『波の音を聞きながら』

海浜公園のベンチへ腰掛け空を見上げると、濃紺の夏の夜に流れる天の川。
「さすがに疲れたな・・・今、何時ぐらいだ?」
ジーンズの足をだらしなく放り出しながら、アスファルトに立ったままの一条篤(いちじょう あつし)に問いかける。
篤は日ごろから歩き慣れているのか、まだまだ立っていても平気そうだった。
総敷地面積が10ヘクタール以上ある城西(じょうさい)公園より、さらに広いという噂の邸に住んでいるから、庭の薔薇を手入れしているだけでも結構良いトレーニングになっているのかも知れない。
「ちょうど日付が変わったところだよ」
黒い革ベルトの腕時計をこちらへ向けながら篤が言った。
カレンダーの小さな窓が空いている、日の丸が入った紺碧の文字盤に、夜光塗料が塗られたアラビア数字と、ほぼ重なりあった2本の針が、遠目からでも7月24日の午前零時1分か2分あたりだとわかる。
この時計は確か防衛省にも卸している国産メーカーの航空自衛隊モデルだったと思うが、値段を聞けば俺のスウォッチの方が高くてびっくりした記憶がある。
だが、こうして見るとすっきりとしたデザインや、文字盤の見やすさが、実用性重視の篤らしい選択という気がした。
ともあれ、午前零時過ぎ。
「ってことは、一時間近く歩いてたんだな、・・・そりゃあ疲れるわ」
繁華街でもないというのに、真夏の深夜に歩いていたのは、わけがある。

 

俺、原田秋彦(はらだ あきひこ)と連れの篤は、1時間前まで、城南(じょうなん)女子学園高等学校の百合寮にいた・・・。
いや、この言い方は正しくない。
小学校の間は城南女子に通っていた、クラスメイトの江藤里子(えとう さとこ)によれば、『聖白百合宮』というのが、寮の正式名称なのだそうだが、あまりにこっぱずかしいそのネーミングセンスにドン引きした大半の学生たちは、百合寮という、どストレートな呼称を使っているようだった。
その女の花園で桃色吐息な、どういうレズプレ−が繰り広げられているかというと・・・・、いや、その話ではない。
とにかく、そこで城南女子高校オカルト研究会の夏合宿があるということで、城陽(じょうよう)学院高等学校に通う俺や篤、江藤、そして同じくクラスメイトの直江勇人(なおえ はやと)に峰祥一(みね しょういち)と、その妹の峰まりあといった面々が合宿のゲストに呼ばれたのだ。
早い話が、山崎雪子(やまざき ゆきこ)らオカ研が寮で泊りがけのパーティーを開いて、招待された俺達が遊びに行ったというわけだ。
そこでまあ、堂々と女子寮に侵入・・・いや、聖白百合宮のダイニングルームに集まってオカ研の崇高なる知的探求の結晶とも言うべき怪談大会へ付き合うとともに、臨海公園駅前商店街のカレー専門店『FLOWERS』アルバイト店員の肩書きを持つ直江による、数少ない腕の見せ所となったカレーパーティーで、仲間同士の親睦を深めていた。
だが、途中で峰祥一が妙な話をおっ始めたせいで、俺と篤の二人は、夜も深まった11時頃、急きょ百合寮から脱出することになったのだ。
正しくは、緊急避難を試みた俺が席を立った直後、というよりほぼ同時に、追手の篤も立ち上がり、そのまま彼に引きずり出されるようにして宴を辞した。
部屋へ戻りかけていた篤に、その背中へ向かって正確には聞きとれない程度の音量と速度で、「ちょっとトイレ」と声をかけた俺は、こっそり玄関を出ると敷地内のチャペル・・・城南ロザリオノートルダム教会と言っただろうか・・・、ほとぼりが冷めるまで、しばらくそこで時間を潰そうと考えた。
そして白い教会の周りを無意味に一周したところで、腕組み&仁王立ちで口元にだけ微笑を浮かべている篤と再会した。
そのまま無言で肘の辺りを鷲掴みにされ、再び寮へ向かって連行されかけて・・・・、しかし教会の玄関まで引きずられて来たところで、一人のシスターさんと遭遇し、直後に俺達は闇を切り裂くような恐ろしい悲鳴を聞いていた。
相手は確かに日本人だと思ったのだが、俺達が何を言っても、落ち着くどころか、悲鳴を上げ続ける彼女はますます興奮し、まもなく学園から別のシスターや、学校関係者らしき人達がわらわらと出て来てしまって・・・・3分後には校門の外にいた。
「しかし参ったよな・・・財布もないんじゃ、ジュースの一つも買えやしねぇ」
鞄は百合寮の『カモミールの間』へ置いて来たままだ。
その可愛らしい名前が、俺と篤が今夜宿泊する予定だった部屋だ。
部屋の名前がそうだとは聞かされていないが、ドアと鍵に付いていたドライフラワーが、確かそういう名前なのだと、山崎が言っていたのだ。
内装は想像に反してシンプルなものだ。
まあ、花やレースで飾り立てられても、恥ずかしいだけだが。
ともあれ、鞄は後で江藤か山崎に連絡をして、持って来てもらうしかないのだろう。
今は連絡をとるべき携帯も、持っていないから、何も出来はしないが。
「秋彦、喉が乾いたの? 小銭入れぐらいなら・・・・あ、僕も忘れちゃった」
篤がジーンズの後ろポケットを探って、即座に白状する。
一瞬とはいえ期待しかけたこの落胆を、どうしてくれよう。
俺は大きく溜息を吐いた。
「お前は・・・、いやまあ仕方ねぇな。急展開すぎて、取りに行ってるどころじゃなかったし、警察に引き渡されるよりはマシだ」
あのシスターさんがなぜ俺達を見て悲鳴を上げたのかは、そのまま逃げて来たのだから、未だ理由が不明のままだ。
大方俺達を不審な侵入者と思ったのだろうか・・・だが、あそこにいたシスターさんということは、彼女は生徒を守るべき立場の学校関係者で、男とは言え丸腰で、攻撃の意思を見せていない侵入者を二人見ただけで、あんなに怖がっていて大丈夫なのだろうか・・・と、余計なお世話ながらも少々心配になる。
「説明すれば、なんとかなったと思うけど・・・」
平然と篤が言った。
「あのシスターさんの騒ぎ方を見て、よくそう思えるな。どう見ても通報エンドまっしぐらだったぞ」
とにかく喚くわ、暴れるわ・・・それこそ亡霊でも見たような騒ぎっぷりだった。
よもや、俺達のことが、山崎が話していた怪談の、死んだ寮生たちに見えたというわけでもあるまいし・・・大体その寮生たちは女子二人の話だ。
もしくは俺達の後ろに、その生徒たちの霊でも見えていたのだろうか。
だとしたら、まさか俺達に憑いて来て・・・。
「秋彦、どうかしたの・・・?」
いつのまにか隣に腰かけていた篤が、俺の顔を覗きこんでくる。
「ああ、いや別に・・・それよりお前、シスターさんを説得出来ると思ったんなら、なんで俺と一緒に校門を出たりしたんだよ」
頭の中から山崎が話していた、幽霊話を追い払う。
怖がりの江藤ですら平気だった陳腐な怪談を思い出して、今ごろ怖がるなんてどうかしている。
馬鹿馬鹿しい。
「そんなの、早く二人きりになりたかったからに決まってるじゃない」
そう言いながら、ベンチに直接置いていた右手を取られ、指を絡められる。
小指同士が重なり合って、小さな金属がカツンとぶつかる音が聞こえた。
俺が篤に贈り、その半分を俺にくれた、ペアのピンキーリング。
正確には革紐のチョーカーにぶら下がっていたリング状の飾りを、分離したものだ。
大柄な篤にはぴったりみたいだが、俺には少し大きい。
「篤・・・・」
「秋彦」
彼の顔が近づいてきて。



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