『これより、第76回蒼天祭を開会します』
放送席より、体育祭実行委員長である山村早苗の凛とした声が、僅かなエコーとともにグラウンドへ響く。
続いて4箇所に設置してあるスピーカーから、重低音のヘヴィメタルが初秋の空気を揺るがし、同時に選手達の入場行進が始まった。
『まずは1年A組の入場です。担任の先生は社会担当の桂川宗次(かつらがわ しゅうじ)先生。いつも明るく笑顔を絶やさない、そんなクラスです。羽ばたけ1−A!』
ぶち壊せだの燃やしつくせだのと言った歌詞のメタルサウンドがスピーカーから流れるさなか、甲子園球場の鶯嬢を思わせる綺麗な山村のアナウンスが、朗らかに1年生のクラスを紹介していく。
順番としてはクラス名、担任教諭、そして紹介文・・・という流れのようだが、その紹介文は事前に各クラスが委員会に提出した物をそのまま読んでいる。
ということは、俺の知る限りにおいて、どんどんふざけた内容になっていく筈だった・・・いや、とても体育祭の行進曲とは思えないヘヴィメタルが堂々と校庭に鳴り響いている時点で充分カオスなのだが。
『1年B組の入場です。担任の先生は国語の渡部竜也(わたなべ りゅうや)先生。・・・ピーナッツ入り柿の種に文句を言う人たちは、ときとしてピーナッツが多すぎると主張していることがある。しかしちょっと待って欲しい。事の本質はそうではではない。ピーナッツ入り柿の種のピーナッツに文句を言う人たちに疑問を抱くのは私達だけだろうか。たとえばピーナッツを食べ過ぎると、鼻血が出易いという話がある。しかし中国では古来、ピーナッツが長寿の薬と呼ばれており、健康増進に大いに役立つと指示する声も聞かれなくもないのだ。また、アフリカなどで栄養失調に苦しむ子供たちを救う活動現場で、ピーナッツにビタミンやミネラルなどを加えた栄養補助食品を配っている人たちがいる。ピーナッツ入り柿の種のピーナッツに文句を言う人は、このような声にも真摯に耳を傾けるべきではないか。そもそもピーナッツ入り柿の種を買っておきながら、ピーナッツに文句を言うのは欺瞞である。ピーナッツ入り柿の種のピーナッツに文句を言う人たちは、未来を担う一員として責任があることを忘れてはならない。今こそ冷静な議論が求められる。・・・・以上、1年B組の入場行進でした。続いて・・・』
まるで新聞の天声なんとか人語のような、一聴するともっともらしい主張と文体に、一般来場者席の父兄数名が、うっかりウンウンと頷いているのが見えた。
「あたし達日本人は、贅沢に慣れすぎているのよねぇ・・・」
隣で江藤が呟く。
「お前、結構騙され易そうだな」
彼女の周りを見ると、同じように納得してしまっている生徒が何人もいた。
日本の未来は、どうやら暗そうだ。
だから、そもそもは、ピーナッツ入り柿の種のピーナッツが多すぎてウザイっていう話だろうに・・・、贅沢とか全然関係ねぇ。
「僕はチョコレートコーティングした柿の種が好きだけどなぁ・・・」
「えぇっ、そこは絶対カレー味でしょ! だいたい柿の種なのに、甘いなんて邪道だよ」
「あの甘〜いコーティングの中から、ピリッとした辛さが出てくるところがいいんじゃない。何事も意外性は大事だよ、人でもお菓子でもね」
後ろの方では一条篤と直江勇人(なおえ はやと)がなぜか議論を繰り広げていた。
篤は一体なんの話をしているやら、疑問が残ったが・・・それにしてもよもや彼のようなセレブが、チョコレート味柿の種なんぞというジャンク菓子を知っているとは・・・それこそが意外ではないだろうか。
そして直江は今日も正常運転のようである。
あいつはカレーさえあれば、きっと万年雪のヒマラヤの奥地だろうが、灼熱のサハラ砂漠であろうが、逞しく生きていけるのだろう、きっと。
「俺はむしろ、ピーナッツ入り柿の種に入っているピーナッツが好きけどな」
前から峰がボソッとした声で言う。
「お前は、友情は見返りを求めないホモキャラか」
入場行進はその後2年に代わり、クラス紹介文はどんどん馬鹿げたものになっていった。
そして山村の声は、妙に生き生きとしているように聞こえる。
『・・・見渡してみるがいい。この死せる校庭に在っても尚、可憐に花咲かせし校門の秋桜のごとく、甦りつつある我等が寄る辺を。傍らに立つ級友を見るがいい。この危局に際して尚、その眼に燃え立つ気焔を。我々を突き動かすものは何か。・・・授業中に眠っていた者達の声を聞け。追試に果てた者達の声を聞け。桜散った者達の声を聞け。彼らの悲願に報いる刻(とき)が来た。そして今、若者たちが旅立つ。・・・2年D組の入場行進でした』
一層力の籠った山村の朗々と流れゆく美声が、スピーカーを通し、絶妙のタイミングで聞こえ始めたロックバラードと共に、グラウンドの高揚感をこれでもかと煽っていた。
「なんだか知らねぇけど、俺は無性に胸が熱くなってきたぞ・・・」
直江がフッと目を細め、意外と長い睫毛を震わせながら、その笑顔へ微かに涙を煌めかせて言った。
「そうだな、ここで諦めちゃ駄目なんだよな」
さっきまで前の方で座りながら鼻をほじっていた大森が、徐に右の拳を握り締めて起き上がり、その後ろにメラメラとした炎まで背負って立っている。
「ああ、今俺達が戦わないで、誰が地球を、我らが祖国を守るって言うんだ」
江角が前を向き、眩しい太陽の光に力漲るその顔を輝かせながら同調する。
周りにいた男連中が皆、口々に、そうだ、そうだと言い始めた。
もはや敵国に日の丸特攻でも仕掛けかねない勢いである。
そして。
「勇ましいのは結構だけどアンタ達、何をそんなに入場行進前から、一発逆転を狙う負け犬ムードになっているのよ?」
江藤の冷ややかでありながら尤もな問題提起が投げかけられるとともに、危ないところで桜花作戦はどうにか未遂で終わったのである。
とりあえず、三分の一が受験生のこのグラウンドで、あの紹介文を流そうと考えた2−Dのエロゲオタ野郎には、お前なんか兵士級に食われてしまえとだけ俺は言っておきたい。
「・・・で、あんたはどうして泣いているのよ」
続けて江藤が俺にも聞いてくる。
「なんでもない」
胸を抉られたことこの上ないぞ、馬鹿下級生が。
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