「・・・すまないね。冷静に話すつもりが、つい感情的になってしまった」 to be continued
「いえ・・・」
原田氏が僕の顔を見て、一瞬だけ目を見開いた。
だが、再び何事もないように表情を穏やかなものに戻すと。
「唐突だが、君は将来的に秋彦をどうするつもりなのかな」
本当に唐突な質問だった。
まるで、明日の天気は予報で何と言っていたかとでも聞いてくるように、だがその質問は随分と乱暴だった。
「どうって・・・・すいません、何をお知りになりたいのか、もう少し詳しく聞かせてもらえませんか」
「つまり、君は一条グループ総帥の跡取り息子で、いずれはお父さんの仕事を引き継ぐ立場にあるだろう。たとえば仕事のために秋彦が足手纏いになれば、君は彼を捨てるのかな」
「それは絶対にありません」
自分でも意外なほど冷静に答えていた。
そして原田氏もまた穏やかに、無礼な質問をこれでもかと続ける。
思ったよりも強かな人らしい・・・そう分析した。
「しかし一条グループの代表ともなれば、世間の目があるだろう。結婚をしてさらに後継ぎをもうける必要も出てくるかもしれないし、君の御両親や会社の人達はそれを君に、当たり前のように望んでいる筈だ。それとも周囲が何を言おうが、秋彦をあくまで君の恋人、・・・いずれは愛人として彼を囲うつもりなのかな」
不思議なものだ。
ちょうどその話について、僕は最近よく考えていた。
僕の立場と僕らの関係を考えれば、当たり前にぶち当たる現実。
おそらくは昨日まで・・・いや、この怪我をする夕方までの僕ならば、この質問にうまく答えることが出来なかっただろう。
だが、今は違う。
「そのつもりもありません。僕は秋彦との将来を今の段階で考えられる限り、真剣に考えています。その上で一条の家門が僕らの関係性において障害となるのなら、僕は迷わず家を出る覚悟です」
なぜだろう。
今の僕には、迷いがまったく消えていた。
次々と、言葉が泉のように、僕の口から、僕の心から自然と出て来て、淀みなく原田氏の質問に答えていた。
「ほう・・・」
それが、僕の答えであり、真意だからだ。
この左肩と手首に負った僕の怪我が、そして原田氏が聞かせてくれた秋彦の生い立ちが、僕に自分の気持ちを再確認させ、己が人生の道標となって、僕の足元をはっきりと照らしてくれたのだ。
「・・・しかし仰る通り、僕は一条仁の息子です。できることなら立場を放棄することなく、その責務を全うしたいですし、その為の努力を惜しむつもりはありません。贅沢かもしれないですが、僕は両方をとりたい・・・・。幸い、僕には味方になってくれる人が身近にいて、いざとなれば父や一条ではなく、僕を選んでくれる仲間が何人もいます。ときに、暴走しがちな人たちで、それはそれで心配が尽きないんですが・・・・けれど、彼らの力を借りて、どちらの道も捨てることなく、僕は最善の結果をつかみたい。どこまでできるかわかりませんし、今でさえ問題は山積みなんですが・・・・。けれどこれだけははっきり断言します。一条か秋彦か・・・父か秋彦かを選ばないといけないときが来たら、僕は間違いなく秋彦を選びます。そこだけは迷いません」
卒業後の進路のこと、一条のこと、チューファ支社の内紛、ハビ達のこと・・・・改めて原田氏に問われ、迷っていた筈のそれらの答えが、不思議なほど僕には明確に見えていた。
一番大事なこと・・・それさえ間違えなければ、自然と答は見つかる。
簡単じゃないか。
「よく言ってくれたね」
「原田さんが僕を信じて、秋彦の生い立ちを話してくださったから・・・」
「その話は秋彦には?」
「いえ、まだ・・・もう少し、身辺がある程度片付いてから話そうかと」
いくら僕の中で決着が付いたといっても、現実には問題が山積みだ。
この状況で自分の理想をぶちまけるのは、ただの無責任でしかない。
「そうか・・・首を長くして待っているだろうな」
原田さんが苦笑した。
「あの・・・・ひとつ聞いていいですか」
話していて、気になったこと。
考えたら、いくらなんでもこの人は理解がありすぎる。
「なんだい?」
「いつから僕ら・・・その僕と秋彦が、そういう関係だと・・・」
「Te amo」
「えっ・・・」
唐突に発せられたエスパニア語に、僕は顔が真っ赤になるのを止められなかった。
それを見て原田氏は満足そうにニコニコと笑うと。
「僕からの愛の告白じゃないよ。そんなことをしたら秋彦に恨まれちゃうからね。はははは・・・君が贈ったあの香水を秋彦はあれから、ほとんど毎日つけているんだよ」
僕が誕生日に贈った香水の名前のことだった。
「ああ、なるほど・・・」
考えて見れば当然だ。
それにしても今の言葉の切り方は性質が悪い。
そこまで考えて、さきほどのサディスティックといっていいぐらいの意地悪な質問の連発を思い出し、優しい仮面に隠されたこの人の素顔は、案外意地悪なんじゃないかと、今更ながらに気が付いた。
「そういえばそろそろ香水がなくなりそうだと言いながらネットで何かを注文していたっけ・・・でもあれは香水じゃなかったような気がするなぁ」
「そうなんですか。だったら、いつでも送らせるのに」
あの香水はそう簡単に見つかるはずがない。
ブランドのFernando Cieloは一条建設の子会社、ホテルドルフィンが独自契約を結んでいる、エスパニアのファッションブランドであり、『Te amo』はホテルドルフィンとの提携でブライダル企画の一環として出している香水のひとつで、それもホテルドルフィンチューファの限定品なのだ。
ネットごときで安易に手に入る代物ではない。
「エスパニア語は堪能そうだね」
突然原田氏が断定口調で言った。
「堪能というか・・・正式に勉強したわけではありませんが、まあ子供のころからしょっちゅう日本と行き来していますので」
小、中学校の頃は、ほぼ半分ずつを泰陽市とチューファで過ごしており、したがって時期によっては向こうの学校に通っていた。
だからチューファにも友達は多くいる。
「やっぱりね。僕も大して話せるわけではないけど、仕事柄ヨーロッパにはよく行くもので、大抵の国の挨拶と愛の告白は、コミュニケーションの為に覚えているんだよ」
「ああ、そういうことでしたか」
というか、愛の告白がコミュニケーションの為とは・・・少々不穏当な発言を聞いた気がする。
もっともどこまでが本気で、どこから冗談かも、わからないような雰囲気ではあるが。
「あれほど特別な言葉の意味を知っていて、なんでもない相手に、そういう名前の香水なんて贈らないだろう?」
「それはそうですね・・・」
それまで和やかに話していた原田氏の表情が、ここで不意に引き締まる。
霜月の話をしていたときの険しさとはまた違った、しかしこの上なく真剣な表情。
言うなれば、厳かなムードが彼の周りを囲み、そして僕をも取り込む。
「篤君・・・秋彦が抱える心の傷はけして小さくはないよ」
「はい」
「今回の一件で冴子さん・・・妻はこれまで以上に神経質になっている。知っての通り子供がいない僕たちにとっては、秋彦は実の息子同然だし、秋彦の経験は、彼女自身にとっても、けして他人事ではないから、余計にね・・・ひょっとしたら君にも辛く当たることがあるかも知れない」
「承知しています」
他人事であるはずがない。
この人たちと秋彦の絆の深さは、普通の親子となんら変わりがない・・・あるいは僕と両親以上かも知れないように、僕にも見える。
まして事件で実の弟を失っている冴子夫人なら、辛い過去を思い出させた僕の存在が、疎ましく感じられるのは仕方がないことだろう。
そのぐらいは、僕も覚悟をしている。
「でも僕は君なら、秋彦を任せられると思っている」
「原田さん・・・」
「さっきは意地悪な質問をして悪かったね」
「いえそんな・・・秋彦のことを考えたら、当然の疑問でしょうから。それに僕には少しも、意地悪には感じられませんでした・・・まあ、ちょっとは傷つきましたけど」
そういうと原田氏は軽く笑う。
「だったら成功かな・・・・大事な息子を男にくれてやる父親の心境と言えばわかってもらえるだろう。・・・ああ、こちらも男ではあるんだけど」
「十分すぎるほど理解できます」
「何より、君の迷いのない答えが僕を安心させてくれた・・・悪いことをしたとは思うけど、腹を割って話せて、本当によかったよ」
「迷ったりしません」
彼の存在こそが、僕の道標となったのだから。
それがわかったのは、原田氏のおかげだ。
「篤君・・・秋彦を頼んだよ」
「はい」
「それと・・・・秋彦を好きになってくれてありがとう」
「僕こそ、彼と出会えたことに感謝しています」
ありがとう、原田夫妻。
ありがとう、夏子さん、冬矢さん。
僕は全人生をかけて秋彦を守ってみせます。
もう迷ったりしない。