「・・・これが切り裂きジャック事件の概要だけど・・・あれ、どうしたの、みんな?」
説明を終えた佐伯が、すっかり静まり返っていたみんなの顔を見渡した。
有名な事件とはいえ、人が殺されて切り刻まれたというその内容を具体的に説明されると、確かに気持ち悪くもなるだろう。
「いや、なに・・・ちょっと気分が」
原田さんがやや俯き加減に、口元を押さえている。
「秋彦、ひょっとしてつわり・・・ったい、痛いって・・・冗談だよ・・・踏まないで」
「このパブに出る被害者の霊って、2番目と最後の女性って言ったっけ・・・本当、写ってなくて、つくづくよかったわ」
江藤さんも顔を顰めていた。
「まあ、確かにカレーを頂きながら聞く話でもございませんでしたわね・・・小森、もう1枚写真があったわね。お出しして」
言いながら、随分と前からすっかり静まり返っている反対側のテーブルの様子を窺う。
最初に目が合った本城先輩・・・は、無視するとして。
縋るような目でこちらを見ていたのがカレー屋さん。
立ち上がり、テーブルを見てから彼に声をかける。
「よろしければお替わりを入れてさしあげましょうか?」
差し出したその手を両手で握りしめられた。
「雪子・・・君が手ずから私のカレーを入れてくれるというのかい?」
そちらを向いて声をかけたつもりはないのに、反対側から返事が返ってきた。
「本城先輩・・・・わかりましたから、手を放してください。カレー屋さんも、お皿が空いていますわよ」
「いや、俺はもう・・・ありがとう」
「そう・・・」
しかたなく本城先輩のカレーだけ入れることにした。
残りの二人は声を掛けられるような雰囲気ではなかった。
峰さんはいつも以上の無表情と沈黙。
まりあさんは、あたくしがテーブルに近づいたときから、お兄さんの腕にしがみついて、こちらをずっと牽制していた。
カレー屋さんはそんなお二人の隣にいるもので、少し気不味いご様子だった。
なんだか御気の毒。
「これってストーンヘンジ!?」



「そうです。有名な遺跡なので珍しくもないとは思いますが・・・ちょっと江藤さん、写真に手を翳してみてください」
小森に促され、掌を近づける江藤さん。
「あ・・・なんか、あれ? 暖かい・・・ような」
「嘘つけ・・・貸してみ」
そう言って原田さんが江藤さんから写真を引き寄せ・・・・その瞬間、江藤さんが小さく悲鳴をあげた。
「ちょ、ちょっと原田君っ・・・」
「んー・・・・なんにも感じねぇじゃん・・・あれ? お前、なんでそんなに・・・この写真、お前にはそんなに熱いのか!?」
そんなわけがない。
「秋彦、その手を放してあげたら、江藤もすぐに涼しくなれると思うよ」
一条さんが低い声で指摘してさしあげた。
「ん・・・そうか?」
原田さんから解放されて江藤さんが、写真を持った自分の手を胸のあたりでぎゅっと握りしめる。
本当に、いい年をして、どうして手を握られたぐらいで、いちいち耳の先まで真っ赤にできるのかしら。
「江藤さん、あたくしにも見せて頂けるかしら」
「あ、ああ・・・いいわよ。はい」
写真とともに上ずった返事が返ってくる。
江藤さんから預かったストーンヘンジは、芝生の上に環状巨石群の一部が長い影を落としていた。
ツルツルとしたその表面へ言われたとおりに手を翳してみると、確かに石の辺りから結構な波動を感知できた。
「なるほど・・・」
「でしょ!?」
「どれどれ、私も見せて」
写真を佐伯に渡すが、手を翳して、ひたすら首をかしげるばかりだった。
何も感じられないのだろう。
「初音様、みくも残念なのですが、それはある程度霊感や神秘的な能力がある人じゃないと、多分感じられないのだと思います」
「うーん、ダメかぁ・・・残念だなぁ」
「大丈夫ですよ、みくにもわかりませんでしたから! でも従姉にはわかるらしくて、写真を纏めていたときに、持って行けと言われまして・・・」
その後、本城先輩やカレー屋さん、峰兄妹にも写真は回ったが、結局、波動を感知できたのは、あたくしと江藤さんだけだったようだ。
「それじゃあ、次は私ね」
小森の出し物が終わり、続いて佐伯が名乗りをあげる。
あたくしはふたたび、照明を落とすと、席へ戻りながら佐伯に声をかけた。
「ちょっと待って。・・・・あたくしたちばかりが話をしてもつまらないですし、よろしかったら城陽のみなさん、何かとっておきのお話はございませんかしら」
左右のテーブルへ視線を送り、反応を窺う。
「それもそうね・・・ねえ、直江くん、何か怖い体験ない?」
「ああ、いや・・・俺、そういうのちょっと苦手で・・・」
「え、直江くん・・・ひょっとして怪談がダメなの!?」
佐伯の問いかけで意外な事実が発覚した。
「どうして言わないのよ」
江藤さんも佐伯に続く。
「いや、だって・・・なんか言い出しにくくて。まあでも、江藤も頑張ってるし、俺も少しぐらい我慢しようかと・・・」
「お優しい方なのね。でも江藤さんに気遣って仰らなかったのなら、大失敗ですわ。彼女の場合は、怪談が苦手というわけではなく、ご覧の通り、ただの偏食ですから」
「そうだったみたいだね・・・ははは」
てっきり峰兄妹の隣で気不味いのかと思えば、怪談が気持ち悪くて黙りこくっていただけとは、良かったのやら悪かったのやら。
しかし、その場の雰囲気を壊さないようにと、苦手な怪談を一人で我慢していたらしいカレー屋さんを、あたくしは少しばかり見直した。
「ちょっと偏食って何よ! 直江くんもハハハじゃない!」
本当の事を言われて、江藤さんが文句を言う。
「じゃあ、俺が話していいか?」
そこで、今までずっと黙っていた峰さんが名乗りをあげた。
意外だった。
「いいよ、峰くん。話して、話して!」
佐伯が身を乗り出して催促する。
「ああ・・・これはある一人の少年の悲劇だ。私立高校に通っている彼は、修学旅行でヨーロッパの古い街に来ていた。例年その学校では、二人ひと組になって現地で行動をする決まりなのだが、ある晩、彼がパートナーである級友と、その街の祭り会場で花火を見ていたときのこと。辺り一帯は凄い人だかりで、身動きひとつとれない状態だった。こんな場所ではぐれたら大変だということで、級友が後ろから彼の腰へ手を回してきたのだが・・・」
「峰君ちょっと質問」
「なんだ」
話がいいところへ来た途端、江藤さんが手を挙げて、話が中断された。
佐伯の口から軽く舌打ちが漏れる。
「その級友は、男かしら女かしら」
「男だ」
わがライバルながら、これは見事な質問だった。
佐伯も机の下で小さく握りこぶしを作っている。
男か女か・・・確かに、それはとても重要なところだ。
ぬか喜びになってしまっては大変だ。
「OK、続けてちょうだい」
江藤さんに促されて峰さんが続きを話す。
「いきなり後ろから抱き寄せられて、彼は当然抵抗したが、そのとき大きな爆発音が響き渡り、空いっぱいに鮮やかな花火が広がる。周りは大歓声。しばし二人も、花火に見惚れた。だが、不意に彼を抱きしめる腕に力が込められて、少年は級友を非難するつもりで後ろを振り返る。すると押し迫っていた友の顔が・・・・・」
「あ〜っと、俺、ちょっとトイレ」
「奇遇だね、僕もトイレに行きたかったんだ・・・秋彦、一緒に行こうか」
「・・・・いや、あの・・・ええとっ」
いきなり原田さんと、そしてほぼ同時に一条さんが席を立った。
言葉の選びに比して、一条さんの声が非常に冷たく聞こえる。
一方の原田さんは、すっかり狼狽なさっているようだった。
「そうか。秋彦、後でな」
峰さんが原田さんへのみ声をかけた。
下の名前で呼ぶなんて珍しいこと。
・・・それとも二人きりのときは、実はそうなさっているのかしら。
ところで城陽の修学旅行は、例年ヨーロッパと決まっているはず。
今年はエスパニアの火祭りだったと、江藤さんが仰っていなかったかしら。
ということはつまり、このお話はひょっとして・・・。
「峰っ、てめぇいい加減にしろよっ、さっきから何なんだその話はよぉ!」
「どうかしたのか? 俺は怪談を話してるだけだぞ」
原田さんに噛みつかれて、峰さんが平然とやり返した。
「それのどこが怪談・・・・いてて、いてぇって、やめろ篤!」
「早く行かないと漏れちゃうよ。僕以外にそんな姿を見られたくはないでしょ?」
「お前っ・・・俺がいつ・・・だから、そんな強く引っ張るなって」
一条さんがあんな下品なことを仰るなんて、これもまた珍しい。
皆さんの前で侮辱されてしまった原田さんは、随分と手首を強く握られていたようで、ろくに一条さんに言い返すこともできないようだった。
原田さんが一条さんにこういう扱いを受けることも、知る限りにおいてまた珍しい。
結局一条さんは原田さんの手を引きずるようにして、ダイニングから連れ出してしまう。
「あんなに痛がるなんて、どんな力で握っていらしたのかしら」
一条さんの隠れた一面を垣間見てしまったような気がした。
あの二人は、案外見せかけと実際の力関係が違うのかもしれない。
「・・・あの二人やっぱり怪しくない?」
佐伯が嬉しそうに小声で話しかけてくる。
そんなもの、見ての通りだ。
どう見てもこの殿方三名は三角関係。
ということは・・・・。
「峰さん・・・続きを話してくださらない?」
ぜひ、この先を聞かねばなるまい。
「花火が終わり、二人はホテルへ引き返した」
そこで一旦切る。
ホテル・・・当然、二人は相部屋の筈だ。
そうでなければならないのだ。
「で、・・・で、二人はどうなっちゃったの?」
江藤さんが目を爛々と輝かせて聞く。
この方は原田さんが好きな癖に、原田さんが別の男性とくっつくのは構わないのだろうか。
とんでもない事を聞かされるかも知れないというのに。
・・・そういえばまりあちゃんは先に寝かせないでいいのかしら。
峰さんも随分と大胆。
「ホテルでは・・・」
「ホテルでは!?」
佐伯が無意味に復唱した。
「ホテルでは、クラス委員と学年主任が角を出して待ち構えていて、俺・・・いや、二人は門限破りで反省文を書かされた」
「うん・・・で?」
江藤さんがさらに促す。
このクラス委員は、ご自分だと思うのだけれど・・・気づいていらっしゃらないようだ。
「なんだ?」
峰さんが逆に聞き返した。
「・・・・それだけ?」
佐伯が再確認する。
「ああ。・・・・・・・お前ら何を期待していたんだ?」
「どこが怖いんですか、そのお話?」
トントンと写真を揃えながら小森が、冷静に峰さんへ尋ねる。
「すまん、別に怖くはなかったな・・・・原田以外には」
確かにまったく怖いわけはなく、カレー屋さんもすっかり落ち着いたようだった。
まさかと思うが、あるいはこれは、カレー屋さんに対する峰さんなりの気遣いだったのだろうか・・・・だとしたらさりげないにも程があり、しかもただ一人、おそらく深刻な犠牲者が出てしまったようだけれど。
峰さんの、少しだけ素敵なお話が終わり、原田さん達を待つ間、しばらくはお茶を頂きながら静かなときをすごす。
だが、30分以上経っても二人は戻って来なかった。
「やだ、もうこんな時間・・・」
江藤さんに促されてダイニングの時計を見上げると、すで午後11時を回っている。
なんだかんだと、随分ダラダラとここで過ごしていたようだった。
これは原田さん達を待っていても仕方があるまい。
おそらくは一足先に、部屋へ戻っているのであろう。
考えて見ると、あの二人なら当然だ。
「それでは、あたくしたちもそろそろお開きに致しましょう。・・・ですが、その前に佐伯に、トリを務めさせて頂いてもよろしいかしら」
「え、終わるんじゃないの?」
立ち上がりかけていた江藤さんが、もう一度椅子へ腰をおろす。
いくら心ときめいたとはいえ、峰さんのあの話で終わっては、オカ研夏合宿の名前が泣くというもの。
ここはビシッと佐伯に決めさせないといけない。
「初音様、とっておきのお話を、みくに聞かせてください!」
「わかったから、放せ小森・・・。ええと、じゃあひとつ」
腕にしがみつく小森を引き剥がし、佐伯が話しはじめた。

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