「ロンドン塔のホワイトタワーですわね」
「なんだ山崎も行ったことあるのか?」
原田さんが写真を受け取りながら聞いてきた。
「もちろんですわ。オカルト愛好者にとって、ロンドンは聖地も同然ですから」
「聖地・・・すか」
「タワーっていうわりに塔というよりお城だよね」
カレー屋さんが言った。
「そっちじゃなくて城砦の方のタワーだよ。正式にはHer Majesty's Royal Palace and Fortress・・・女王陛下の王宮にして砦。ここもホワイトレディーと呼ばれている女の霊が有名だね。あとエドワード五世とヨーク公のものと思われる遺体が発見されたのは、このホワイトタワーの階段の下だよ。ちなみに宝物庫では、偉大なアフリカの星という異名を持つ、世界最大級のダイヤモンドが埋め込まれた王笏なんかが見られる・・・女性陣は、そっちにも興味があるんじゃないかな」
実に見事な発音でロンドン塔の正式名称を言ってみせたのは、もちろんあの方。
どうやら、彼の英語はイギリス仕込みのようだった。
「さすが一条さんですわね、よく御存じだこと」
説明の機会を奪われて、小森が拗ねてしまっていなければいいが。
「最大級ってどのぐらいなの?」
さっそく江藤さんが興味を示した。
「確か530カラット以上ですわね・・・ぶっちゃけ大きすぎて、ダイヤと言われてもピンと来ませんわ。お恥ずかしい話ですが、庶民のあたくしはクリスタルかと思いましたもの。もちろんその他諸々のジュエルも含めてどれも見事ですけど。ちなみにこれは世界で2番目の大きさ。1番はザ・ゴールデン・ジュビリーと言って、タイ国王が所有しているファンシーイエローブラウンのダイヤモンドで、その大きさは545.67カラット」
「どっちも想像がつかない・・・」
江藤さんが眉根を顰めた。
まあ、そりゃあそうだろう。
「君もなかなか」
一条さんがあたくしの知識を誉めてくださる。
「単なる雑学ですわ」
「えぇと・・・続きの写真回していいですか?」
少し不機嫌そうに小森が言った。
案の定、機嫌を損ねていたようだ。
「ああ、そうだったわ・・・ごめんなさいね、小森」
「いえ・・・ではこれを」
小森が新しい写真をファイルから出して、また回し始めた。
「お前がダイヤの話なんかするから、話が逸れちまったんだろーが」
「あ・・・僕のせいなの? えぇと、ごめんね、小森」
「いえ、謝っていただければそれで結構ですから」
「ああ、・・・その、どうもすいません」
なぜか一条さんが2度謝った。
相変わらず小森は男に容赦がない。
「ったく、誉められて良い気になってんじゃねぇぞ」
不貞腐れたように原田さんが小声で畳みかける。
まさかと思うが、これは。
「秋彦、・・・妬いた?」
「ちげぇよっ! 馬鹿っ!」
「痛い、痛いよ秋彦・・・そんなに蹴らないで」
「看板?」



写真が回ってきた江藤さんが、解説を小森に求めた。
「はい。それは『The Ten Bells』というパブの入り口の隣にある大きな看板で、イーストエンドのホワイトチャペルを舞台にした、ある有名な事件に纏わるお店です」
「小森、それってまさか切り裂きジャックの!?」
佐伯が大きく反応した。
彼女は怪談だけではなく、猟奇殺人などの実録物も大好物だ。
要するに死の匂いに飢えた女・・・と言ったら、また要らぬ誤解を招きそうだが、あながち間違いではない。
切り裂きジャックとは、19世紀末のイギリスを恐怖に陥れた連続殺人犯の渾名。
1888年の秋、5人の娼婦が次々と殺され、身体から臓物を抉りだされる無残な死体となって発見された。
犯人は結局捕まらず、スコットランドヤードに何通も送られていた挑戦状の中の、ある一通に記された署名からJack The Ripper・・・切り裂きジャックと呼ばれ、現在に伝えられる。
そのジャックが闊歩していた街が、ホワイトチャペルと呼ばれるロンドンのイーストエンド地区。
ちなみにロンドン塔とは目と鼻の先だ。
小森の観光ルートが、これで簡単に想像できてしまう。
その前後にはきっと、テムズを渡って、ロンドンダンジョンにも行っていることだろう。
「そうです初音様。初音様を思いながら行ってまいりました・・・残念ながらお店には入れませんでしたが」
佐伯の興味を惹きつけられて嬉しそうな小森が、佐伯の手を握りしめて返答した。
「いや、私を想像しながら連続殺人の事件現場に行ってもらっても、嬉しくないからね・・・」
「パブって書いてるし、そりゃ高校生が店に入るのは無理だろうな・・・」
原田さんが言ったが、これは正しくない。
イギリスのパブは基本的にビールの立ち飲み主体だが、大きな店ならランチやディナーが可能なところもあり、18歳以上同伴の場合に限り、入店可能なばかりか、食事時なら16歳から飲酒が認められている。
ということは、場合によっては小森はパブでの飲酒可能ということである・・・もっとも、小森の場合、17歳の今でさえパスポートを見せても、なかなか16歳以上とは信用してはもらえないであろうし、一人でうろうろしていたら、迷子として保護されそうだが。
「というよりも、従姉が一刻も早くこの地区から出たいと言ったもので」
『The Ten Bells』へ小森が入店しなかった理由は、敏感な従姉にあったようだ。
「ん・・・また心霊現象か何か?」
「たぶん治安の問題じゃないかな。イーストエンドは下街も下街だからね、日本人観光客・・・それも女の子二人じゃ、そりゃあ不安だろう。僕はむしろ、よく行ったと思ったよ・・・」
一条さんが苦笑交じりに、小森の代わりに原田さんの御質問に答えて差し上げたようだ。
たしかにあたくしも、ホワイトチャペルなんぞへ女二人でよく行ったと思う。
切り裂きジャック事件など、治安が悪いからこそ、起きたようなものなのだ。
当時ほど危険ということはないだろうが、それでもあの辺りでは100年以上が経過した今でも、犯罪発生率が高く気を抜けないエリアであることに変わりはない。
「心霊現象とも無関係ではないですよ。この店には二人目と最後の犠牲者の霊が出るっていう噂がありますから・・・何か見えませんか?」
「うーん、何も見えないなぁ・・・、雪子はどう?」
「そうですわね、昔の娼婦らしき女性の霊はどこにも。 ・・・佐伯、二人目と最後の犠牲者について、御解説差し上げた方が、よくはなくて?」
たしかにドレスを着たご婦人はいないが、コート姿の浮浪者らしき男の霊が、カメラのすぐ近くにぼんやりと立っていた。
それは聞かれていないので、敢えて言わないでおいたが。
「ああ、そうだね・・・」
そう言って佐伯が説明を始めた。


「殺された犠牲者とされている娼婦は合計5人。
一人目から順にメアリー・アン・ニコルズ、アニー・チャップマン、エリザベス・ストライド、キャサリン・エドウズ、そしてもっとも有名なメアリー・ケリー。
メアリー・アン・ニコルズは、あのエレファントマンとして有名なメリック氏が当時入院していたロンドン病院のすぐ近くで、ホワイトチャペル駅の裏通りにあたるバックスロウという通りで喉を切り裂かれ、腸を引き摺りだした状態で発見された。
アニー・チャップマンは、スピッタル・フィールズ青果市場近くのトールマンビール醸造所前で殺害され、子宮と膀胱を持ち去られていた。
エリザベス・ストライドは、唯一ホワイトチャペルを横断しているコマーシャルロードよりも、南にあるバーナーストリートで殺害されていて、ただ一人途中で邪魔が入り、殺害後に切り刻まれなかった被害者。
ストライドが殺された45分後、セントポール寺院や株式取引所が並ぶシティ地区のマイタースクエアで、キャサリン・エドウズが殺害された。
エドウズは顔を抉られ身体を切り刻まれて、左の腎臓と子宮を持ち去られていた。
この二つは、ダブルマーダーと呼ばれているわ。
でも、もっとも陰惨な事件が起きたのはその1ヶ月余り後のこと。
1888年11月9日、イーストエンドでも一番危険な通りと言われていたドーセット・ストリートのミラーズコートにある、一軒の貸間長屋で、そこに住んでいた当時25歳のメアリー・エリーが殺された。
顔もぐちゃぐちゃ、手足はバラバラで、腹部は内臓がごっそり抜かれて空洞になっており、彼女の腸が部屋の額縁に飾ってあった。
そして心臓が部屋から持ち去られていたそうよ。
彼女が最後の犠牲者ということになっているけど、当時娼婦が殺されることは珍しくなくて、そうとは言われているけど、この5人だって必ずしも同じ犯人とは限らないと、私は思うわ。
容疑者扱いされてる人物だって、医者に弁護士から王族まで10人以上いるしね・・・」

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