『第76回 蒼天祭』 神無月、初旬の日曜日。
1.『オープニング』
ゆさゆさ。
「ほら、起きなさいよ」
俺、原田秋彦(はらだ あきひこ)は、身体の上に充分な重みを感じながら目を覚まそうとしていた。
「う、うぅん・・・」
心地よい、初秋の朝。
暑くもなく、寒くもなく。
半分開きかかった目蓋越しに感じる、暖かな朝の日差し。
ゆさゆさ、ゆさゆさ。
「起きなさいってば〜」
「冴子さん、もうちょっと」
50代なのに、こんな女子高校生のような瑞々しい声が出せるんだなあ、などと感心しつつ、これがせめて隣に住む元気娘で、ベランダ越しに俺の部屋へ乗り込んできて、目を開けるとセーラー服姿のその娘が短い丈のスカートから剥きだした太腿も露わに、俺の腹の上で馬乗りになりながら、「いつまで寝てるのよ!」だなんて、見下ろして怒鳴ってくれたりしたら最高なのに・・・、などと考えてみた。
まあ実際には、隣に住む元気娘もいなければベランダも俺の部屋には存在しないのだが。
ギャルゲーの分岐点でツンデレ幼馴染ルートに入ったお知らせのような展開を思い浮かべつつ、俺は自分を激しく責めた。
実質的な制服会社経営者兼天才デザイナーである伯母の冴子(さえこ)さん(52歳)の声で、これだけ駄目な妄想をしてしまうなんて、俺の馬鹿馬鹿!
「いつまで寝てるのよ!」
ボフッ!
「むぐっ」
別に痛くはないながらも、思いがけない衝撃を顔面に受けて、さすがに俺は目を開ける。
「さえ・・・えっ、えっと・・・なんで?」
そこには、隣に住んでもいなければ幼馴染というほどでもないし、セーラー服姿でも馬乗りでもないのだが、確かに女子高校生がベッドの上へ半身を乗りだして俺の顔を覗きこんでいた。
「やっと目を覚ましたようね。さっさとしなさい!」
彼女、江藤里子(えとう さとこ)はすぐ傍のカーペットの上に仁王立ちをして、胸を反らしながら俺を見下ろす。
紺色のブレザーの前ボタンを留めてきっちりと着こんでいる、そのウエストあたりに当てられた彼女の右手には、再び顔を凶打するときに備えて、寝ている俺の頭の下からいつのまにか引き抜かれていた枕が重く垂れさがっている。
「あの・・・江藤里子さん・・・? なんで、またこんなところに?」
俺は事態が飲み込めず、本人へ直接質問した。
記憶にある限り、江藤は隣の家に引っ越した筈もなく、さきほど言った通り俺の部屋には、隣家の元気娘が、寝坊な俺を起こすために乗り越えて来るベランダも存在せず、また、江藤がいつのまにか俺の彼女になっていて、昨夜この部屋に泊っただなんていう甘酸っぱいイベントも今のところまだ俺達には起こっていない筈だ。
つまり俺には、江藤が朝っぱらから俺の部屋の蛍光灯の真下に仁王立ちしていて、俺を叩き起こした彼女からツンと見下ろされるべき所以が把握できないのだ。
「やっぱり覚えてないか・・・」
半ば呆れたように溜息を吐きながら言い捨てると、江藤はそのまま俺をキッと非難するように、更に強く睨みつけてきた。
「え、ええっと・・・江藤さん?」
俄かに俺は胸騒ぎを覚える。
ちょっと待て。
江藤がここにいるのが当然で、その理由を俺が覚えていない為に彼女から非難されなければならない事態とはなんだ?
言いかえると、女の子が朝から男の部屋にいて、男女の間に起きた何かを男が覚えていない為に女から詰られるべき事態、といえば。
「どうせこういう事だろうとは思ったけれど、こうも綺麗さっぱり忘れられているとなると、さすがに頭に来るもんだわね・・・、あんたって男は・・・」
マ! ジ? ですか!?
「いやいやいや、ちょ、ちょいタンマ・・・」
思い出せ、原田秋彦!
それはさすがにヤバいだろ。
最低だぞ、人でなしだぞ、鬼畜だ、もう死んでしまえ!
「ったくぅ〜・・・!」
江藤が再び枕を構えて、砲撃体制に入る。
「すいません、すいません、すいませんでしたあー・・・っ!」
俺は布団の下から飛び出しベッドに正座すると、額を3度スプリングに打ちつけた。
土下座しかあるまい。
いや、しかし酔っていたとはいえ、なんとまあ見事に女を連れ込んだ記憶はおろか、その子とエッチして、晴れて童貞を失ったという貴重な記憶も、もったいないことに感触も、小さな江藤のふたつの柔らかなアレの形状や触り心地も、たぶん彼女の処女を奪った劇的瞬間すらも、完璧に、これほどまでに微塵も覚えていないとは・・・罰あたりすぎる!
不覚だっ!
はて・・・ところで俺は昨夜、酒なんて飲んだだろうか。
普通に学校から帰って、英一(えいいち)さんや冴子さんと一緒に晩飯を食って、宿題して、ゲームを進めて、11時には寝たような気がするが、それは夢か?
すごいリアルでつまらない夢だ。
江藤が茫然と俺を見ていた。
「あ・・・べつに、そこまで謝んなくてもいいんだけど」
枕を両手で振り上げたまま、ポーズと釣り合わないセリフを吐いていた。
「責任とります」
「へ!?」
「俺、痛くしなかった?」
「・・・何の話してんのよ」
「だって、江藤とエッチしたんでしょ」
「なっ!?」
「お前は俺の逞しい腕に抱かれて、慎ましやかな双峰を揉みしだかれて、我が150ミリ砲による砲撃を前人未踏の洞穴に浴びてあられもなく喘いだ揚句に、記念すべきロストバージンというドラマティックな夜を過ごしたにも拘わらず、起きてみれば酔っぱらっていた俺が何一つ覚えていなかったから、そんなに怒って・・・ぶおっ!」
「さっさと目を覚ませ、このエロガキがっ!」
語尾と同時に、再び視界が閉ざされる。
「ふぁ、ふあいっ、起きて・・・ぶぁはっ、乱暴は止めて・・・」
江藤はもはや元の形状を失い、中身が片方へ丸く偏った哀れな俺の枕の布の端を握り締めたまま、再び頭上高く振りあげると、遠心力を使って、今度は俺を乱打し始める。
女とは謂え日ごろ武道を嗜む段位持ちだけあって、武器を構える姿勢がいちいち正しく、攻撃は全て俺の側頭部へクリティカルヒットしていた。
起きぬけの頭がクラクラしてくる。
「何が150ミリ砲よ、そんな立派なもん持ってない癖に、調子に乗るな!」
グサッ。
「ぐふぉっ、お、お前・・・何で知って・・・まさか、俺が寝ている間に勝手にっ!?」
「はあぁっ!?」
「江藤さんのエッチ!」
「するか馬鹿! 朝っぱらから下劣な妄想撒き散らすなって言ってるのよ! っていうか、さっさと起きろっ! 今日は体育祭があるの忘れたわけじゃないでしょうね!」
「わかりました、わかりましたから止めてくださいっ・・・それと出て行って下さい、着替えられません!」
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