「またサボリかい」
庭先でロサ・ケンティフォリアの手入れをしていた僕は、気安く話しかけてくる声で我に返る。
ジャケットの前ボタンを外した黒いスーツ姿の長身が、含みのある笑顔で立っていた。
「達也さん」
従兄で父の秘書の一人。
そして僕の教育係であり、うちで唯一気を許せる相手でもある。
「薔薇の手入れもいいけど、何も造園業者と一緒にしなくてもいいじゃないの」
槙の木に接して立てられた金属の梯子の下を、187センチの長身を屈めてわざわざ潜り抜けながら、達也さんはこちらへ歩いてきた。
三本脚で立っている園芸用具をビクとも揺らさないのだから器用なものだ。
梯子の上でバランスをとり、鋏を開いた姿勢で固唾を飲みながら見守っていた、捩じり鉢巻きの職人が、ホッと安堵の息を吐いたのがわかった。
「邪魔にならないように気を付けてますよ、ちゃんと」
達也さんは7歳年上なのだが、咄嗟に子供のようなことを思いつく発想の柔軟性は、頭が柔らかいというか、僕よりよほど傍迷惑というか。
「まあ、じっくり考え事をするときの君の癖だから、わかりやすくていいんだけど」
「そう思うなら、そっとしておいて下さい」
「僕だってしがらみから離れて、ホッと一息吐きたいときがあるんだから、このぐらいは許してよ」
「池の方に行けばいいじゃないですか」
「僕もここが好きなんだよ・・・いやあ、いい匂いだね」
そう言ってひときわ大きく咲いている花へ顔を近づけた。
目の下に黒々と影を落としている大きな隈。
昨夜空港で別れてから、達也さんはその足で会社へ向かった。
いつうちへ来たのかは知らないが、ひょっとしたら自宅へ一度も戻っていないのではないだろうか。
そうだとすると、そのままずっと仕事をしていたということだ。
ハビの件を考えると、達也さんが眠れるわけはないので無理はないだろうが、身体に悪い。
「この薔薇はそろそろ摘み時じゃないのかい?」
「ええ・・・・でも贈る相手を失いそうですから」
「なんだ秋彦君と喧嘩しちゃったのかい? 道理でズル休みなんかしているわけだ」
デリカシーがないにもほどがある。
僕は大きく溜息を吐いた。
「そういうことは、たとえわかっていても口にしないのがエチケットではないですか」
「だったら尚のこと、仲直りに花束を持って会いに行けばいいだろう」
ついでに、人の話を聞かないところも、従兄の悪い癖だ。
「達也さんじゃあるまいし、そんな気障な真似はできませんよ。・・・・大体、僕が贈った花なんて、受け取ってくれるかどうかもあやしいし」
「いや、僕だって・・・薔薇の花束なんて贈ったことはないんだけどね。秋彦君は単純そうだから、そういうのも喜ぶんじゃないかな」
単純な部類の人間だという評価に関しては僕も否定しないが、記憶にある限り、そうだと判断できるほど彼が秋彦を知っているはずはない。
せいぜい僕による伝聞ぐらいしか分析材料はないだろうに、その発言は無責任で失礼じゃないか。
「自分で贈ったこともないくせに薔薇の花束を持って行けだなんて、よく言えましたね。でも心配してくれたことは感謝します。・・・・今の僕たちは、そんな物でどうにかなる状態じゃないですけど」
僕がブチ壊した・・・多分。
単なるジェラシーとつまらないプライドから、後悔しか残さないような意地を張って・・・・ようやく実りを結んだばかりの恋に決定的なダメージを自分で刻みつけた。
それでもこの恋に、まるで踏ん切りがつけられないそうにないのだから・・・・僕はつくづく馬鹿だ。
「だったら香水でも作ってみるかい? それともどうせならオイルがいいかな・・・ローズオイルってよく効くよ」
「はい?」
のほほんとした調子で達也さんは言った。
「作り方は堂山さんが詳しいから彼に聞いてほしいし、頼めば喜んですぐに作ってくれると思うけど、喧嘩した時はこれに限ると僕は断言するね」
どうしてそういう話になるのか、わからない。
花を贈る気がないと僕が言ったから、香水やローズオイルに加工しろと言いたいのだろうか。
花だから受け取ってもらえない、という意味ではないのだが。
「妙な自信ですね・・・だいたいローズオイルが何に効くって言うんですか?」
「愛する二人を盛り上げる為によく効く・・・こう言ったら早熟な篤君ならその意味がわかるだろ」
達也さんと僕は姓が同じであることも手伝って、兄弟と間違えられるほど外見が良く似ているらしいし、それは自分で鏡を見ていてわからなくもない。
だが、ときおり達也さんはこういう非常にいやらしい目を見せる。
この目をしているときは、何かひどく下品な・・・はっきり言えばエロイことしか考えていないというサインである。
ここだけは僕と大きく違っている点だ。
僕はこんな目を絶対にしない。
「そんなもので秋彦の機嫌が直るとでも?」
やれやれと溜息を吐いた。
エッチなアロマオイルを嗅がせ、気分を高めて愛し合うことに効果がないとは言わない。
だが、そう持って行くまでが大変なんじゃないか。
据え膳を押し戻して秋彦の部屋を出て来たことが、つくづく悔やまれた。
とりあえず愛し合っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。
だがあのまま衝動に任せて秋彦を抱いていたら、僕は間違いなく彼を傷つけた・・・・そんなことだけはしたくない。
「コツはSEXハーブとダミアナ葉エキスを一緒に配合して、パートナーのいいところをマッサージしてあげること」
「一体何を教えてるんですか・・・」
日の高いうちから高校生相手にSEXハーブがどうとか・・・まともな大人と思えない。
アロマオイルの類かと思っていたら、どう聞いてもこれは媚薬だ
・・・というか、なぜその作り方を本社秘書室長の堂山さんが知っているのだ。
頼めば喜んで作ると、さっき言っていなかったか?
堂山さんのプライベートには、あまり関わらないように気をつけよう。
「けっこう浸透性が高くてすぐいい感じになるよ。ちなみにハビには効果覿面だった」
治験済みらしい。
「最終日の夜にホテルへ戻って来ないと思ったら」
薄々わかってはいたものの、やはりそういうことだったのか。
僕は再び大きく溜息を吐いた。
そしてちょっぴり従兄を憐れみながら、現在の彼に数年後の自分がダブって見えてハッとする。
達也さんには妻子がいる。
秋彦とうまく仲直りができたとして、この先僕らはどうなるのだろう。
彼と恋人でいられても、いずれは僕も誰かと結婚をして、子供を持つことになるのだろうか。
それでもやはり僕は秋彦を愛し、やがては彼を・・・僕にそんな権利があるのだろうか。

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