「大方予想はついていただろうけど、僕は君が初めてじゃない」
その言葉はまるで青天の霹靂・・・いや、深夜の今、俺にとってはむしろ、天災は忘れた頃にやって来る、と言った方が近く・・・。
想像はしていたけれど、衝撃が強すぎて頭が追い付かず、話しているうちに、徐々にその言葉の重みを理解したぐらいだ。
篤は俺が初めてじゃない・・・そんなの、わかっていたことなのに。
「篤・・・」
戸惑う俺を置いてきぼりにするかのように、篤は勝手に、過去の恋愛経験を淡々と語りだした。
「僕は中2ぐらいまで、実家とチューファを行ったり来たりしていた・・・それは今もあまり変わらないけど、当時はもっと、1学期まるごとだったり、半年だったり、ずっと長い期間でね。だから半分ぐらいは向こうの学校に通っていたと言っていいかもしれない」
「だからそんなにエスパニア語がペラペラなのか」
「僕がペラペラかどうかはともかく、まあ日常生活に支障がないのは確かだね。・・・それで13歳の夏休み、チューファに戻ってきた僕は、年上の友達に誘われて彼の友人達のパーティへ参加したんだ。それが結構な不良どもの集まりでね」
「お前あっちでは、不良だったのかよ」
とりあえず軽く突っ込んでおく。
「いや、そうじゃないし・・・友達の名誉の為に言っておくと、その人もべつに不良じゃないよ。けれど、彼の沢山いる友人の中にはヤンチャな連中も多くて、そのパーティーは、たまたまそういう集まりだったということなんだ。彼も知らずに参加したみたいで、僕の面倒どころじゃなくて、僕はそこでしこたま飲まされて、気が付いたら知らない部屋に寝かされていた。ついでに、なんだか股間のあたりが気持ち良くて、見ると髪の長い女の頭がそこに埋まっていてね、されていることの意味が理解ができなくてぼんやりしていると、あっという間に彼女が僕に跨ってきて・・・次の瞬間には純潔を奪われていました。・・・酷い経験でしょ?」
「いや、なんつうか・・・」
確かにロマンティックさの欠片もない・・・けれど、篤の童貞を奪った人の話なんだと思うと、やはり妬ける。
というか、13歳相手にそれは犯罪だろ!
「結局彼女とはそれきり。どこの誰だかも知らないよ・・・まあ友達に聞けば名前ぐらいはわかるかも知れないけれどね。僕にしたら、野犬に噛まれたような体験でしかないから、知りたくもない・・・。それから1ヶ月もしないうちに、今度は学校で隣のクラスのある女の子から付き合いたいって言われて、僕としてもひどい初体験のショックから立ち直るチャンスだったし、まあまあ可愛い子だったからすぐにオーケーしたんだ」
「可愛かったのかよ・・・」
「そうだね、たぶんだけど可愛い方なんじゃないかな・・・妬ける?」
「いちいちうるせーよ」
「ははは・・・ごめん。けどね、彼女とも結局1ヶ月ももたなかった。だってある朝突然、教室に別のクラスの男が乗り込んできて、「金持ちだからって良い気になるな!」と怒鳴られて、皆の前で殴り飛ばされたんだよ? しかも次の日に学校へ行ってみたら、「金持ちのチーノからラケルを奪い返した勇敢なアントニオ」の話題でもちきりだったんだ・・・そのチーノが僕。クラスメイトが日本人か中国人かも区別が付いていない級友たちの薄情さに、がっかりしたもんだよ」
「いや、問題はそこじゃないだろ・・・、っていうかそれってお前と三角関係だったってことなんじゃ・・・」
「違うよ。僕からは線すら延びていなかった・・・後からわかったことだけど、当時ラケルとアントニオはしっくりいってなかったみたいだね。つまり、僕は彼氏と喧嘩中のラケルにまんまと利用されたってことだよ。ついでに色々奢らされたしね・・・可笑しいと思ったんだよ。付き合い始めて1週間もしないうちに、ホテルドルフィンのスイートに泊めろだの、週末はマラガの別荘で過ごしたいだのと」
「マラガって地中海リゾートのか? お前ん家、そんなところに別荘あんの?」
つまり、お姫様願望の女の子に振りまわされたということだろうか。
その結果が、皆の前でぶん殴られた噛ませ犬扱いじゃ、確かに堪らない。
初体験に負けず劣らず酷い話に、俺はさすがに篤へ同情した。
やはり早ければいいってもんじゃないということだ。
それに比べたら、篤が初めての相手だった俺は、ずっと幸せなのかも知れない。
少なくとも俺達は、今もこうして互いに愛を感じられている。
「まあ別荘があると言っても小さなもんだし、エスパニアはチューファとマラガぐらいだけど・・・よかったら今度行ってみる?」
エスパニアはって・・・他に何カ国の、何都市に別荘を持っていらっしゃるのか、もはや見当もつかなければ、妬む気にすらなれない言い方だ。
こいつはつくづく、桁違いのブルジョワ野郎だ。
「いや、別にそういう意味で言ったんじゃねえよ・・・つか、でも・・・結局ヤルことはヤッた・・・んだよな」
俺がそう言うと、篤はとても複雑に表情を変化させてみせた。
最初は少し嬉しそうに、でも1秒もしないうちに申し訳なさそうに。
「まあね・・・言い方は悪いけど、こっちはそれが目的みたいなところはあったし」
「サイテーだな」
身体目当てと財産目的・・・ある意味、最低同士の男女じゃないか。
「・・・言いわけはしないよ。ただ彼女には非常に勉強させてもらって、感謝している部分もあるんだ・・・僕がラケルと別れたことが噂になり始めた途端に、色んな女の子が僕に近づいて来たけど、話してみると皆あっけないほど簡単に正体を表すんだよ。ほんの二つ三つの甘い言葉と誘導的な質問を組み合わせるだけで、彼女達は知っている情報をひどく興奮しながら、それは嬉しそうに白状してくれる。僕の父が誰で、どれだけの資産があって、チューファの家には何台の車があって、その車種は何と何で、テニスコートとプールが幾つあって・・・家に招待したこともないのに、一体どこで調べて来たんだって、こっちが呆れるぐらいに、みんなよく知っていたよ。結局彼女たちは、僕自身に魅力を感じているんじゃなくて、僕を取り巻く環境に興味津津なんだって痛いほどよくわかった」
「そう・・・なのかな」
実際に付き合ったラケルにしたって、他の子たちにしたって、それだけで篤に近づいたわけじゃない・・・俺はそんな気がしたが、そこは黙っておくことにした。
その1年後に俺は篤と初めて会ったことになるが、当時すでに180センチ前後の身長があって、精悍な男らしさを備えていた篤に、早熟なチューファの女の子達が魅力を感じない筈はないだろう。
だからこそ、篤は利用されたと言っているが、一時的にであれ、篤を恋人にしてデートを重ね、肌を合わせた。
篤自身に魅力やセックスアピールを感じなければ、そんなことはしない。
そして篤もラケルに・・・やっぱり辛い。
「それから進級して間もなく、父の仕事がらみで、建築関係のあるパーティーに同席したんだ。その時に僕へ声をかけてきたのが、FDC・・・フリオ・ドミンゴ建設という、ラストロの大きな建築会社社長の御曹司、ルーベンだった。ルーベンは僕らより2歳年上だけど、非常に大人びた考え方をする少年で、16歳にして自分の立場をしっかりと理解していた。当時僕はまだ、父の仕事で外国を連れ回される自分が不幸だとしか考えられない、ただの子供だった。だから自分と似たような境遇のルーベンなら、僕の考えをわかってくれると勝手に期待していて、大いに彼から裏切られたんだよ。彼に誘われるままパーティー会場を抜けだし、近くのハーバーに連れて行かれた僕は、ルーベンに手を引かれて一隻のクルーザーに侵入した。僕は冒険をしている気分だったけど、あとでそれが彼の物だとわかって、どこまでもガキ臭い考え方しかできなかった自分が、つくづく可笑しかったよ。それで、二人で海を眺めながら、僕は父への不満を彼へぶちまけるつもりで喋り始めた。ところが彼は、即座に僕の甘ったれた考えを否定し、次に将来のビジョンを熱く語りだしたんだ。今でもそうだけど、FDCはエスパニアを代表する大きな建設会社だ。当時すでに一条はチューファを拠点にエスパニアでも大きくなりつつあったけど、ルーベンにはその状況がもっとリアルに見えていたんだよ・・・つまり、FDCが市場を奪う為に違法な取引をしていたり、一条がFDCから優秀な人材を引き抜き、それが原因で社員の間に派閥争いが生まれていたり。ルーベンは僕にこう言った。『僕らの時代には、足を引きあうようなライバルではなく、互いの得意分野を生かし、協調し合える発展的な関係を築こう』・・・正直に言って、当時の僕には、まるでピンと来なかった。自分が一条建設を引き継ぐかどうかさえ、想像できていなかったぐらいだからね。ルーベンの存在は僕には衝撃的だった。そして戸惑う僕に、仕掛けて来たのも彼からだ」
「つまり、それって・・・」
寝た・・・そういうことだろう。
けれど篤はその部分については、はっきりと言わなかった。
最初の二人は女の話だったけど、ルーベンは男だ。
だからより俺がリアリティを持って想像できてしまう・・・そういう配慮なのだと思う。
けれど、ここでその話をしたってことは、結論を言ったも同然だった。
しかもルーベンについては篤の話し方がまるで違う。
俺にも彼の魅力が大きく伝わってきた。
「僕の経験はこれで全部だよ」
篤が締めくくった。
「そうじゃねぇだろ・・・」
「秋彦?」
「ルーベンとは・・・どのぐらい付き合ったんだ? 何が原因で別れたんだよ」
本音を言えば、そんなものまったく知りたくはない。
だがそこを話してくれないと、俺の中で話が完結しない。
完結しないということは、継続になってしまうのだ。
「付き合っていた・・・ことになるのかな。することはしていたから彼の名前を出したけど、たとえばデートをしたとか、愛を語り合ったとか・・・そういうことは彼とは皆無だ。彼は一条の財産が目当てじゃない。彼だって資産家の息子だからそれは当然だけどね、しかし、ある意味、僕ではなく僕の背景にあるものを一番強く見ていたのが彼だと言えた。会えばいつも互いの会社の話、将来の話、野心・・・彼はそんなことしか話したがらなかったんだよ。つまり・・・僕は、今まで誰ひとりとして、僕自身をまっすぐに見てくれた、僕の事だけを見てくれた相手に巡り合えなかった。・・・秋彦、君が初めてなんだよ」
「篤・・・」
「妬けた?」
「んなもん・・・妬いたに決まってんだろ」
憎たらしいほど篤はあからさまに嬉しそうな顔をした。
それがますます頭に来るのに、俺もそんな彼を見て、嬉しくて仕方がなかった。
「嫌な話を聞かせてごめんね」
「ああ・・・すげー嫌だった」
「わかってる。・・・でも、そろそろ知ってほしかったから。君には知る権利があるし、その義務がある」
「何の法律だよそれは・・・」
「君が僕の恋人だってことだよ」
「んなこたぁわかってる・・・なあ篤、今はそいつらの、誰とも会ったりしてないよな」
「当然・・・と、言いたいところだけど、残念ながらルーベンとはね、父の仕事の関係でときおり会わざるを得ない」
「篤・・・」
「向こうはとっくにちゃんとした恋人を連れてるよ。僕のことなんか、相手にしていない。・・・たぶん当時からね。実際のところ、彼にとっては僕なんて、どうしようもない甘ったれたガキだったと、さっさと愛想を尽かして終わりだったんじゃないかな」
「けど、今の篤に会ったら・・・」
自分で昔が子供だったと言えるということは、今はその分大人になったからだ。
事実、篤は俺達の中でも一番大人びている。
2歳上ってことは、ルーベンは今、19か二十歳・・・篤なら、そのぐらいの相手と、じゅうぶん対等に渡り合えるんじゃないだろうか。
「秋彦、僕が言ったことをちゃんと聞いていた? ルーベンには恋人がいるって言っただろ?」
「お前にまったく興味ないってことにはならないだろ、一度はその・・・そういう関係だったんだから」
「君はまた・・・ねえ、秋彦。僕の目には誰が映っている?」