再びドラゴンが陽の国へ襲来することは1度たりともなく、平和な時が続いていた。
その間に王妃は老女との約束をすっかり忘れてしまっていた。
間もなく16歳の成人の儀が行われるという、ある日のこと。
城陽は国王から、隣国の王子、白鳳と結婚するように命じられる。
白鳳は海の国の第2王子で、兄である第1王子はすでに結婚して世継ぎをもうけており、白鳳は婿入りという形で陽の国の王室に入るのだという。
海の国の王室も民衆も、なぜか男児にしか恵まれず、たびたび魔王が使わすドラゴンにより誘拐被害が後を絶たなかった。
100年前と比べて、昨年とうとう人口が3分の1以下にまで減少し、当然ながら国力も減退の一途をたどっていた。
悩み抜いた海の国の国王は、そこで陽の国に目を付けた。
以前は同じように、たびたびドラゴンの被害に遭っていた陽の国は、ある時を境にピタリと災害が止んでいる。
国交を通じ、ノウハウを伝授してもらうだけでなく、この際、王室同士の姻戚を結んで互助関係を築き、互いの危難に備えてはどうだろうか。
これはわが国の国防に繋がるばかりでなく、第2王子の白鳳と王女城陽が結婚することで、陽の国は世継ぎを得ることができるのだから、双方の利益に繋がるであろう。
海の国の国務大臣たちはそう考えた。
最初は大臣同士の話し合いで、まもなく両国の国王列席の会談を経て、とてもスムーズに若き王子と王女の婚約は成立した。
当事者同士にとってもまた、結婚が見知らぬ誰かと交わす儀式であり、それはすなわち両国の国益を左右する重要な政治行為であって、若い二人の情愛による可否の介在する余地がないことなど、とうに承知であったから当然のことだった。
それでも幸いなことに、白鳳は城陽を一目見た瞬間から恋に落ち、城陽もまた、白鳳の誠実な人柄を好ましいと思う事ができた。
そうして迎えた結婚の儀は、陽の国城の広間で盛大に執り行われた。
この日はともに、城陽、白鳳の成人の儀でもあった。
海の国では大砲が鳴らされ、国中で祝いの杯が交わされた。
陽の国では儀式の後、国王自らが民衆の前で祝辞を述べて、新郎新婦の祝賀パレードが行われる筈だった。
それが、一瞬の出来事で台無しにされた。
儀式の真っただ中、身の丈2メートルに近い大男が、広間に集う参列者の間から、国王夫妻の前へ音もなく歩み出た。
男は見たところ、まだ20代前半の精悍な若者だ。
眼光鋭いながらも端正な顔立ち。
短く黒い頭髪は整髪料で無造作に立たせ、黒革のロングコートの下に黒いシャツ、細身の黒いパンツを履いている。
パンツの裾は、膝下までの、これまた黒い細身のブーツの中へ押し込んでいる。
すなわち、顔と手首から先と多めの装飾品を覗けば、全身黒尽くめだ。
装飾は太い金のチェーンネックレスと、両手に複数のゴツゴツとした指輪・・・それらは石が入っているものから、髑髏の彫刻を施した燻銀の物、邪悪な蛇が牙を剥き出し、とぐろを巻いているデザインまでバラエティに富む。
さらに両耳朶に複数のピアス・・・リング状のものや、ラムズヘッド、垂れ下がるタイプの大きなアンク十字などさまざまだ。
しかし、見たところ武器のような物は一切所持していない。
明らかなこの不審者が、一体どうやって儀式中の城へ侵入を果たしたのか、そして、いつでも両国国王夫妻へ飛びかかれる距離へ進み出ていると言うのに、なぜ近衛兵は誰ひとり止める者もいないのか・・・。
しかし男は国王夫妻へ危害を加える素振りは見せず、その場に跪くと、俯いたまま静かにこう告げた。
「王妃様、約束はもうお忘れですか?」
「えっ・・・」
未だ美しきこの国の王妃は、そう漏らしたきり言葉を継がない。
突然城に現れた、生涯宮中とは縁もなさそうに見える、ゴロツキのようなこの若者が、なぜか自分に向けて言葉を発した。
彼女にとってはたったそれだけの事があまりに想定外で、それ以上のことは冷静に考えられないのだ。
無礼であるぞ・・・衛兵、何をしておるか・・・即刻この者を捕え、牢へ閉じ込めよ。
国王は立ち上がり、何もしようとしない兵たちを、そのように叱咤するつもりだった。
だが、思っただけで全てが終わり、実際には立ち上がることも、言葉を発することもできなかった。
よく見れば、兵たちも全員が苦しげに顔を歪ませており、この状況に混乱しているようにも見える。
漸くここに集う全員が事態を把握した。
陽の国城の広間・・・いや、城そのものには、得体の知れない力が介入しており、全ての人間の自由を奪っている。
あるいは、この若者が対話を望んでいる王妃だけは発言を許されていたのかもしれない。
しかし、王妃は若者へ恐怖を抱いており、進んで言葉を交えることはなかった。
つまり、若者の質問に応えず、若者とかつて交わした”約束”を思い出したと、・・・あるいは彼が、そう判断できるような材料は、しばらく待ってみても得られそうになかった。
若者は俯いたままで静かに溜息を吐くと、玉座に座る陽の国の国王夫妻、その傍らに座する海の国の国王夫妻、そしてこの儀式の主役たる新郎新婦の、まだ幼さが残るその顔を順に眺めて行った。
城陽王女・・・、なんと美しい娘に育ったことであろう。



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