電車で2駅の距離だから、車なら5分程度で家に着いた。
その間に慧生は完全にぐったりとしてしまう。
「まったく、こんな体調でよく俺を遊びに誘う気になったもんだ」
しかもまだ帰る気がないって、どういう感覚をしているのやら。
だがそこまで考えて、ふと気にかかった。
「そういや俺、コイツん家のこと何も知らないんだよな・・・」
料金を払って再び慧生を背負うと、門を押して入る。
玄関ポーチで一旦慧生を下ろし、暗がりで鍵を開けてドアを引くと、再び慧生を背負って家へ入った。
「頼むから、もう少し協力してくれ・・・」
そうは愚痴ったものの、慧生は意識が落ちる寸前のようで、もう起こしているのも気の毒だ。
灯りのついていない廊下を進む。
途中、色々と物を落としたようだが、後で回収することにして、一先ず玄関脇のリビングへ入った。
「ほら慧生、着いたぞ・・・うわっ」
感覚で慧生を下ろしたら、目測を誤ったらしく、病人がソファから転げ落ちてしまった。
「ってぇぞ・・・」
朦朧としつつも、しっかりクレームだけは飛び出してくる。
「悪ぃ・・・」
慧生を抱き起こすと、改めてソファへ座らせ、そっと寝かせてやった。
「ヤろうぜ」
「だから、そんな場合じゃないだろうが・・・」
「・・・ケチ」
予想は付いたが俺の背中に回された細い腕を解くと、弱々しい声で文句を言われた。
着ていたジャンパーを脱いで慧生にかけてやり、部屋を出る。
玄関先の暗がりで何かが光っていた。
「あれは・・・」
拾ってみると、どうやら慧生の携帯電話だ。
このまま本人に持って行ってやるべきかどうか思案しつつ液晶をみると。
「進藤伊織・・・」
慧生の彼氏だ。
いつから鳴っていたのやら、迷っているうちにコールが切れてしまう。
「なあ慧生、今・・・」
電話を持ってリビングへ入るが、すっかり大人しくなった慧生は、苦しそうな呼吸を繰り返すばかりで反応がない。
ちょっと不味いかもしれない。
一度熱を計ってあまり高そうなら、病院へ連れて行くべきかと考えつつ、肝心なことを思い出した。
「そうか、慧生の彼氏って医者だ・・・」
俺は思い切って慧生の携帯をリダイヤルした。
ワンコール待たずに相手が出る。
「慧生か・・・お前、今どこに・・・」
切羽詰まった感じの声に躊躇ったが、構わず呼びかける。
「あの、すいません・・・俺、原田です」
「君は・・・・」
あからさまに訝しんでいる声が返って来る。
「実は今、慧生、俺ん家にいて・・・なんかすげぇしんどそうで・・・」
「どういうことだ。なぜ慧生が君の家に・・・君は一体慧生に何をっ・・・」
「違います、誤解です・・・・」
案の定ややこしいことになりそうだったが、とりあえずどうにか事情を説明すると、先生も議論している場合ではないと理解して、すぐに来てくれることになった。
俺が住所を伝えると、10分ほどで行くと告げて電話が切れる。
「さて・・・これで救護要請は取り付けた、と」
電話を切って慧生を見る。
相変わらず真っ赤な顔をして苦しそうだった。
「応急処置をしておくか」
俺は洗面所へ向かい洗面器とタオルをとると、次に台所でグラスと氷とペットボトルの水、そして救急箱から風邪薬を用意してリビングへ戻った。
「慧生、薬持って来てやったぞ」
呼びかけると、うっすらとだが目が開いた。
まだ意識はあるようだった。
少し安心して、慧生の顔を覗きこむ。
肩の下に手を差し入れて、両腕で抱きかかえるようにしながら、細い身体を起こしてみる。
「ほら・・・起きられるか?」
すると、下から慧生が俺の首に腕を巻きつけてきた。
「いや、慧生・・・しがみつかなくていいから、自分で座って・・・おいっ・・・!」
そのまま慧生が俺の首筋に口を寄せ、一気に強く吸いついてくる。
「こら、やめろっ・・・俺は先生じゃない・・・」
「わかってるって・・・だから、しようってば・・・」
そういうと、今度は反対側の首筋をペロリと舐められる。
熱を持った舌の濡れた感触に、ゾクゾクとした電流が背中へ流れた。
やばい。
思わず生唾を飲み込んだ。
ふと、首筋に小さな風がかかる。
慧生が笑ったのがわかった。
俺は慧生を突き飛ばす。
「お前、ふざけるなよ・・・」
慧生がソファへ倒れ、そのまま再びぐったりとなる。
こうして見下ろすと、力なく横たわった彼の姿は非常に煽情的で、俺は焦って目を逸らした。
いつまでも二人でいたら、そのうち本当に慧生を襲ってしまいそうだった。
そう思った次の瞬間、インターフォンの音が聞こえた。
助かった。
思っていたよりずっと早い到着だが、危機一髪。
俺は玄関へ飛び出すとドアを開けた。
「先生っ・・・」
ドアノブに手を掛けたまま扉を勢いよく開放し、その場に凍りつく。
「原田・・・」
相手も俺を見て絶句していた。
「なんで、・・・一条」
「・・・・・・・・」
返事はない。
一条の視線はまっすぐに俺へ・・・正確には顔より少し下、俺の首筋へ向けられ、そのまま表情が強張った。
俺は思わず首筋を手で隠す。
すると今度は足元へ視線が送られた。
「誰か・・・いるの?」
視線を追う。
脱ぎ捨てられた、慧生の小さな靴が乱暴に転がっていた。
そこへ凄まじいエンジン音とともに白い車がうちの前へ急停車し、すぐにドライバーが降りて来た。
エンジンはかけたままだ。
「原田君、慧生は?」
開け放したままの門から進藤先生が玄関へと掛け込んで来る。
「あ、先生・・・リビングです」
「リビングって、どこ!?」
イライラした感じに聞き返され、俺は彼を慧生の元へ案内した。
部屋へ入るなり先生がソファへ横たわった慧生に呼びかけると、慧生も恋人の名前を呼び返した。
応答に安心したようで、少しだけ先生の表情が和らいだ。
「原田君」
「あ、はい・・・」
慧生を抱きあげて出口へ向かう途中、俺の前で先生が一旦立ち止まった。
何を言われるのだろうかとドキドキしたが、改めてリビングへ視線を送ると。
「いろいろ、世話をかけたね」
それだけ言って先生は慧生を連れて出て行った。
自分でもう一度部屋を振り返る。
結局使わず仕舞いだった、洗面器と濡れタオル、そして薬の用意がテーブルに置かれたままになっていた。
「不問にしてくれるってことかな・・・」
まあ、俺から彼を誘ったわけじゃないが。
二人が出て行ったリビングの出口から、廊下へ視線を向ける。
気は重いが、俺は一つ溜息を吐くと、再び玄関へ出た。
「何だよ・・・」
一条はもういなかった。
玄関のドアを閉める。
洗面器とタオルを戻すと洗面台の前で立ち止まり、鏡を覗きこんで見た。
「しまったな・・・・」
首筋にくっきりと残された赤い痕・・・慧生が残したキスマークだ。
一条の強張った表情を思い出し、憂鬱に思う。