「一体ここはどうなっているんですか?」
俺の記憶では、このあたりに確か自転車置き場があったと思うんだ・・・なのにどうして日本庭園が広がっているのだろうか。
「土建屋をあまり舐めない方がいいよ」
そう言って達也さんがニヤリと笑う。
そういえば彼らはプロ中のプロだった。
こんな改装工事など朝飯前だろう。
・・・しかし、自転車置き場が日本庭園に変わってしまっては、明日から自転車通学の連中はどうしたらいいんだ?
「・・・・・」
「心配しなくても今日中にここは元通りになるから安心しなさいって」
なのだそうだ。
恐るべし、一条建設。
「あら、いらっしゃい。達也さん」
「こんにちは女将・・・お薄頂ける?」
「かしこまりました。座敷で召し上がりますか? それとも今日は天気も宜しいですから、こちらへお持ちしましょうか」
「そうだね天気もいいけど・・・そうだ、どうせなら秋彦君、ちょっと点ててみるかい? 女将、申し訳ないんだけど、釜を借りてもいいかな」
「ええっ!?」
「まあまあ、どうぞ・・・こちらです」
達也さんの突飛な思いつきに、返事をする間もなく腕を引かれて、連れて行かれた場所は立派な茶室だった。
つくばいで手を洗い、にじり口から身を屈めて小さな部屋へ入ると、正面の床の間に黄色い花が可愛らしい壷に飾ってあった。
「石蕗か・・・いいねぇ」
「今朝がた、遊歩道の脇に咲いていましたのよ。情緒があってよろしゅうございますね。どうぞ」
「あ、どうも失礼します・・・」
女将が勧めてくれた辺りに正座する。
達也さんも隣に腰を下ろした。
一度女将が部屋を辞して、すぐにまた戻ってくる。
「お茶菓子でございます」
「これはまた、愛らしいね」
「紅葉ですか」
黄色と赤のこしあんを練り合わせて作った、紅葉の葉の形をしていた。
けれど正直に言って、もうお菓子が入る気がしない。
達也さんが手に取り、添えられた楊枝で半分に切りながら口へ運んだ。
どうしようかと思案する。
「生菓子はあまりお好きではないですか?」
「いや、そういうわけじゃないんですけど・・・」
恐る恐る手に取りつつ、達也さんと同じように懐紙の上で半分に切り分け、口へ運んでみる。
「美味しいや・・・」
あっさりとして上品な甘みが口に広がった。
せっかくなので残った半分も頂く。
甘い物は別腹とは、よく言ったものだと思う。
「それではどうなさいます? 点前を一通りされてみますか?」
「へっ・・・」
女将に聞かれて頭にクエスチョンマークが5つほど並んだ。
いや、点前というものが茶道におけるお茶を点てる行為を意味するというのは、なんとなくわかるのだけれど、一通りとはどういうことなのだろうか・・・点てるイコール点前じゃないのだろうか。
「いや、女将の好意はありがたいんだけどね、秋彦君も時間の都合があるだろうし、とりあえず茶碗を温めるところまではやってもらっていいかな」
達也さんが苦笑しながら口を出した。
そういえば、お茶を点てるときって、色々と格式ばったルールがあったんだっけ。
達也さんからゴーサインが出ると、女将が再び部屋から出て行き、茶碗と木灼を組み合わせた道具一式を持って入ってきた。
そして釜の前に座り、一連の流れるような作業で、塗り物の小さな筒とお茶を入れる細長い木のスプーンを赤い布で拭ったり、湯で茶碗を清めたりした。
その度にいちいち布を畳み直したり、手に持ちかえたりしていたので、おそらくこういう決まりごとを、”一通り”という言葉の中に収めていたのだと納得する。
たしかにそれぞれ習っていると、昼休みがなくなりそうだった。
「あれまあ・・・キリギリス」
ふと達也さんが言った。
どこにいるのだろうと思い、開け放した障子の向こうの庭先や縁側をキョロキョロと見る。
「さすが達也さんですわね。目敏いですこと・・・東寺で手に入れましたのよ」
ニヤリと笑っているような女将の顔が目に浮かぶその声に、視線を彼女へ戻した。
そして手元をよく見ると、塗り物の小さな蓋に、確かにキリギリスが留っている。
「ああ、小筒の話だったんですね」
「小筒じゃなくて、正しくは棗って言うんだけどね。あそこにお抹茶が入っているんだ。・・・秋らしいね」
訂正してくれた後に、しみじみと達也さんが付け加えていた。
小筒・・・棗と呼ばれるその小さな入れ物は、艶やかな黒の漆塗りっぽい表面に、濃淡のある金色の絵付けで繊細な柄が描いてあった。
煌々と月明かりに照らされた叢で、一匹のキリギリスが羽を休めている・・・なんとも風情のある秋の情景だ。
「それでは、お点前拝見させていただきましょうか」
そう言って女将がすいっと茶碗を差し出して来る。
中には既に、ひと匙のお抹茶と、湯が注がれていた。
茶筅を持って、しばし戸惑う。
「持ち方はこうね・・・」
「えっと、こうですか」
すると隣から達也さんが手を伸ばし、すぐに茶筅の持ち方を矯正された。



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