もう一度携帯を見る。写真を間違えているのではないかという疑念は、次の言葉ではっきりと否定された。
「元カノって言った方がいいかな。2年も付き合ってたんだけどねえ……打ち明けられた別れの言葉が『疲れた』だって。卒業式の直前でいきなり引導渡されるなんて最悪でしょ。こっちは卒業旅行まで準備してたっていうのにさ。……けど、ずっとそんな思いさせてたのかって思うと、申し訳ないやらなんやら……謝りたくても、もう終わりって言われてるのに、しつこく電話架けるのも却って悪い気がしてね……」
そう語る夏樹の表情は、どこか淋しそうだった。
何が原因で携帯の可愛らしい少女が夏樹に疲れを感じたのかはわからないし、会ったばかりの自分が追及するのも憚られたが、終わった恋をまだ引き摺っていそうな夏樹に対し、本当にレズなのかと好奇心のみで再確認すべきでないことだけは間違いないと感じた。
「あれっ……ちょっと待って……」
もう一度夏樹の携帯を勝手に操作して表示させる。
「なあに、いきなり栞(しおり)が好みとか言わないでよ?」
「へえ、この子栞ちゃんって言うんだ……そうじゃなくて、おかしいじゃない? つまりこの子と付き合っていたってことは、そういうコトでしょ? なのに、ええっと……あの、どうして和嶋さんは合コンに来たの?」
「夏樹でいいわよ。……だから、栞とリコが友達で、我妻が緊急支援求めてるっていうし、私もぼっちだから……」
「違うじゃないっ、だって夏樹はレズでしょ!? あっ……」
慌てて口を自分で塞いだ。焦りながら周りを確認するが、幸いにして誰も自分達の会話など気にしていないようだった。
「ご、ごめんなさい……ちょっと、言葉が……」
夏樹は長い髪を揺らしながら首を傾げた。
「いや、何を勘違いしてるのかわからないけど……とりあえず、大声はやめておこう。それとレズじゃなくてバイだって言ったらオッケー?」
「えっと、……まあ、オッケーかな。すみません……」
改めてマナー違反を反省し、謝罪した私に、夏樹は掌でポンポンとあやすように頭を叩いて応答した。
つまり、夏樹が恋人と別れたばかりで、新しい恋への一歩を踏み出したいという気持ちは本当であり、バイセクシャルなら、合コン参加もおかしくはない。単純に私の思いこみが混乱の原因というわけだ。
そして大声以上に性癖というセンシティブな話題について、公の場で私があけすけな言い方をした件へも、夏樹はフォローを忘れなかった。
「それと、別に隠すつもりはないから気にしなくていいよ。大体、私だってすでに前の店でやってるからねえ……、人のことは言えないって」
「そういえば……」
杉橋に殴られそうになった私を助けたとき、確かに夏樹は彼らに対して、DVとホモしかいないと、あけすけに評していたことを思い出す。なんだか急におかしくなり、暫く二人で笑い合った後。
「初音ってさ、可愛いよね」
「えっ……」
徐々に夏樹の顔が近づいていたが、不思議と避ける気分にはならなかった。口唇が重なりあい、掌で胸を優しく包まれる……杉橋に触れられたときにはあれほど嫌悪感があったのに、今は心地よいと感じていた。
「その気になったら落とせない男なんていないでしょうに……馬鹿ね」
言葉にはどこか憐れむような響きがあった……それが何を意味しているのかと考え、そこで追究をやめた。
首筋に顔を埋められ、艶やかな髪から立ち上る仄かな甘い香りに酔いしれた。急速に頭の芯へ靄が掛かっていき、気持ちの良いフワフワとした酩酊感に身体が包まれる。
「だいぶ酔ってるみたいね……そろそろ上行く?」
「酔ってる……のかな」
夏樹に支えられ、寄りかかる。レジを素通りする友人に、精算は大丈夫なのかと気になったが、今はひたすら彼女に頼っていたくて、確認を放棄した。
酔うという経験は生まれて初めてだったが、未成年なのだから当然だろう。厳しい親の元と寮生活で、酒を飲む機会がある筈もなく、これが初めてで……そこまで考え、首を捻る。
「えっと……私お酒飲んでないよね……?」
自分で聞いても、ろれつの怪しい言葉に今頃気が付いた。
「そうね、飲んでないよ」
夏樹の肯定を聞きながら記憶を辿る……今まで呑んでいたのはコーラ2杯で、コンパではジンジャーエールしか飲んでいない。摂った食事のどれかに多少のアルコールが入っていたとしても、ろれつが怪しくなるほど酔うことはないだろう。今の私は……たぶん泥酔している。たとえば杉橋が私の飲物に何かを入れたとして……いや、確かにやりかねない男ではあったが、彼は誘ってきた瞬間からずっと私の傍にいて、中座する前に飲んでいたグラスは、戻ったときに下げられていた筈だ。そんなタイミングなどありはしないし、証拠もないのに、人を疑うべきではない。しかし、こうなったからには理由がある筈で……たとえば、飲物に何かを入れられるような隙があったとするなら……、そういえば一度だけ……。
目の前の扉が重々しく開く。
「さあ、着いた……もう少しだから頑張って」
ますます朦朧としていく脳をフル回転しながら、漸く光明が見えかけた瞬間、再び夏樹から声をかけられ、まとまりかけた考えが一瞬で霧散する。
「うん……」
身体を支えられながら、客室階の廊下を進んでいった。足を進める度に衝撃が吸収され、それが上質なカーペットのせいなのか、泥酔のせいなのか、判断が付かなかった。何階の何号室に連れられたのかもわからない。そもそも夏樹はいつこの部屋にチェックインしただろうか。よくよく考えてみると、合点のいかないことが多かった。
カードキーで鍵を開け、照明を灯さない暗闇の中で、扉の奥には半透明のカーテンが引かれたハーバーの夜景だけがうっすらと浮かび上がった。まるで夢の世界のようだと思った。
ベッドへ横たえられ、皺になるからとブラウスとスカートを脱がされて、ブラのホックを外される。そしてなぜか同じように服を脱いだ夏樹が覆い被さり、また何度も口唇を重ねた。その後の記憶は殆どないが、さんざん喘いだことだけはなんとなく覚えている。