杉橋亮五という青年は、恐らく彼氏として付き合えば幸せで、女としての虚栄心もそれなりに満たしててくれる青年なのだろうと思う。
「俺はこれをもう一杯。初音ちゃんも、もっと何か飲む?」
「私はまだ残ってるから」
「じゃあ、ビールだけで。それと、タコスサラダとフライドチキン……それから……」
テーブルへ戻った途端に杉橋は、何かと私の世話を焼きたがった。隣り合った距離は近く、さりげなく接している膝や肩も、繊細な気遣いも、未経験の自分には何もかもが新鮮で、同時に彼の経験の豊富さを感じさせた。
我妻から聞いた話を本人に伝えると、インターハイに出場した輝かしい記録ではなく、惜しいところで予選敗退した2年当時の思い出や、万年補欠だった中学時代に先輩からこき使われた話が始まり、自慢話を避ける人柄にも好感が持てた。
自分の周りには不思議なことに、一条篤のようなスーパー御曹司や、超絶美形青年の峰祥一、また原田秋彦のような周辺校にその噂が届くほど綺麗な青年が揃っていた。そのためなのかどうかはわからないが、これまで他の男子を気にしたこともなかった。今こうして杉橋と対峙してみると、彼もまた整った顔立ちをしていて、会話でも飽きさせず、それでいて嫌味がない。おそらく交際相手として付き合うのであれば、こういう背年はきっと理想に近いのだろう。
「ねえ、初音ちゃんの話も聞かせてよ」
自然な流れで会話のバトンが自分に渡された。何を話して良いかを悩むまでもなく、次々と杉橋からテーマを振られ、引き出されるがままに、オカ研の活動や百合寮での思い出を語ると、杉橋は興味深そうに身を乗り出し、ときには声を立てて笑いながら話を聞いてくれた。
「ははは、その小森って子は本当に面白いね。……なあ、朝倉そのサラダこっちにくれる? それじゃなくて、隣の……そうそう、悪い……」
不意に隣の杉橋が朝倉に向かって手を伸ばし、タコスサラダの大皿がテーブルを対角線上に移動した。軽く腰を上げ、そして座り直す一瞬……それはほんの一瞬だったが、胸を押されたような気がした。
「はいこれ。……それじゃあ初音ちゃんは、今も女子大で……」
腰を戻した杉橋は、朝倉から受け取ったタコスサラダを未使用の皿にとり分け、私の前に置いてくれながら、相変わらずオカ研の話を尋ねてくる。
「ありがとう」
取り皿を手に持ち、杉橋を見つめた。日焼けした男らしい端正な横顔は、なんらの動揺も感じさせず、また謝罪の言葉も出てない。
杉橋は大皿を持っていたし、接触はほんの一瞬だから、わざとではないのだろう。それでも掠めたという軽い接触ではなく、肘でしっかりと押されたのだから、どこへ触ったのか気付いていない筈はない。
「なんだか青ワッパって、カッパみたいだよね……ははは、本当に初音ちゃんの話は面白いなあ」
「そうかな……えっ……?」
内心で首を捻りつつ、サルサソースの利いた茹でエビを口へ運んでいると、さらにギョッとした。
空いたグラスをテーブルの端に移動させた杉橋は、その手を自分ではなく私の膝の上に置いたのだ。咄嗟に足を動かすとすぐに引っ込んだ。
さすがにあからさまな拒否だったかと気にして、またもや横顔を伺うと、相変わらず気分を害した様子も見えない。これもやはり、単なる偶然だろうかと考えてみたが、常識で考えて自分と他人の膝を間違えることはあり得ないだろう。やはりセクハラを受けているのだろうかと思い至りかけたとき、杉橋の言葉を聞いて唖然とした。
「君ってさ……本当はレズでしょ?」
目を見開き、まじまじと相手を見つめ返す。一瞬何を言われたのかよくわからなかった。
杉橋もまた、微笑みを絶やさぬまま自分を見ていたが、そこに先ほどまでの人当たりが良い、悪い言い方をするなら調子の良さそうな軽い雰囲気は感じられなかった。男らしいまっすぐな眉の下で、綺麗な二重瞼を持つ黒い瞳が、探るような視線を自分に送っている。
そんなことない……否定するつもりで開いた口は、なぜかまったく違う返事をしていた。
「どうなんだろ……」
どうしてそんなことを言ったのかは、自分でもわからない。
これまで同姓を性的対象として見たことなど一度もない。そして人並みに恋愛をしたい気持ちも一応は持っている。それならば、彼氏が欲しいのかと訊かれると、そうでもないような気がするのだ。
突然杉橋が仰け反って大笑いを始めた。テーブルに座している面々が、茫然と彼を見ている。
「初音ちゃんって本当に面白いね。それとも天然なのかな?」
「そう……かな」
曖昧に返答を濁した自分は、どういうわけか、ますます杉橋に気に入られたようだった。
他の仲間達は間もなくこちらへ興味を失い、彼らの話題に戻ってしまう。一度引っこめられた男の手は、またすぐにスカートの上に置かれている。
二度も払い落すのはさすがに気が引けて我慢していると、セクハラはますますエスカレートしてしまった。助けを求めるつもりで視線を巡らすが、頼みの我妻は、すっかりコンパに興味を失ったまま、テーブルへ戻る様子もない。適当なタイミングでキリをつけて逃げ出そうと考え、それまでは堪えるしかないと諦めた。現実逃避した心は、なぜかはるか前の幼い日々の思い出へと向かっていた。