「茶碗の縁に手を添えるようにして、最初に平仮名の”ゆ”の字を書くように・・・そうそう。あとは手首のスナップを利かせて・・・もっと全体を泡立てる感じで・・・違う違う」
「えっ・・・あ、あの・・・達也さん・・・?」
気が付けば頬に息がかかるような距離まで達也さんが近づいて、俺の両手を上から押さえ付けながら、”彼が”茶を点てていた。
「なるほどねぇ・・・そういうこと」
見ていた女将が何かを納得したように呟く。
それはどこか呆れたような響きを持っていた。
「あのぉ〜・・・もういいんじゃないですか?」
手元を見ると、全体的に薄緑色の綺麗な泡立ちが、こんもりと茶の表面を覆っている。
「いや、もう少しね」
否定される。
”彼が”茶を点て続ける。
「どの教室でも師匠に従うのが筋ですからねぇ・・・なんだか温くなってしまいそうですけど」
女将も否定はしないが、語尾の一文に本音を隠していた。
「それでは達也さんは、もう一度師匠である女将に鍛え直して頂く必要があるってことですね」
突然庭先から達也さんとよく似た、俺にとっては達也さんよりもずっと馴染みのある凛とした声が聞こえ、茶筅の動きがピタリと止まった。
しんとその場が静まり返る、
器の中で作られた、カプチーノのような細かな泡が弾ける音さえ、俺には聞こえてきた。
「あらまあ、いらっしゃい」
のんびりと女将が、来訪者を出迎える。
俺もおそるおそる、障子の向こうを振り返った。
「不躾な客だなぁ、亭主の迎えも受けていないのに入って来るなんて」
「神聖な茶室で人の恋人にチョッカイを出してるような、不埒な間男に言われたくありませんよ」
いつもの笑顔はどこへやら、ブスッとした顔でジャージの胸に腕を組み、あからさまにこちらを睨みつけながら、突然の来訪者は言った。
「失礼な。見ての通り僕は彼にお茶の点て方を指導しているだけだよ」
達也さんが平然と言い返す。
しかし、その声は明らかに、彼の従弟を揶揄っているとわかるものだ。
ここの主である女将はというと、止めもせずにニヤニヤと笑いながら二人のやりとりを眺めている。
・・・ようするに、最初から俺達は揶揄れていたということだと、今更ながらに気が付いた。
おそらくこのハプニングは、達也さんにとって織り込み済みということだろう。
「せっかくのお茶が温くなるほど茶筅を篩う必要がどこにありますか。だいたい、ここから見てもダマが消えていないし、最初にちゃんと混ぜさせてないでしょう、それ」
「秋彦君は初めてなんだから、細かいこと言っても仕方ないでしょ。とりあえず、今はこうやって雰囲気だけ慣れて・・・こらこら、不作法にもほどがあるぞ!」
止める間もなく彼が縁側からずかずかと茶室に乗り込んで来た。
「雰囲気ならもう充分に味わったでしょう!」
畳の上に仁王立ちすると、今度はジロリと見下ろした。
その視線がまっすぐに俺へも向けられる。
「へ・・・?」
「君もいつまでそうやっているつもりなんだい?」
俺は今の自分の状況を考えた。
両手は達也さんの掌に包まれて、互いの顔の距離は息がかかるほどに近く・・・・。
「ええっと、あの・・・あ、篤!?」
突然、肘の辺りをむんずと掴まれる。
「だからさっさと、離れてって言っているんだよ・・・!」
「こらこら、篤くん・・・乱暴にするとお茶が零れるじゃないか」
「達也さん、いい加減にしてください。本気で怒りますよ」
横から見ても、篤の目が据わっていた・・・これは、先が思いやられる。
ようやく達也さんから解放され、腕を掴まれるまま引き摺りあげられ、立ちあがろうとした途端・・・。
「うわっ・・・なんだこれ!?」
足にまったく力が入らずに、無様に畳の上へ転がった。
「あ〜あ、痺れちゃったみたいだねぇ、よしよし・・・」
「触らないでください!」
篤の声が狭い茶室に響き、俺はびっくりして彼を見た。
さすがに達也さんも驚いたようで、俺に向けて伸ばしかけていた手をすぐにひっこめてくれる。
そしてすぐに俺の背中と膝の下に、手を入れられたかと思うと・・・。
「おい、こら篤、何をっ・・・」
「おやおや」
篤は俺を抱き抱えて、入ってきたときと同様、ずんずんと部屋から出て行こうとした。
そして縁側に立ったところで、茶室へ向き直り。
「あの・・・女将さん、お騒がせして申し訳ございませんでした」
俺を抱いたままの姿勢で、彼女に深々と一礼した。
「いいえ・・・こちらこそ、なんの持成しもいたしませんで」
「今度は、お店の方へ伺います・・・次からはちゃんと待合で出迎えを待ってから、お茶室に入りますので」
「そうして頂けると助かります・・・・では、お二人揃っていらっしゃるのを、楽しみに待っておりますね」
そう言ってニッコリと笑顔で見送ってくれた。
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