しっかりと風邪を貰ったらしい俺は、翌日学校を休んだ。 誰か・・・いるの? 一条の固い表情。 ひたすら眠り続けること数時間。 『何があったのか知らないけど、早く仲直りしなさいよ。一条君、今日本当に可笑しかったんだから!』 「お節介委員長め」 恋愛成就・・・。 ほんの数日前、俺にペンダントを勝手に着けながら、そう言ってニッコリ笑っていた無邪気な笑顔。
「7度5分か・・・」
熱は大したことないが、実のところ、一条と顔を合わせ辛い方が理由として大きかった。
あの表情は、俺と慧生の間に何かがあったのだろうと、疑っている証拠だろう。
正直に言えば一条も機嫌を直すだろうが、俺にだって納得がいかない事はある。
「自分だって学校早退して、アイドルとデートしてたくせに・・・」
先週、アイツは俺に二度と悲しい顔はさせないと約束した・・・あの声は本気だと信じられた。
一条がそう言ったからには、もう二度と他の誰かとああいう事はしないのだろうと、俺はそう信じたのだ・・・信じたかったのだ。
いや、あれはデートじゃなかった筈だ・・・親父さんの仕事の事情で、アイツはリタをエスコートせざるを得ないからであり、アイツも好きであんなことをしているわけじゃ・・・。
不意に昨日、城東電機で聞いた噂話を思い出す。
リタと付き合っている、城陽の学生・・・一条グループの御曹司。
現実はどうあれ、結局それが世間の見方なのだ。
アイツの気持なんて、誰も知ったことじゃない。
いや、俺も本当のアイツの気持を知っていると言えるのか?
お前・・・どういう気持ちを、あのとき抱いたんだ・・・?
気が付けば日は再び西へと傾きかけていた。
インターフォンの音で目が覚める。
まだ頭がフラフラしていたが、寝る前に飲んだ薬のせいでいくらか身体は楽になっていた。
玄関を開けると、ミニスカが立っていた。
「原田君、大丈夫?」
「ああ、江藤・・・」
寝ていていいと言われ部屋へ戻ると、江藤に付いて来た一条が無言で後ろから階段を追いかけて来る。
江藤はそのまま台所へ入っていった。
ベッドへ横たわるが、何となく気不味くなり、壁を向いて寝ころんだ。
一条も何を考えているのか、少し離れたところで椅子に腰を掛けたまま、一言も喋ろうとしない。
まだ、昨日の事を気にしているのか、あるいは怒っているのだろうか。
だが何故?
そもそも俺と一条は付き合っているわけでもなんでもないのに。
無意識に首筋へ手をやる。
「・・・・・・」
一条が何かを言いかけて軽く息を呑み、しかしそのまま黙ったのがわかった。
間もなく江藤が部屋へ入って来た。
「はい、お粥作ったからここ置いとくね。・・・・うん、まだちょっと熱あるね。薬は飲んでる?」
「ああ・・・」
江藤の小さな手の甲へ、思わず手を重ねた。
「・・・・・・・」
ひんやりしていて、気持ちいい。
「ちょっと、馬鹿っ・・・!」
江藤がすぐに手を引っ込めた。
一条が出て行ったのが、気配でわかった。
「待って一条君、あたしも帰る・・・あ、そうだ。これ、渡しておくから、ちゃんと勉強すんのよ」
そういって枕元にカラーコピーの束を置くと、なぜかベッドの脇へ一旦しゃがみ込み、すぐに立ち上がって江藤も出て行った。
ベッドに置き上がり、窓から門を見下ろすと、こちらをまっすぐに見上げている顔と目が合う。
一条・・・。
窓を開けようとしたところで、玄関から出てきた江藤が一条の名前を呼び、二人で俺に背を向けて立ち去ってしまった。
「・・・・・・」
誰もいなくなった門の前を暫く眺めていた俺は、仕方なく部屋へ視線を戻す。
サイドテーブルには江藤が作ってくれたお粥が、蓋の隙間から葱と生姜の香りを立ち昇らせていた。
小ぶりの土鍋の下には、白い紙片の角。
「江藤・・・?」
鍋の下から紙を取り出し、二つ折りのそれを広げてみる。
生徒手帳のページを破り、恐らく台所で走り書きしたのであろうその紙には、それでも本人らしい几帳面な筆跡による文章が短く書かれていた。
一条が可笑しいのは、最初からだと心でツッコミを入れつつ、俺に握られたぐらいで顔を真っ赤にしながら手を引っ込める初な江藤が、変なところで敏いことに苦笑せざるを得ない。
土鍋の蓋を開けてみた。
刻み葱と生姜の千切りが沢山載った温かい卵粥は、見た目もふんわりとしていて食欲をそそった。
添えてあるレンゲでひと匙掬ってみる。
「すげぇ美味い・・・」
味も良いが、江藤の優しさがじんわりと心へ沁みた。
まる1日ぶりだった飯を腹に収め、薬を飲んでもうひと眠りする。
次に起きたら、もう10時過ぎだった。
ベッドに寝ころんだまま、ぼーっとした頭であれこれと悩んだ末に、思いきって携帯をサイドボードから手繰り寄せると、着信記録からリダイヤルする。
8コール鳴って留守電に切り替わったその電話に、なぜだか胸が張り裂けそうになった。
「俺だけど・・・・えぇと、今日はありがとうな。それと・・・アイツとは何でもないから」
それだけ言うのが精いっぱいで、すぐに通話を切る。
携帯を胸の上で握りしめたまま、目を閉じた。
「馬鹿だな・・・俺、何言ってんだろ」
目じりから涙が零れ落ちて髪を濡らした。
ふとぼやけた視界の端で、オレンジ色の物が光を放っていることに気が付く。
机の2段目の抽斗に仕舞っておいた、チューファ土産のペンダント。
僅かに開いていた抽斗の隙間から、小さな丸い石が蛍光灯の灯りをキラキラと反射させていた。
そのあとキスされて・・・。
再び睡魔が身体を襲い、眠りへ落ちそうになる寸前、インターフォンの音に気が付いた。
いつから鳴っていたのかが、判らない。
「誰だよ、こんな時間・・・」
壁に掛った時計を見ると、うとうとしていたのはせいぜい10分程度。
フラつく足で階段を降りる。
玄関まで辿りつき、磨りガラス越しに見えている背丈に気が付いて胸が高鳴った。