話題が戻ったことに一瞬気付かなかったが、すぐに先ほどの少年との関係を教えてくれているのだとわかった。
「何て奴なんだ?」
「野田創(のだ はじめ)・・・つか、名前なんか聞いてどうすんだよ。まさかと思うけど、あんなのが秋彦の好みだったりすんのか? おいおい、勘弁してくれよ。お前、あんなイケメン彼氏がいるくせに、何が不満なんだよ。やめとけ、やめとけ。アイツもまあ顔は悪くないけど、すっげーガキだから。なんでか女にはモテてたけどなあ・・・。ま、女は馬鹿だから仕方ねえか」
「いや、名前聞かないと、話が聞きづらいと思って聞いただけなんだが・・・お前、それはどこからツッコんだらいいんだ。発言に問題ありすぎだぞ。・・・まあ、とりあえず野田君って言うんだな。で、その野田君の前で、なんで俺にあんなことさせたんだ?」
「そりゃあ逃げる為に決まってんだろうが。見てわかったろ、あいつに絡まれてたの。僕、学校で苛められてたって言ってなかったっけ」
「えっと・・・、具体的にお前から聞いた覚えはないが、まあ・・・なんとなくは」
慧生はいかにも苛められそうなタイプではある。
やられてもやり返さないとか、大人しいという意味ではなく、協調性に欠けるのだ。
そういう奴は、どんな社会でも嫌われる。
少人数の中であれば、偶然気が合う奴ばかりだったり、周りが妥協してくれるかもしれないが、学校のような不特定多数の集合体では、彼のようなタイプが真っ先に睨まれ易いだろう。
「やれやれ、学校辞めてからもしつこくされるなんて、堪らないよ。だから助かった。ありがとうな、秋彦」
慧生はわざとらしく溜息を吐いたあとで、にっこりと俺に微笑んだ。
「ああ・・・いや、そういうことなら、まあ・・・」
慧生の窮地を救ったということで間違いないのなら、とりあえずそれで良かったのだろう。
しかし、俺はなんとなく釈然としなかった。
確かに慧生は苛められそうな奴だし、逆にあの野田君は、いかにも苛めっ子タイプに見える。
そして慧生の言う通りなら、野田君は性格が子供っぽいということであり、それなら、女の子みたいに可愛い顔をしていて、身体も小さいくせに、生意気で口が悪く、御世辞にも性格が良いとは言い難いムカつく奴がクラスにいれば、絶対に苛めていただろう。
「一応聞くけど、秋彦、お前今なんとな〜く失礼なこと考えてなかったか?」
「気のせいだろう。それよりも今日は、一体何の用でここにいるんだ?」
だが、本当にそれだけだろうか・・・あの野田君の、せつなそうに慧生を見送っていた彼の視線が、俺にそればかりが正解だとは言いきれないと、そう思わせていた。
「決まってるだろう。仕事だよ、仕事」
慧生がトレーを両手で、ヒョイヒョイと掲げながら言う。
ウェイターの格好をしているということは、まあそうなのだろう。
「そうか・・・・ひょっとして出前?」
父兄の誰かがオーダーしたのだろうか。
混雑している高校の体育祭会場へ、メニューを持って来させるなんて、仕事とは言えちょっと気の毒な気がした。
普通に自転車を使ったとしても、10分ぐらいはかかる距離なのに、トレーを持って片手運転だと、結構大変だっただろう。
「それ以外に何があるってんだよ・・・ったく。今日はオーナーからエスプレッソロールケーキを教えてもらう筈だったのに、お陰で予定が狂っちまったぜ・・・」
「ああっ・・・!」
ロールケーキで思い出した。
「なんだよ、いきなりっ!?」
「それって、この秋の新メニューだったりする?」
そういえば、井伊先生が西森先生と、ロールケーキの話をしていた。
相手が家庭課担当の先生だったので、作り方でも教わっているのかと思ったが、そういえばあの二人の食べ歩きは結構有名だ。
「おうよ。新作は3種類あって、残りはカスタニャッチョとビスコッティ・サヴォイアルディ。その二つはもう習得済みなんだけど、エスプレッソロールケーキだけは、まだなんだよなあ。全部セットで食べられるぜ」
「なるほど。ケーキセットを二人分運んできたわけだ」
「よくわかったな。特製カプチーノとチョコレートコーヒー。それとエスプレッソロールケーキがふたつ。あとはサービスのカントゥッチだな」
カントゥッチはビスケットの一種だ。
セットでカプチーノを頼むと付いてくる。
浸して食べると美味しい。
俺が行くと、このカントゥッチをいつも持ち帰りでサービスしてくれる。
「そうか、面倒かけたな。すまん」
「なんでお前が謝るんだよ」
「うちの担任が世話になったようだ」
「お前の担任かよ、しっかり教育しとけよまったく」
いきなり怒られた。
どうやらあの二人は、ちょくちょく学校帰りにCappuccinoへ立ち寄って長話をしているらしいのだが、来る度にオーダーをとるのが大変なのだとか。
なかなかメニュー名を覚えてくれないらしい。
「あ〜・・・お前んとこのケーキって、ちょっと名前が難しいからなぁ。まあ、そのぐらいは勘弁してやってくれよ」
逆に慧生がなぜ覚えられるのかが、俺には不思議だ・・・もっとも、店員がメニューを覚えなきゃ、仕事にならんだろうが。
しかし、城西レベルの学力でよくあの名前に馴染めたものだ。
・・・などと、城陽の俺が言うのも失礼な話かもしれないが。
「大体なあ、こないだだってブディーノ・アル・チョッコラートを注文するのに、ストロベリーの黒いプリンだの、カップに入ったやつだの、そんな言い方しかしやがらねえ。全然伝わんねーんだよ」
「そのブディーノアル・・・ナントカってのは、一体何なんだ?」
「ブディーノ・アル・チョッコラートだっつーの。カップに入ったチョコレートプリンだよ」
「それがなんで・・・ストロベリー?」
「知るかよ!」
この後、1分ほど話していてわかったのだが、どうやら上にラズベリー・ソースがかかっているらしい。
つまり、先生たちはこれをストロベリーと間違えたようなのだ・・・まあ、そのぐらいなら、俺も間違えるかもしれない。
「うちには他にティラミス・アッレ・フラゴーレとか、ヴァカンツェ・ロマーネとか、いくらでも苺メニューはあんだよ。なのに、そういう間違い方をされると、わけわかんなくなっちまうんだって。っていうか、あの眼鏡の女教師、今までブディーノ・アル・チョッコラートを10回ぐらいは注文してんだから、いいかげん覚えろっつーの」
ティラミス・アッレ・フラゴーレは、苺のティラミスのことで、ヴァカンツェ・ロマーネとは、苺ジェラートとワッフルに、生クリームを添え、苺ソースとチョコレートソースをかけて、苺を添えた、Cappuccinoのオリジナルメニューのことらしい。
ちなみにヴァカンツェ・ロマーネとは、イタリア語でローマの休日。
なぜこの名前が付けられているのは、慧生も知らないようだった。
「重ねがさね、すいませんでした」
眼鏡をかけていたとなると、それはもう間違いなく井伊先生のことだ。
西森先生は視力2.0だといつも自慢しているから決定だ。
謝りながら、無意識に慧生の髪に手を伸ばしていた。
「いや、わかってくれりゃあそれでいいんだが・・・って、おいお前、何すんっ・・・」
「ん? ・・・ああ、驚かせて悪い。葉っぱが頭に載ってたから。早いな、もう黄葉が始まってんだ」
銀杏の葉の軸を指で摘まみ、クルクルと回しながら見せてやる。
「そうじゃなくて、だから・・・なんで、そうやってお前は・・・」
なぜだか慧生の顔が、段々と赤くなってゆく。
「ええっと・・・ああ、ひょっとしてこれ、わざとだったとか? おお、似合う似合う」
そう言いながら、少し長めの葉の軸を、ほんのりと赤い耳の上あたりの髪に差してやった。
こうすると簪みたいで可愛らしい。
できればカフェのお仕着せなどではなく、女物の着物を着せてやりたいほどだ。
「あ、あたりめぇだろ! 僕を誰だと思ってんだよ・・・っ。巫女装束だってお前なんかより、よほど似合うに決まってんじゃん・・・ったく」
そう言いながら、ほっそりとした腰を強調するように両手を当てがい、ぷいっとそっぽを向く慧生。
威張りちらす場面ではないのだが、こうやって強がりながら、頬を赤らめる様子は本当に可愛らしいので、好きにさせておいた。
ただし仮装障害物競争をしっかり見られていたらしいことは、俺を傷つけさせたが。
「できれば、それはもう忘れてくれ・・・」
ああいうネタを掴めば、面白がっていかにも俺をからかいそうな慧生が、よもや張り合ってくるというのは、少々計算外だったが。
どっちにしろ、これ以上あまり突ついてほしいネタではない。
「あっ、やべ・・・オーナーだ。帰らねぇと・・・」
不意に携帯が鳴り、慧生がスラックスのポケットから端末をとりあげて確認する。
「おう、じゃあ気を付けてな」
「サンキュな・・・そうだ、秋彦」
携帯を手に持った慧生が、校門の方向へ歩きかけて、不意に足を止める。
「ん?」
「来週以降さ、近いうちに、またケーキセット食いに来いよ」
「なんだ、御馳走してくれんのか?」
「なんで僕がお前に奢らなきゃならないんだよ」
「いやまあ、それならべつにいいけど・・・」
Cappuccinoのケーキセットは、高校生のお小遣いで充分事足りる。
「ロールケーキ、お前にも食べさせてやるよ。だから、来る前にちゃんと連絡してくれよ」
さきほどオーナーから習うと言っていたエスプレッソロールケーキのことだろう。
「お前が作って食べさせてくれるのか?」
そう聞くと。
「そ、そうだって言ってんだろ、馬鹿野郎! ・・・いいか、ちゃんと連絡するんだぞ。もし連絡なしで来てみろ、廃棄のケーキ出してやるからな・・・じゃあな! ・・・す、すいません、オーナーすぐ帰りますから・・・すいませんっ、ごめんなさいっ、すいませんっ・・・・」
真っ赤な顔で俺を罵倒したすぐ後で、今度こそ慧生は帰って行った。
携帯に向かって謝りたおす声が、段々と泣き声になっていたところは、ちょっと心配だったが。



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