『魔王伝説』
(第1章:呪われた王子)
魔鏡の中で陽の国の上空は、王の使いである十万頭のドラゴンで、黒く埋め尽くされていた。
よくもこれまで我を騙してくれたな・・・。
陽の国の城では、16年間もの間音信不通だった憎き弟が薄ら笑みを浮かべ、この国の”王女”と、海の国の王子の結婚式を台無しにしている。
新婦は本来の姿をとりもどし、あの美しき王妃と瓜二つの顔で、弟の接吻を受けていた。
けして許すまじ・・・・覚えておくが良いぞ、二葉・・・!
王妃が第1子の出産を間近に控えたある夜のこと、陽の国の上空には1頭のドラゴンが舞っていた。
ドラゴンは、森の向こうに不気味な城を構える魔族の国、芸大国の王、魔王の使いだ。
魔王はたびたび近隣国へドラゴンを差し向け、少年達を捕えては芸大城へ連れ帰っていた。
攫われた少年達は四肢を切り刻まれて食べられたり、石に変えられて廊下や階段を飾ったり、壁に埋められたりしていた。
見目の良い者達は、すぐに殺されることはない。
運が良ければ僧侶の傍付きとされるが、その場合でも彼の身の回りの世話をする傍ら、夜伽の相手をすることになる。
しかし、その美がやや劣ると判断された者達は、地下牢に鎖で繋がれて、兵士、門番達の欲望に穢されたのち、いずれは殺されることになる。
とくにその美の秀でた者は、魔王の部屋へ入りインテリアのようにその一部を形成することになり、場合によっては寝室へ呼ばれ、兵士や門番の相手よりも遥かに恐ろしい魔王の相手をすることになる。
その運命を告げられた少年の全てがショックを受け、一部の者は脱走を図ろうとして、見つかり次第拷問の末に殺された。
運命に逆らわなかった者も魔王を目に前にした途端に、恐怖のあまり失禁し、受け入れた苦痛で気を失い、痛みに耐えきれずに命を落とすか、絶望して舌を噛み切り自ら命を絶ってしまう。
さらに運悪く命を落とさなかった少年達には、心臓が鼓動を打つ限り気が狂いそうな苦しみが続くことになる。
男として生を受け、見目よく生まれ、魔王のドラゴンに捕えられたばかりに、彼らは逃れ難い悲運に絡めとられるのだ。
その魔王の使いと称する僧侶が、ドラゴンの被害を恐れる陽の国の城へ現れ、第1子を授かった若き国王夫妻に謁見してこう告げた。
「第1王子を魔王へ差し出しなさい。さもなくば、さらに竜は数を増し、いずれこの国の少年達は一人残らず攫われて、魔王の生贄とされましょう」
国王は1週間の間眠ることなく心を悩ませ、ついには生まれる第1王子を必ずや魔王へ献上すると約束し、その返事を持って僧侶は魔王の城へと帰って行った。
国の為、民の為、身を斬られるような決断だった。
号泣する王妃に国王は言った。
「上手くすれば、魔王の毒牙にかかることなく、僧侶の傍付きとして生き永らえることもあるやも知れぬ。あの僧侶はさぞかし高僧の者であろう。苦しむ我々を目にして、きっと上手く取り計らってくれるに違いない。それに最初の子が必ずしも王子とは限らぬではないか。魔王は男色だというし、生まれて来る子が王女であれば、きっと怯える必要はない。世継ぎなら、余所の国の王子を婿にとれば良いことではないか」
言いながら、自分でも都合の良いことを言っていると国王は、内心自嘲した。
だが、そうとでも信じなければ、耐えられない状況だったのだ。
国の為、民の為、王として家族だけを守るわけにはいかない。
しかし血を分けた我が子を、生贄にとられて平気な筈がないのだ。
どうか、神様、まだ見ぬ我が子が男でありませぬように。
どうか、神様、魔王のドラゴンが、陽の国の空から消えますように。
しかし運命とは残酷だった。
王妃は生まれた子が男だと知ると絶望した。
産声を聞きつけて今にも入って来ようとしている国王に、産婆が王子の誕生を伝えるために部屋を出ようとしている。
王妃はしばし国王に待ってもらうようにと産婆に告げ、赤子の性別を告げることも禁じたうえで、部屋の前からすべての人払いをさせた。
どうして神様は、我が子を女にしてくれなかったのですか。
どうして神様は、我と我が子の運命ををお見捨てになったのですか。
泣いても、泣いても、後から涙は流れてくる。
この腕の嬰児は、その目を開き、最初に何を見るのだろうか。
それは自らを慈しむ眼差しと、当たり前の幸せでなければならない。
この腕の嬰児は、その柔らかな身体から御包みがとれたとき、何を感じるだろうか。
小さな手を引く母の温もり、そして進むべき道を示す父の背中・・・・そうでなければならない筈なのに!
涙にくれる王妃の傍らへ、小さな影が忍び寄る。
「そなたは何者ですか?」
第一子を出産したばかりの王妃の寝室へ、産婆と国王以外の者が立っていることさえ異常であるのに、それが見たこともない老女とあってはただ事ではなかった。
「どうやって、ここへ入ったのですか?」
王妃は出産直後の消耗した身体で、我が子を掻き抱きながら老女へさらに質問をするが、返答はなく、気が付けば訪問者はベッドのすぐ傍に立っていた。
ここで初めて王妃は、老女が音もなく歩いていることに気が付き、改めて疑問を抱いた。
この者は果たして同じ人間なのであろうか。
老女は漸く口を開いた。