話を終えた一条篤(いちじょう あつし)は燻らせていた煙草を二本の指先で摘むと、口から白い煙を吐き出して僕、原田秋彦(はらだ あきひこ)の顔をじっと見下ろした。
「篤」
後期生徒会委員の初顔合わせを終えた後、僕はグラウンドの果てにある部室まで彼を迎えに来ていた。
またしてもジャンケンの三回勝負で負けたためにクラスの連中に担ぎ出され、後期生徒会委員に立候補させられてしまったのである。
かくして書記に当選してしまった僕は、ズラリと顔を並べた秀才揃いの各クラス代表委員達を目の前に押し潰されそうな劣等感のまま、ついさきほどアリさんのように小さくなって生徒会室を出てきたところである。
どこまでも無責任な2−Eの委員選考方法が城陽の標準だとは限らないのだ。
薄明るい常夜灯の光の下で立ち止まる篤の顔を僕は見上げていた。
柔道部副主将の篤は僕よりも頭一つ分上から、どこでそんな気になれるのか知る由はないのだが、期待に満ちた目で冷たい視線を受け止めている。
「今、何月だと思っているんだよ」
「11月13日。公立なら休日の第2土曜日で文句のひとつも言いたいところだが、何しろ明日は山崎達城南(じょうなん)女子のお嬢様方とコンパがある。だから俺はすこぶる機嫌がいい」
ニキビだらけの頬をだらしなく弛ませて彼が遠いところへ行ってしまった。
誰も篤の機嫌など伺っていない。
「この季節に今さら学校の怪談や七不思議でもないだろう」
どこの学校にもたいていひとつやふたつは存在する不思議な話。
城陽も多聞に洩れずである。
今、篤がもったいぶって話してくれたのが、その一つである『音楽室のアプライトピアノ』。
・・・さすがにフルバージョンで聞いたのは初めてだったが、それはさておき。
他にも、ウチでは西館3階のトイレに住んでいるらしい『花子さん』や、花子さんと喧嘩にならないためか東館1階のトイレを縄張りにしているのが『赤マント』・・・そう、ウチには両方揃っているのだ。
そして講堂が舞台になるくせに名前だけはお決まりのアレで、『体育館のバスケットボール』・・・誰もいないのにバスケットボールが跳ねているというやつのことである。
仕舞いかたが悪くて、用具室の扉を閉め忘れただけだろうと言ってしまえばそれまでだ。
そして校舎全域を縦横無尽に活躍しているのが『テケテケ』・・・こいつのことはよく知らない。
果ては、すべての不思議を知ってしまうと一週間以内に死んでしまうという、この城陽の七不思議の謎に挑んだ男の悲劇で『七不思議を知って死んでしまった生徒』という、何の捻りもないタイトルがついた話まである。
・・・ということは、僕は卒業までにあと一つを聞いてしまえば、残りの人生にカウントダウンが入る計算になってしまうのだが。
しかし峰祥一(みね しょういち)に言わせると、「俺なんか七不思議を八つまで知ってるぞ」というから、もう何がなんだか判らない。
「だいたい怪談なんて、普通は中学卒業とともに学校へ置いてくるもんだろ。あんなのは女子供のお遊びだよ」
グラウンドを横切って校門へ向かう道すがら、僕は篤に冷たく言いはなった。
昨日から吹き始めた季節風が、ボタンをしめていないコートの裾をはためかせ、上半身を鋭く刺激する。
日没の4時50分を1時間前に迎えていた晩秋の夕空はすっぽりと厚い雲で覆われて既に暗く、星の瞬きひとつ見ることが出来ない。
規則的に校門まで並んでいる白い常夜灯を道しるべに、僕と篤はアスファルトで舗装されている校庭に出た。
「そこだぜアキ」
数歩前を歩いていた篤の巨体が、突然立ち止まり僕を振りかえった。
「・・・なんだよ、びっくりするじゃないか」
立てた襟に頬を埋めて風を遮っていた僕は、前方不注意で篤の厚い胸板へまともに顔をぶつけてしまった。
そのまま篤は僕の両肩へがっしりと両手を置き、少し身をかがめると、
「女の子っていうのは怪談が大好きなんだよ」
「は?」
角ばったニキビ面が僕の顔を、愛の告白でもするみたいに覗きこむ。
ちっとも嬉しくない。
「そこで俺は考えた。アキ、肝試しだ」
「墓にでも行くのかい?」
山崎雪子(やまざき ゆきこ)を誘ってわざわざ?
「あそこに旧校舎があるだろう」
言いながら篤は僕の肩から手を放すと、芝居じみた調子で空中を指さした。
講堂の奥から僅かに顔を見せている木造3階建ての旧校舎。
工具室や第2理科室が入っているだけで、あとの教室は殆ど施錠されているらしい。
あれは事実上の廃屋だ。
来年着工予定のプール建設の際に、あの校舎も取り壊されるという話を聞いたことがある。
そう、創立70年を誇るわが城陽学院高校には、怖ろしいことにまだプールがないのだ。
何が怖ろしいのかというと、何度か工事は試みたらしいのだが、そのたびに謎の事故が起こって関係者の間から怪我人が絶えないらしい。
・・・まさか、これが最後の七不思議なのだろうか。
いや、祥一によると少なくとも八つはあるんだっけ。
「さっきの音楽教師が死んだのが、あの中にある旧音楽室だったりする」
「なんだって・・・」
僕は講堂の陰から屋根を見せている旧校舎を見た。
鬱蒼とした茂みを背景に、明かり一つ確認できない黒々としたシルエット。
昼間なら紅葉の美しい国有林と白塗りの壁に赤い屋根の組み合わせは、なかなかメルヘンな光景になっているはずなのだが。
強い西風が茂みを揺るがせ、木々の擦れ合う乾いた音が不気味に第六感を刺激した。
「僕は行かないからね」
「アキが来なきゃ峰も来てくれないだろう。俺はアイツとそんなに親しくないんだよ」
歩きながら篤が平然と言う。
「特別ゲスト扱いだね」
「仕方ないだろ。峰は別格だ」
「言ってて自分で情けなくないのかい」
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