商店街側に面した出口へ抜けて城東電機を出ると、今度は真向かいのビルに入り、入り口の横にある細長い階段を降りてゆく。
『Marine Hall』と書かれた黒い看板を出している店の扉を押すと、身体に響いてくるような音量のジャズが迎えてくれた。
バーかクラブのようだった。
「いらっしゃい、ああ、慧生じゃん!」
どうやら未成年で不登校のこの連れは、店の常連客のようだ。
もしも真面目っ娘の江藤がここにいたら、ややこしいことになっただろうと考える・・・いや、まずその前に入店を阻止されるだろうか。
というより、女嫌いの慧生が江藤の同行に耐えられる筈がないので、この思いつきは仮定から破綻している。
いずれにしろ、今夜のことは江藤にバレてはいけない気がするので、今後の発言に注意するべきだ。
「シンさん、こんばんは!」
慧生が大きく手を振って挨拶を返す。
彼と変わらないぐらいの小柄なウェイターが、直径30センチ程度の大きな金属のクーラーにワインとシャンパンらしきボトルを3本入れて、カウンターから出て来た。
こちらを見てニコニコと笑っている顔が非常に可愛いらしく、一見したところ若そうだったが、近づいてくるに連れてだんだんと年齢不詳になってきた。
「そっちはお友達? こんばんは!」
人懐こい笑顔が魅力的だ。
「どうも、はじめまして・・・」
「へぇ、いい男だね〜」
その感想にわざわざ異議を唱えるつもりはないが、代わりに危険信号が点滅した。
「シンさん、秋彦に手ぇ出したらトモさんに言い付けますよ」
「わかってるって、とりあえず座ってて、これ持ってったらなんか作ってあげるから」
深入りしたくはない感じの軽口の応酬が少し続いた後で、シンさんとやらはクーラーを持って奥の壁際にある赤い螺旋階段を、リズミカルにトントンと上がって行った。
吹き抜けのホールへ突きだしたバルコニーの向こうの扉には、「PARTY ROOM」という赤いネオンサインが見えている。
どうやら個室があるようだ。
店内は広く、「マリンホール」という店の名前を付けているからには、海をイメージしているようで、蒼い照明が多用され、ところどころに光る熱帯魚が泳ぐアクアリウムと、大きなパームツリーがディスプレーされている。
南の島と海、といったところだろうか。
シンさんが出てきたバーカウンターはフロアより一段高くなっており、ホールのど真ん中には噴水が勢いよく水しぶきを上げ、カクテルライトがリズミカルに色を切り替えていた。
さらに別のスペースには、なぜかビリヤード台が8つも置いてあって、しかもゲームがかなり白熱しているようだった。
どこか時代錯誤な複数のキーワード・・・ひょっとして90年代不景気を生き残った店なのかも知れない。
ここはやはり、バブルっぽくソルティドッグでもオーダーした方がいいのだろうか。
一先ず慧生に引っ張られるままカウンター席へ腰を下ろした。
「お待たせ。秋彦君だっけ、何にする?」
まもなくシンさんがカウンター奥へ飛び込んでくる。
「何があるんですか?」
「何でもあるよ、コーラにクリームソーダ、コーヒーフロート、ミックスジュース・・・なんならチョコレートパフェでも作ろうか?」
喫茶店のメニューだ。
「ナポリタンとかひょっとして作れたりしますか?」
「もちろん!」
マジか?
「だから、材料見てから言えっていつも言ってるだろう!」
厨房らしきカウンターの向こう側から30代半ばぐらいの背の高い男前が表れる。
後頭部を小突かれて、シンさんの後ろで纏めた茶色い髪の束が、クリンと跳ねた。
なんだか可愛い人だ。
「よお慧生。また新しい男か?」
「こんばんはトモさん。そうっすよ、シンさんに手出すなって言っておいてくださいね、あの人イケメンに目がないから、すぐ浮気されますよ」
「いや、ええっと・・・」
どこから突っ込んでいいのか、もう何が何やら。
取り敢えず慧生の勧めで俺はジントニックを、慧生はキューバリブレを頼むと乾杯する。
「誕生日おめでとう、秋彦」
「ああ、ありがとな」
なんだかいつの間にか、すっかり名前を呼び捨てにされていた。
まあこちらも会った時から、なぜか名前で呼んでいるが。
ジントニックは口当たりが良く、少し苦くて心地よかった。
俺の誕生日だと知ると、シンさんが摘まみにカナッペが載ったお皿を出してくれる。
「美味しいっすね、シンさん」
「そう? あり合わせで作ったのに、なんか申し訳ないな」
「あり合わせでこんなの作れちゃうなんて、シンさん素敵」
クラッカーにはスモークサーモンやチーズ、アボカドにプチトマト、フレッシュバジルなんかが載っていた。
誉めたらさらに新しいお皿が追加され、そこにはバロティーヌやキャビアのカナッペが盛ってある。
グリーンペッパーがピリッと利いたバロティーヌがすごく美味しくて何の肉か聞いたらフランス産で鴨肉ということだった。
「あの・・・これって値段は・・・」
「いいのいいの、秋彦君の誕生日だもん。でもトモさんにはナイショだよ♪」
そう言ってウィンクすると、厨房へ戻った。
「ヤバイんじゃないのか?」
「ま、店員がいいって言ってるんだから、いいんじゃねーの・・・バロティーヌ貰うよ」
なんとなく確信犯的な慧生の口ぶりが気になったが、深くは考えないことにした。
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