの男よりも、やや細身に見えるが、女にしては筋肉質であり、恐らくこれもまた男性だろう。裸足の足裏と、外見から察するおおまかな寸法、そしてここにいる条件を考慮して、彼がこのスニーカーの持ち主に間違いないだろう。しかし、なぜこんなところに靴があるのかという疑問を考えるまでもなく、色白の太腿と肩から腕に目が行き、ときおり揺れ動くソファに気が付く。よく見ると、彼らの足元には脱ぎ散らかされたチェックのシャツや明るい色のデニム、そしてもう片方のスニーカーがゴム底をこちらにを見せて転がっていた。
「あっ……そこ……っ」
 か細いと形容したくなるような、艶めかしいハスキーな声は、間違いなく全裸の青年のものだ。そして手前の男は彼の背に覆い被さるようにして椅子の背凭れに捕まっており、その腰はまるで相手の臀部へ打ちつけるように、小刻みに動いている。
 鼓動が早鐘を撃ち始める。二人の顔が見えない点が甚だ残念だが、スラリとした背格好から想像するに、きっと双方美しいに違いないと心で決めつけた。美少年同士や美青年同士、ときには美中年同士、渋いオジ様と少年、ガテン野郎と儚げなオジ様等のそういうシーンを、これまで漫画や小説、映画で見たことはあったが、生身を目にするのは初めてだった。できれば鞄のスマホで記録に収めたいものだが、思い付きで行動に移すと、なんとなく犯罪のような気がして躊躇し苦悶する。ひとまずしっかりと脳裏に焼きつけるべく、食い入るように部屋の奥を観察していると。
「そんなところで何やってんの?」
 突然知っている声に呼びかけられて、心臓が口から飛び出そうになった。慌てて背を伸ばすと、声の方向へ猛スピードの徒歩で移動を試みる。
「なんでもない……我妻こそ、いつまでも戻って来ないと思ったら、ここにいたんだ?」
 3部屋並んだ個室の奥は5メートル四方ほどのスペースになっており、入り口にはSmoking Roomの看板が掛かってている。境界に仕切りはないが、代わりに灰皿は吸引式になっており、煙はほとんど通路へ流れ出していない。
 人をコンパへ呼び出した癖に我妻はこんなところで油を売っていたようだった。
「だって男同士でくっつかれちゃあ、何しろっていうのよ。っていうか、反則よねえ。俳優だかなんだか知らないけど、女より可愛い男なんて普通連れてくる? 杉橋君はなんか佐伯のことばっかり見てるしさあ」
「そうだっけ?」
 唯一知っている朝倉翼以外、この度のコンパでは男性陣の名前を覚えていなかった。その為、我妻が差している男が誰かという確証はないが、話の内容から推察するに、朝倉を誘っている友人達を窘めていた男がそうなのだろうと見当を付けておく。その男が自分を見ていたという印象はとくになかったが、思い返してみると自分も朝倉しか見ていなかったのだから、気が付かなくても当然だ。もっとも自分の場合は、舞台俳優である朝倉をファンの一人として見ていただけで、ミーハーなものである。
「まったくコレだもん。あのさあ、知らなそうだから一応教えてあげるけど、杉橋亮五(すぎはし りょうご)って一応有名人だからね。城陽の元陸上部主将で、インハイで何回も入賞してる。あそこは何だかんだと有名人が多いから、印象薄いかもしれないけど、彼ってそれなりにファンとかいるみたいよ?」
「そうなんだ……」
 我妻に言われても、相変わらずピンと来ない。高い身長とショートの髪型のせいで、ときどきスポーツをやっていると勘違いされるが、実はやる方も見る方もまったくの素人だ。だからインハイ入賞と言われてもまるでヒントにならない。分野は違うものの、あるいは剣道をやっていた山崎であれば、名前ぐらいは聞いたことあると言うだろうか。
「噂をすれば……だね」
 我妻が煙草を消しながら通路を見つめて呟くように言う。その視線を追って確認した。
「やあ、女の子同士でどこかに消えたと思ったら、一服かい?」
 通路には日焼けした背の高い青年が自分を見つめて立っていた。

 03

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