『一条家の京豆腐ランチ定食と達也先生の茶道教室』(達也編)
古風な暖簾越しに手を振っていたのは、俺が良く知った顔のそっくりさん。
「いらしてたんですか」
「お疲れ様。お腹すいたでしょう?」
そう言いながら、スーツ姿のこの男性は、導くように俺を奥の座敷へ連れて行ってくれた。
「いらっしゃいませ、秋彦さま」
「えっと、・・・ああどうも」
「料理長、定食を」
「かしこまりました達也様」
なぜか俺の名前を知っていた初老の男性は目の前に湯呑と小皿を置くと、俺を出迎えてくれた彼、一条達也(いちじょう たつや)の指図を受けて、すぐに厨房へと消えた。
「ええっと、達也さん・・・ここは一体」
半分開けられた障子越しに見えるのは、さらさらとした葉の重なり合う音も耳に涼やかな竹林。
白い玉砂利を敷き詰めた坪庭には燈篭と小さな池が配置され、水面に3匹の鯉が揺らめいている・・・っていうか、可笑しいじゃねえか、ここ校庭の筈なのに!
「京豆腐専門店『壱条庵』の出張店だよ。本店は京都にあるけど、ホテルドルフィンにも、かなり大きな店がある。秋彦君ならいつでも歓迎だから、今度遊びにおいでよ」
「はぁ・・・というか、なんで学校の体育祭に京豆腐?」
言いながら早速お茶と小皿の中身を頂く。
小皿に載っていたは、茄子の変わった漬物だった。
甘辛い味付けで、お茶受け感覚でぱくぱく食べられる。
「あ、来た来た」
「失礼いたします、秋彦さま」
「どわっ・・・鍋ですか!」
料理長が湯だった手付きの土鍋をテーブルにセットし、バーナーで火を点けた。
続いて和服の女性がやってきて、色々と小皿や小鉢を並べて行く。
ひろうすに、酢味噌がひと匙載った刺身こんにゃく、胡麻豆腐に、出汁がかかった温泉卵、じゃこの佃煮に、麩の佃煮・・・一体何皿出てくるのやら。
というか定食と聞いていたから、お盆にご飯と椀物やお皿が載ったものを想像していたら、土鍋かよ!
「あ、この胡麻豆腐、とっても美味しいよ。それとひろうすも出汁が利いていて良いんだよね。季節の銀杏も入っているし・・・」
達也さんに勧められるまま小皿を全て平らげる。
はっきり言って全部美味しかった。
「そろそろお豆腐も、よろしおすえ」
「ありがとう妙子さん」
「どうぞ、ゆっくりお召し上がりやす」
和服の女性が鍋から豆腐を掬って、たれの入った小鉢に入れてくれる。
「ありがとうございます」
それを受け取ってさっそく頂いた。
「熱いから気をつけてね」
「は・・・はひ・・・」
達也さんが注意してくれたが、遅かった・・・。
しばらく、口を開けてハフハフとやっていたが、一向に豆腐が冷める様子はなく、覚悟を決めて飲み込んだら、喉がただれそうに熱かった。
「はい、お水」
無言でありがたく受け取って、全部飲み干す。
「ははははは、大変だったねぇ」
「はぁー、喉に穴が空くかと思いました」
「これは蓮根に秋葵、生姜、薩摩芋、それと生湯葉の天麩羅でございます。そのまま召し上がって頂いても結構ですが、そちらの天つゆにつけてお召し上がりください」
これで全部かと思っていたら、さらに天麩羅まで出て来たでござる。
正直、そろそろお腹がいっぱいになりかけていた。
「あぁ〜いいねぇ。料理長、ビール出してよ」
「達也さん、ここは学内の出張店だということをお忘れですか?」
「だってさあ、このメニュー、どう見てもビールでしょう。ねぇ、秋彦君?」
「は、はぁ・・・」
困った・・・これまた美味しい。
「無茶を仰らないでください」
窘めながら料理長が笑顔で達也さんの言葉を無視すると、厨房へ消えて行く。
俺はじっと鍋を見つめた。
湯だった出汁の中に、まだ豆腐が一丁分ほど残っている。
そういえば達也さんは食べないのだろうか。
「あの、達也さん・・・お食事はもう済まされたんですか?」
「済まされたというか、基本的にお昼はあまり食べないからねえ」
「だったらその・・・如何ですか?」
「何をだい?」
「ですから、その・・・」
「お待たせいたしました。ゆかりご飯です。そしてこちらの漬物は手前から順に、聖護院大根のむらさき漬、聖護院かぶらの千枚漬け、すぐききざみ、日の菜の浅漬け、長芋の柚子風味、茄子、胡瓜、生姜のしば漬、壬生菜の浅漬けでございます。少しづつではございますが、よろしければお替りをお持ちしますので、遠慮なく気に入った物を仰ってくださいませ。ああ、それと最後にデザートをお持ちしますので、全部お召し上がりになったら教えて下さいね」
「は、はいっ・・・」
この店で初めて見る、若い女子店員だった。
極上の笑顔っていうのは、きっとこういうのを言うんだろう・・・そう納得したくなるようなニッコリとしたスマイルを残し、丼いっぱいのゆかりご飯と、大皿いっぱいの漬物の盛り合わせをどーんと置いてくれた。
・・・というか、何故このタイミングでこんなに大量の漬物・・・。
「ありがとう加奈子ちゃん。ところでこれはサービス?」
達也さんが大皿を指さして女子店員・・・どうやら加奈子さんに質問する。
ということは、常日頃はこの漬物はメニューにないということだ。
あるいは、あっても少量か。
「はい! 秋彦さまがいらっしゃるということで、厨房から全品盛り付けさせて頂きました」
「全品・・・」
「加奈子ちゃんはここの漬物大好きだもんね〜。確かにこのメーカーは美味しいよ、うん。でもさ、たっぷり定食を食べた最後の方で、大皿に山盛りの漬物はちょっとないんじゃない?」
「そ・・・そうですよね。ごめんなさい秋彦さま・・・ああっ、もう私ったら、またやっちゃった。趣味の押し付けはやめろって、この間も料理長に怒られたばっかりなのに・・・」
加奈子さんの目に、真珠の涙が光っていた。
「そ、そ、そ、そんなことないです! わぁ〜これって京漬物ですよねぇ〜、京都の漬物って美味しいですよね〜・・・上品だし、あっさりしていていくらでも食べられるっていうか〜」
目一杯頑張ったつもりだが、後半部分、ほぼ棒読みで俺は言ってしまったと思う。
しかし。
「秋彦さま・・・やっぱりそう思われますか!? 私、京漬物って大好きなんですよ。ほら、これなんか見てください。なんて綺麗なピンク色。歯ごたえもシャキシャキしていて、後口がとっても爽やかなんですよ。それとこれ、やっぱり京漬物って言ったら千枚漬けですよね。ここのは特に昆布出汁が・・・」
「加奈子ちゃん、そのくらいにしてあげなよ」
さすがに達也さんが苦笑いしていた。
「あっ・・・ああ、もうっ! 私ってばまた・・・失礼します!」
加奈子さんが顔を真っ赤にして頭を下げると、やっと厨房へ引っ込んだ。
「やれやれ」
「なんか、よくわからないんですけど。情熱だけは凄く伝わってきました」
「そうだね〜情熱か。たしかにあれは凄いな」
どうやら加奈子さんの実家は京都の農家らしい。
長年この漬物メーカーに京野菜を卸していて、特に今年の出来には自信があるのだそうだ。
「まあ、そろそろ秋彦君も苦しそうだから、無理することはないよ。午後も走るんでしょう?」
「ええ、まあ・・・」
けれどそんな話を聞かされると、是が非でも食べないわけにはいかなくなった。
加奈子さんの好意を、無駄にしてはなるまい。
俺は改めて手を合わせると、片端から漬物に取り掛かる。
まずはあ勧めの千枚漬け。
確かに昆布出しが利いていて上品な味わいだ。
それに聖護院かぶらの、さくっとした食感が、なんとも歯ごたえがあっていい。
「美味しい・・・」
続いてピリッとした日の菜の辛みが食欲をそそる、色取り美しい浅漬け、甘酸っぱいすぐき、歯ごたえの良い壬生菜・・・気が付いたら結局全部食べていた。
「ほう、秋彦君はなかなか漢だねぇ」
トイレに行くと出て行ったきり、しばらく席を外していた達也さんが戻ってきた頃には、ゆかりご飯も大皿の京漬物も、綺麗さっぱりなくなっていた。
不意に煙草の匂いがして、どうやら一服しに行っていたらしいことに気付く。
「お待たせしました。デザートの豆乳プリンです」
再び加奈子さんが現れ、ブルーベリーソースがかかったデザートを置いてゆく。
目が合うと、ニコニコと嬉しそうに笑ってくれた。
頑張った甲斐があったと思う。
しかし・・・。
「うぐう・・・こ、こんな小さなスプーンがこれほど重いなんて、そんな馬鹿な・・・」
「無理しなさんな」
そう言って達也さんが横から小皿をかっ攫うと、あっという間にペロリとプリンを平らげていた。
その後お茶でも飲まないかと誘われて、引き戸の奥へと連れて行かれる。
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